幻獣はスッキリし、ゾンビは燃える
「ゾワワワワワ!!!」
意味不明な雄叫びを上げて、ネズミ君が入り口近くまで後退る。
彼は洗礼の短刀という、ゾンビなどのアンデッドモンスターに効果がある聖なる武器を持っているはずなのだが、その白刃が煌めくことはない。
「さあ、どっからでもかかっておいで!」
鉄子は竹竿を構えて、勇ましく前に出た。
「う〜、でも、触りたくない!」
だが嫌悪感が先に立ってしまう。遠い未来には、人とゾンビが共生する社会が待っているのかもしれないが、今の世の中にはれっきとしたゾンビ差別がある。
「ゴ、ゴガァァァァ!!」
ゾンビが吠えた。顔は爛れて腐りかけているというのに、今、怒ってるな、ということは分かる。
「ゴガ、ゴガ、ゴガァァァ!」
ゾンビが喋った。言葉の意味は分からないけど、怒ってるな、ということは分かる。
A、G、Oの、たった二つの母音と一つの子音で構成されるゾンビの言語は、高い経済性を備えている。野生の思考を馬鹿にしてはいけない。
ドン、ドン、と足を踏み鳴らし、しきりに足元を指すジェスチャーをするゾンビ。
僕らは迫り来る脅威に身構えたが、いつまでたってもゾンビは襲ってこなかった。
「ゴガ、ゴガ、ゴガガガガ!」
ん?これは足元を見るように注意しているのか?ゾンビの足は裸足だが。
「あ!もしかして」
「どうしたの、勇者さん!?」
この部屋の住人は綺麗好きである。それも潔癖症かと思うぐらい。
しかし論理的には正しいと分かっていても、感情が暴れ馬のようにその答えを拒否する。
「もしかして、靴を脱げと言っているんじゃ?」
「そんな馬鹿なことあるか!」
なるべく安全な位置から、ネズミ君の叫び声が聞こえる。
だが、PKO活動する自衛隊と同じで、ダンジョン内に戦闘地域と非戦闘地域の区別はない。
現に今も、鍵を開けられない盗賊がエコバッグで宝箱を持ち帰ろうとしているのだ。
ダンジョンでは、どんなに馬鹿げたことだって起こりうる。
「とりあえず脱いでみよう」
僕と鉄子は警戒態勢を解かないまま、そろそろと靴を脱いでみた。
すると、ゾンビの顔に喜色が差し、ウンウンと大きく頷いた。
ゾ、ゾンビとコミュニケーションが取れている?
「マ、マジかよ!」
「ネズミ君も早く脱いで!妙子さんも!」
全員が靴を脱ぎ終わると、ゾンビの顔に満面の笑みが浮かんだ。耳まで裂けた口でビッグスマイルを作り、よだれなのか液体化した皮膚なのかよく分からないものが、ボタボタと落ちて、磨き上げられた床を汚した。
ゾンビは満足したように、戸棚まで行って、ネギと大根がはみ出した買い物袋を中にしまった。彼が通った跡には、点々と体液が落ちている。
代わりに取り出したのは、ガーゴイルの部屋にもあった、紅茶の缶。
何?今からお茶しようというのか?
「こいつ、オトモダチ・モンスターかもな」
ネズミ君が言った。
オトモダチ・モンスター?
なんか、冷たいお湯みたいな言葉だが。
「こっちに友好的な態度を示すモンスターのこと。いるんだよ、モンスターの中にはそういうのも」
決して今自分が認識している範囲だけが世の中の全てと思ってはいけない。
世の中には勇者という名前の高校生も、鍵を開けられない盗賊も、昭和の生き残りのスケバンも、幻獣という名の猫もいるのである。
オトモダチ・モンスターがいたっていいじゃないか。
みんな違ってみんないい。そんな唯名論だって、いつか実在論になれる。
しかし次の瞬間、体液を撒き散らして床を汚しながら、ふんふんと鼻歌混じりでお茶の用意をしていたゾンビの表情が、永久凍土のマンモスのように固まった。
我がパーティにはもう一人いた。
最初から靴を履いていない奴が。
「ご、ごめんなさい!ちゃんと躾
ますぅ!」
時、既に遅し。あろうことかゾンビ自慢のアイランドキッチンに、シャーッとゲンちゃんが粗相をしていたのだ。
「ゴ、ゴガ、ゴガアァー!!」
先程までの友好ムードから一転して、憎悪と絶望の虜となったゾンビ。
その顔はまさに地獄の劫火を体現していた。
きっと絵仏師良秀も、この顔を見たら娘を燃やさずとも済んだはず。
当の幻獣は、一仕事終えた満足感に体をブルブルと震わせて、夏毛に生え変わりつつある体毛を撒き散らした。
「ゴガァアーー!!」
地獄の咆哮を上げて、全身でゲンちゃんに飛びかかるゾンビ。最早一片の理性も残っていない。
しかし猫科の幻獣は持ち前の身軽さを発揮して、やすやすとその攻撃を逃れた。
猫を捕まえるのは容易ではない。
ベチャッと俯せに倒れるゾンビ。汚物やら汚物やら汚物やら、僕の感覚ではもう汚物としか言いようのないものが、ピカピカの床を占領した。
これを掃除するのは大変だぞ。
「ゲンちゃん、早く!」
飼い主の声に導かれて、幻獣は女子高生の豊満な胸へとまっしぐらに走っていった。
交渉決裂。最早有効ムードは水の泡だ。
「最初からこうしてれば良かったのよ!うう、でも気持ち悪い。あたし、女の子なんだから!」
と、鉄子。さっきから色々と矛盾が起きている。
ゾンビはゆっくりと立ち上がり、次の犠牲者を探そうと狙いを定めていた。
「勇者、火だ!燭台の火を利用しろ!ゾンビは火に弱いんだ!」
と、観客席からヘッドコーチの指示が飛んだ。
近くの壁にあった燭台に走っていく僕。だが目的に到達する前に、サッとゾンビが走り寄ってきて、フッと吹き消してしまった。
あっ!
でも、まだ燭台はある。
今度は反対側の壁の燭台目指して走る。だが、またもやゾンビが異臭と異物を撒き散らしながら猛然と走って僕を追い越し、先にフッと消してしまった。
その後も僕はゾンビとの駆けっこに全て負け、残るは入り口付近の燭台だけになってしまった。
クソォ!靴さえ履いていれば!
「どおすんだよぉ!」
ネズミ君の悲痛な叫びが闇に響く。どうするもこうするも、君の側でメラメラと燃えている燭台を使ってくれればいいのだが。
しかし、僕は一切慌てることなく、落ち着いてナマケモノの剣を鞘に納めると、フラメンコポーズを取って精神を集中させた。
「熱いハートの目を覚ます、火傷するよな一目惚れ。砂漠の海の熱帯夜、堕ちた太陽燃え上がれ。フエゴ!フエゴ!バモスフエゴ!出でよ、火の玉!」
ボウッと、僕の手の平に浮かび上がる火の玉。
「おおおっ!スッゲー!」
「ウソ!?」
「す、凄いですぅ!」
「ゴガ、ゴガ!」
驚く仲間たち。怯むゾンビ。フフフ。どうだ見たか。これが勇者の力だ。
さあ、火の玉よ。我等が希望を乗せて夢乗せて、その翼を広げて飛んで行け。そして一人残らず、敵を焼き尽くすのだ!フハハハハ!
ん?どうした火の玉?そんなところでモジモジしていないで、早く飛んで行かないか。
あれ?お、おーい。敵はあっちだよ。ヒューっと飛んで行ってバチーンと当たって、ボワッと燃やそうよ。
「どうしたんだよ、勇者。飛んでかないべ!」
「あ、そうか」
僕が火の玉を出せたのは、授業の終わりのチャイムが鳴る寸前だったから!
「飛ばし方を学習していないんだ!」
勇者君、よく気付いたね、その通りだよ正解!と言っているかのように、火の玉はシュルシュルと小さくなって消えていった。
ダァーッと、ズッコケるネズミ君。
ゾンビは僕を指差し、お腹を抱えて口からビシャビシャと体液を飛ばして、ゴガゴガ笑った。
クソォ。ガーゴイルといいゾンビといい、ここのモンスター達は!
「あたしにいい考えがある!勇者さん、今の火の玉もっかい出して!」
何か妙案が浮かんだのか、鉄子が竹竿を構えて走り寄ってきた。二回も唱えるのは恥ずかしいんだけどな。
「熱いハートの目を覚ます、(恥ずかしいから中略)、出でよ、火の玉!」
さっきと同じように、手の平の上5センチのところに火の玉が現れる。僕は熱いから、サッと手を引く。
「見てなさい!ユーキ・ヤナギタ、トリプルスリー打法!」
鉄子は左バッターボックスに立つと、身が捩れる程のフルスイングをした。
竹竿は真芯で火の玉を捉え、グシャっという、ボールが潰れるような音を立てた。
カキーンではない。本物のパワーヒッターだけが奏でることのできる、ジャストミートの音。
ゴオオと唸りを上げて飛んで行った火の玉は、バフッとゾンビの顔に命中して弾けた。
ドオーンと、火に弱いゾンビは仰向けに倒れ、それきり動かなくなった。
「よっしゃああ!今年もホークス優勝じゃあ!」
竹の焦げたところが、芳しい香りを放っていた。




