91.×××
空木エリと出会ってからのサクラの記憶が二人の目の前に映し出されていく。
それはまるで劇場のスクリーンみたいで、しかしあまりにも生々しく、経験した本人の息づかいまでもが感じられるような代物だった。
およそ一か月前。
サクラがエリと初めて出会ったのは大会でのこと。
そこで敗北したサクラはリベンジを誓うも、後日エリが最条学園に転入してきたことで再会を果たす。
(……消滅のクオリア。この子のものだったのね……)
先ほどまでサクラの身体に宿っていた、錯羅回廊そのものを名乗る少女が使っていた能力。
それは空木エリの消滅のクオリアそのものだった。
消えた少女の力を使うなど悪趣味とも言えるだろうが、その行動には何かしらの意図を感じる。
ふと隣を見ると、同じ映像を見つめるサクラは青白い顔で、しかし確かな意思を持って映像を見つめていた。
それに倣ってココも意識を向ける。
今はこの記憶に集中しなければ。
『いい』『いらない』『なんでもない』
冷淡な態度で孤立しそうになるエリは、それでも関わろうとするサクラを突き放す。
しかしそんな夜、入寮手続きの不備で行き場を失ったエリは押し問答の末にサクラの部屋に泊まることになった。
他愛のないやり取りを繰り返し、二人は少しずつ心を近づけていく。
他人を拒絶していたエリも、それは恐怖の裏返しだったことを自覚した。
直向きに笑いかけてくるサクラに、エリが少しずつほだされていくように見えた。
(…………)
本当に短い間の交流だったのだな、とココは静かに思う。
だがその短い間にどれだけの心の交わりがあったのだろう。
二人はどれだけお互いのことを想ったのだろうと。
二人は、お互いの心を触れ合わせた。
何気ない言葉がお互いの傷や孤独を癒していった。
…………そして。
紆余曲折の末、再戦した二人。
結果はサクラの勝利だった。
だがその直後、奇妙な映像が学園のモニターやネット上に展開されているサクラとエリの試合の生配信をジャックする。
それはエリの出自――彼女が研究所で科学的に製造された人間であることを明かすものだった。
映像内では、以前に戦ったボディスーツの少女が紹介役を務めている。
『空木エリ――別名、検体番号Q00002は『デザイナーズベビー』と言うべき存在です』
『と言っても一般的な意味合いよりももっと先に進んだ感じなんですけどね。事前に用意した理想の人間の設計図の通りに”製造”された人造人間ってわけですー』
『そもそも受精卵からして遺伝子操作とか薬剤投与とかで人工的に成形して……まあ製造過程についてはどうでもいっか!』
『特徴としては色素の薄い髪や肌、特に赤い瞳がチャームポイントみたいです。まあ日光を浴びずに一気に成長したらそうなるんでしょうね。なるんですかね?』
(え……?)
その軽薄な演説の中に、ココは引っ掛かりを覚える。
だがそこに考えを向ける前に、記憶はどんどん展開していく。
受け入れ難い真実を前にエリから生じるポケット。間に合わなかったココ。飛び込むサクラ。
ココの眉間に思わず皺が寄る。
やはりポケットがらみだった――そして、やはり自分は間に合わなかったのだということをココは再確認する。
気づけば強く拳を握りしめていた。間に合っていれば……いや、もうそんな後悔に意味は無い。
何もできなかったのだ。自分は。
そして場面はポケットの中に移る。
サクラの前に表れたボディスーツの少女は、空間に作り出した裂け目から強力なモンスターを呼び出した。
圧倒的な強さに追い詰められるサクラだったが、ギリギリの状況下で『磁力』という新たな技を編み出し、辛くも勝利を治める。
その上、現れた円盤――本命であるポケットの主をも自分の身を犠牲にして打倒した。
「……あたしがもっと力を残して勝てていれば……」
ぼそりと呟いたサクラにココは何も言わなかった。
口にするつもりはないが、正直言ってこれでも出来過ぎだと思う。
本来なら勝てるはずの無いような相手だ。それをその場で力を編み出すなど――ましてやそれを活用して勝利をもぎ取るなど、そう簡単にはいかないはずだ。
だがそんな疑問をよそに、記憶は結末へと向かう。
想いを語り合う二人のそばに落ちていた主の死骸へと、どこからか飛来した光の針が突き刺さる。
すると主が蘇り、異形の姿となってサクラたちを食らおうと襲い掛かる。
「…………ぁ…………」
満身創痍で動けない自分を、サクラはただ見つめる。
最後の瞬間、エリはサクラを庇い、そして主に捕食された。
「……………………」
言葉を失う。
あまりにも壮絶で、そしてサクラが一人で抱えるには重すぎる記憶。
呆然と立ち尽くすココ。しかしその手を掴む感触がして、隣のサクラを見る。
サクラは戸惑いを隠せない様子で、しかし明確な意思を持ってこう言った。
「い、今のところ……もう一度見ることってできませんか」
「今のところって……でもあなた、大丈夫なの?」
「見たいんです。エリちゃんが……食べられる、その……直前」
息が荒い。
今にも過呼吸に陥りそうなほどに追い詰められているのは明らかだった。
見せるべきなのか。
サクラのメンタルを考えればここで打ち切るべきなのではないか。
しかし、その揺らぐ瞳は真っすぐにココを見据えている。
ならば。
「……わかったわ」
映像に向かって意志を込めると、すぐに早戻しが始まり、指定の位置から……エリがサクラを蹴り飛ばし、ひとりで主に襲われるところから再生が開始される。
「…………っ」
サクラが一歩前に出る。
目の前の映像から一瞬も目を逸らさない。
エリが捕食される、その瞬間。
ココにはエリが何かを言ったように見えた。
すぐに映像は終わる。
エリが食われ、ポケットが崩壊したところで停止した。
(――――ああ)
わかった。
彼女が何を言っていたのか、サクラにはやっと理解できた。
どんな気持ちだったのだろう。自分が死ぬと分かったその直前、彼女はどんな気持ちでその言葉を残したのだろう。
もうそれを確かめる術はない。
気づけば地面に崩れ落ちていた。
顔を覆うと手の平が濡れる。小さな手では抱えきれないほどの涙が溢れ出していた。
だが、それは悲しみや苦しみから生み出されたものではない。
「……先輩」
「え?」
「聞こえました。エリちゃんが、最後に残した言葉」
ずっと心にひっかかっていた。
最後の瞬間、エリは何かを口にしていた。
だがサクラにはその唇の動きしか見えなくて、今の今まで心に留めることすらできなかった。
しかし今、こうして記憶を見返して、やっと聞くことができた。
エリが自らの死を覚悟したあの時。サクラを助けて、そうして伝えたかった想い。
『生きて』
エリはそう言っていた。
「エリ、ちゃん……!」
拭うことを考えられないほどに涙は溢れ続け、サクラは声を上げて泣いた。
エリを失ってから初めてちゃんと泣いた。
……同時に。
サクラは彼女を失ったことを本当に理解したのだった。