9.いっぱいなやんで
サクラが生徒会に呼び出されてから数日後の午後のこと。
最条学園は特殊な時間割構成になっており、通常の授業は午前中に終了する。
では午後からは何をするのかと言うと、クオリアの訓練である。
「やあっ!」
「あっぶな」
サクラの指先から飛び出した雷の矢を、対戦相手のクラスメイトは紙一重で回避し、空中に巨大な水塊を作り出す。
うろたえながらもすかさず迎撃しようとしたサクラだったが、
「よいっ……しょー」
重そうに放り投げられた水塊に飲まれ、ぶくぶくと泡を吐きながらアーマーを壊されてしまった。
サクラの敗北である。
床に広がった水に横たわりながら、サクラは担任の総谷アケミ先生の鳴らすホイッスルの音を聞いた。
「ブレイク。そこまで」
アケミ先生が手持ちのタブレット端末に何やら記入している。
今日の訓練は体育館のひとつを使った1年1組全員で行われる模擬戦だ。
ランダムでマッチングされた二人が順番に戦うという形式になっている。
クオリアは生徒それぞれ違うので、本来は自主訓練になる場合が多い。
しかし入学して間もないこともあり、まずはお互いを知ろうという名目で行われているのだ。
……ただ、キューズになるため集まった生徒たちが戦うということもあり、実態としては熾烈な争い以外の何物でもないのだが。
「はあ、はあ……」
荒い息をつくサクラは頬を伝う水と汗を拭う。
記入を終えた総谷先生は、今しがた試合を終えた二人の顔を眺める。
「青葉さんは大変優秀だけど少し覇気が足りないかも。天澄さんは”矢”一辺倒にならないよう注意してください」
先生の概評に「はい……」と返しつつ、サクラはすでに乾きつつある体操服を引きずるようにして立ち上がるとチャイムが鳴る。
これで今日の訓練は終了だ。
(矢が全然当たらない……)
全くと言っていいほどに命中しなかった。
技術や経験が足りていないのは間違いない。しかしそれ以外の要因が間違いなく存在する。
心ここにあらず。
それが最近のサクラの状態だ。
原因はもちろん、先日の生徒会室でのこと。
サクラはいまだ、結論を出せていないでいた。
* * *
「サクラちゃん、やっぱり悩んでるよね?」
「え?」
その日の帰り道、歩道を歩いているとハルが唐突にそう言った。
夕暮れのかかるオレンジ色に染まった道路を、車が行き交っていく。
「そんなことないですよ。ほら、あたしはこの通り元気! なので!」
明るくバンザイしてみせるサクラだったが、疑いを引っ込めるつもりは無さそうだった。
ハルは髪を結っている赤いリボンを触りながら追求を続ける。
「見てればわかるよ。生徒会室に呼び出された時からだよね」
「……あはは。ハルちゃんにはわかっちゃうんですね」
「それはそうだよ。友だちだもん」
そう言われると照れてしまうが、悩みを打ち明けるのには抵抗がある。
しかしこの時のサクラは自覚しているより弱っていたのか、気づけば自分から口を開いていた。
「そっか、生徒会に」
「はい」
サクラは事情を話した。
もちろん錯羅回廊については伏せた上でだ。
あの異空間のことは混乱を避けるため機密事項に設定されている――と生徒会室を出る際にキリエから説明があった。
最も、それが無くともサクラはハルに詳細を打ち明けることは無かっただろう。
あの時気を失っていたとは言え、命の危険にさらされたハルにとってはショッキングなことかもしれないからだ。
「どうして迷ってるの? 憧れの会長に誘ってもらえたなんて、認めてもらったってことじゃない」
「……はい、自分でもそう思います。本当なら小躍りどころかブレイクダンスしたいくらいなのに」
「それはやりすぎだと思うけど……」
ともかく、とハルは話を戻す。
「何か理由があるんだよね? だからその場で応えられなかった」
「理由……そうなんでしょうか」
「うん。どんなものにも理由はあるはずだよ」
理由。
君しかいないとまで言われて、なお受けられなかった理由。
あの時、サクラの頭をよぎったのは、敗北し倒れ伏す自分の姿だった。
「力が足りないって思ったんです」
自分は弱い。
落ちこぼれだ。
そんなことは、サクラ自身が誰よりも思っている。
だからこそ一歩を踏み出せなかった。
「最条先輩はすごい人です。きっと副会長の黄泉川先輩もそうなんでしょうし、まだ会えていない残りのお二人も同じだと思います」
「ああ、黄泉川先輩って会長の次に強いキューズって言われてるからね」
「そうなんですか!? ……えっと、そんな中にあたしが入るのは生徒会の価値を落としてしまうんじゃないかと思って」
「そっか。でも、会長はきっとそれも織り込み済みで誘ったんだと思うよ……って言うのは簡単だよね。大切なのはサクラちゃんが納得できるかどうかだと思うし」
ハルの言う通りだ。
向こうがどれだけサクラを必要としても、サクラ自身が自分の価値を信じられない。
「……サクラちゃんは普段明るいのに意外と自信がないよねえ」
「うっ……」
「まあでも、そういう時は努力して自信をつけていくしかないんじゃないかな? 例えばもうすぐ始まる学内戦で一勝を目指してみるとか」
「あはは、まだまだ遠そうですけどね!」
サクラは楽しそうに笑って見せる。
話してみて、少し気が晴れた。
形のわからない悩みに輪郭ができたような気がしたのだ。
交差点に差し掛かり、信号は赤。
二人の足取りは緩やかになって、やがて止まる。
このまま信号を待とうか。それとも向かいの道に渡ってみるか。
「ハルちゃんは救護の道に進むって決めたんですよね」
「うん、そうだよ」
ハルの力は治癒のクオリア。
外傷を癒す珍しい力である反面、戦闘には向かない。
そして稀有な力であるからこそ選手よりもそのサポートをする救護の道を推奨された。
昔キューズに憧れていたハルは悩んだ結果、周囲の言う通り治癒の力を活かす進路に専念することにした。
詳しくは語らなかったが、そこにはきっと葛藤があったはずだ。
志した道を変えるというのは、軽い選択ではなかっただろう。
横を歩く淑やかな友人を見つめながら考えていると、その当人がサクラの方を向いた。
ばちっと視線が合い、サクラは思わず照れ笑いを浮かべる。
それに反してハルは何事か考えているようだった。
「どうかしました? ごめんなさい、ちょっと見蕩れちゃって……」
「ううん、それはいいんだけど――そうだ!」
ぱん、と名案を思い付いたようにハルが手を合わせる。
どうしたんだろう、とサクラが首を傾げると、ハルはにっこりと笑う。
「ね、日曜日空いてる?」
「日曜ですか? 大丈夫だと思いますよ!」
もしかしてお出かけのお誘いかな、嬉しいなあ、とサクラは内心喜ぶ。
しかし、ハルの提案はその斜め上を行っていた。
「良かった。なら週末私とデートしようよ」
「…………へ?」
そういうことになった。
柚見坂ハル
好きなもの:試合観戦
嫌いなもの:お金 病院