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89.さくらかいろう


 ”サクラ”が手を上げると、空中に雷の矢が五本配置される。

 それを見たココの姿が掻き消え、一瞬あとにココのいた床めがけて矢が一斉に突き刺さる。


「さすが、速いですね……っと!」


 肉薄したココの拳が紙一重で回避される。

 ただのパンチで爆風が巻き起こり、サクラの足元がぐらついた。

 その隙を逃さず、ココはさらに踏み込む。だがその鼻先に雷の矢が配置されていた。


「…………!」


 とっさに首を振ると、矢が頬を掠める。

 さらにサクラは畳みかけるように纏雷を発動させると雷の矢を三本腕に束ね、渾身の拳を構える。

 対するココはただ全力を込めた拳で迎え撃った。


 轟音が鳴り響く。

 衝撃波が巻き起こり、聖堂の椅子や柱や女神像を破壊していく。


「あはは、”サクラ”相手に容赦ないですね!」


「……同じ顔をしているだけのあなたに躊躇はしないわ」


 この天澄サクラを名乗る少女は異様だ。

 能力や技は確かにサクラと同じものだが、戦闘技術に関しては比べ物にならない。

 本来ココとサクラがぶつかれば、勝負にならないほどの力量差があるのだ。


 それとも見ない間にここまで成長したのか。

 あの、ココとサクラが繰り広げた猛特訓から。

 

 そこまで思考が触れた瞬間、頭に靄がかかったような感覚がする。

 どうして自分たちは特訓していたのか。経験は覚えていても、その理由が思い出せない。

 それだけではなく、その理由を考えること自体に思考が持っていけない。

 おそらくはこの記憶の欠落こそが、サクラが絶望するに至った理由なのだろう。


(……ポケット絡みってことでしょうね)


 次々に射られる雷を避けながら、ココは歯噛みする。

 おそらくは、助けられなかったのだろう。

 ポケットに落ちた者がその主に殺されると、存在自体が消えてその人物の痕跡や記憶が世界から消えてしまう。

 そして、それはきっとサクラが連絡を断った日――終業式の日のこと。


 その時の自分はいったい何をやっていたのかと憤りすら覚える。

 サクラの助けになれていたなら、あんな顔をさせることはなかっただろうに。


 そんな思考をくみ取ったのか、”サクラ”は笑みを深める。


「そうだ、先輩は勝手に心を読んだりしないようにしてるんでしたっけ。あたしの心なら好きに読んでもいいんですよ?」


「それは――いや」


 好都合だ。

 何かを知っているであろうこの少女の心を読みさえすれば、サクラに何が起こったのかわかるかもしれない。

 だが罠の可能性もある。こんな許可を出すなら、そもそもこの戦闘の意味も無いようなものだ。


 しかし。


「ならお望みどおりに……!」


 ココの菫色の瞳が光を帯びる。

 対象の思考を覗く。現在行っているような心への潜行ほど詳細に読み取ることはできないが、表層の思考なら十二分に知ることができる。

 

 だが。

 ココのクオリアが、”サクラ”の思考へ触れた瞬間。


『やっぱり先輩は』『ち合わせどこだっ』『に会いたいな』

『うおお燃え』『お腹空』『れは冗談なの』『最悪の気』『ってどんな子ども』

『区で障害発』『サンタさんっていつ』『日暑す』『うちょっと時間が必』『家に忘』

『りたい』『はレトルトで』『サブスクって』『の基本は夏めいた』『初回限定の商品が』『シンセサイザーの調』

『りパクすんなって』『飴って噛んだ方が』『いのって安心しま』『ホテルの予約』『べりこみセーフにし』『シストどもが』『戒処分が下』


 膝をつく。

 頭を抱える。


「あっ……う……!?」 


 脳が沸騰しているかのようだった。

 とてつもない質量の思念がいっぺんに叩き込まれ、情報の圧力に押しつぶされる。


 あの”サクラ”は、なんだ。

 明らかに複数人の思考を同時に内包している。

 それも数人程度ではない、百人や千人でもきかない。

 数えることがバカらしくなるほどの思考の積層が、彼女の中にある。 


 辛うじて聞き取れたのも断片的で、それぞれの意味を理解することはできなかった。

 ましてやこの”サクラ”自身の思考がどこにあるのかなど欠片も糸口が掴めない。

 

 噴き出す冷たい汗を拭うことすら忘れながら、ココは”サクラ”を見上げる。

 彼女はいつもと変わらない笑顔を浮かべていた。


「どうでした?」


「なん……なの。あなた……」


「隠してばかりなのもアレですし、ここまで来た先輩には教えちゃいましょうか。んー、なんて言ったらいいんでしょう。そうですね、あたしは……あなたたちが錯羅回廊(さくらかいろう)と呼ぶ異空間(ダンジョン)そのものです♪」


「それはどういう……」 


「はい、サービスはここまでです。先輩がこの世界に居られる時間って限りがあるんじゃないですか? もたもたしてると潜りなおしですよ?」 


 この”サクラ”が錯羅回廊そのもの?

 ならばこの少女はどうしてサクラの心の中にいる。

 嘘という可能性は――あるが、この世界の情景や彼女の思考が無数の人間を煮詰めたようなものである以上、信憑性はある。


(……今は……) 

 

 思考を切り替える。

 少女の言う通り、そこまで猶予があるわけではない。

 少なくともここで腰を据えて話し合うほどの時間は。


「うん、いいですね! さすが先輩です。顔つきが変わりました。やるべきことの取捨選択がきっちりできるの、とっても素敵ですよ」


 上から目線で評価してくるその声を遮るように、床を砕くほどの勢いで踏み出す。

 風のような速度で接近し、拳が届こうという瞬間、目の前に少女の広げた手が見えた。


「ほい」


 ぶわ、と突如として巻き起こる突風。

 同時に全身の力が抜ける――いや、違う。

 元に戻っている。身体能力が、一般的な女子高生の域に。


「肉体強化が……!?」


「えへへ、びっくりしました? じゃあ、これ食らってください!」 

 

 肉体強化が抜け、身体のバランスを崩したココに対し、雷の矢が直撃する。

 全身を痺れるような痛みが駆け抜け、思わず膝をつく。


「わーお。これでアーマーにヒビすら入らないなんてびっくり! さすがですね」


「あなた、どういうことなの……! 今のは明らかに二つのクオリアを使っていたでしょう……!」


 ふつう、クオリアは一人にひとつずつ。例外はない。

 しかしこの少女は明らかに雷のクオリアと、それ以外の能力を併用した。

 手から迸った波動……クオリアを無効化する力。


「錯羅回廊はクオリア使いの感情が集まって出来た空間だって先輩たちは推測してるんでしたよね? はい、ほとんど正解です。正しくはクオリア使いだけじゃなくて全人類の意識そのものが集まって形作られる異空間って感じです」


「……あなたは錯羅回廊そのものだから、全てのクオリアが使えるってこと?」


「そんな感じですね! まあ常に全部を把握してるわけじゃないので、厳密にはそこまで万能じゃないんですけど……ほら、ありません? 人間の記憶って常に全部覚えてるわけじゃなくて、その時その時の状況に紐づいて思い出したり、ふとした時にフラッシュバックしたり、みたいな。だから今回は二つだけ使います。雷と……」


 そこで、”サクラ”はそっと目を伏せた。

 まるで誰かを悼むように。そして、憐れむように。


「消滅のクオリア。あなたが忘れてる――ね」


 少女はにっこりと笑った。

 先ほど見せた表情は、もう垣間見えることは無い。

 

 ココは考える。

 彼女が錯羅回廊の化身だとして、こうしてココの前に立ち塞がる理由は何か。

 記憶を見られたら困るのだろうか。それとも、ただ弄んでいるだけか。


 ただ、こうして話している限りでは間違いなく彼女にも自我のようなものがある。

 そして自我があるなら思考があり、そこには意図が存在する。

 

 『あたしを倒せたら記憶を渡す』――――それはつまり、試しているということではないだろうか。

 少女からは、からかうような悪戯心は感じても悪意までは感じない。


「…………弄ぶのではなく、試している」


「ん? どうしました?」


「わかった。気になることは色々あるけど……とりあえず」


 試すなら試せばいい。

 誰かに試されるというのは久々だ。

 だが、結局は簡単なこと。

 この力を示せばいいだけなのだから。


「あまり人間を舐めないほうがいいわ」


 その折れそうなほどの細身に、計り知れない力が宿る。

 菫色の少女は、ただ真っすぐに倒すべき敵の姿を見据えていた。


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