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88.同一性マレフィキウム


 また周囲の風景が変わった。

 砂風吹きすさぶ廃都市から、天地が反転した極寒の校舎へと。

 サクラとココは現在、天井に立っている状態だ。

 だが二人が驚愕しているのはそのロケーションではない。


「ここはあなたの心の中のはずなのに、どうしてあなたが来たことの無い場所に変わったの……?」


「い、いや……あたしにも何が何だか……」


 サクラの心の中の世界。

 その情景は、学園都市に広がる異空間――錯羅回廊と瓜二つだった。

 それ自体も不可解なことこの上無いが、目の前に広がるのは未だサクラが訪れたことの無い第三層を模したものだ。


 ……もう驚くのにも疲れてきた、とココはため息をついた。


「とにかく進みましょう……寒いわ」 


「は、はい……」


 今は七月下旬、夏真っただ中。

 二人とも夏服を着用しているのでかなり薄着だ。

 吐く息は濃密な白さを含んでいて、クオリア使いの肉体の強さを加味してもあまり長居するとまずいだろう。


 踏みしめる天井は、当たり前だが床を歩くより頼りない。

 ぐっと踏み込むたびにわずかに沈むのだ。

 ときおりパキパキとうっすら張り付いた霜を踏み割る音がして、天井が抜けてしまうのではないかと不安がよぎる。


 しばし沈黙が続くと、それを埋めるようにココがぽつりとつぶやいた。


「……私はね、自分のクオリアが嫌いだった」


「え……」


「人の心を自由に扱うことしかできない力、持ってても嫌なことばかりだったもの」


 思念のクオリアは他人の心を操作することに特化している。

 心を読んだり、記憶を覗いたり、消したり、逆に植えつけたり、認識を歪めたり――そのポテンシャルを十全に発揮すれば他人をいかようにも動かせる力。

 だがココはそんな力を使うことに抵抗を感じている。だから十全に発揮する時はもしかしたら今後一生来ないかもしれない。

 十全でなくとも人の心の中を好きに歩き回れるというだけで他のクオリアでは到達できないような境地にいるのだが。


「それでも得てしまったからには、できるだけ不用意に使わないようにして、使うとしても誰かのためになることに限るつもりだった。でも……今回は本当におかしいのよ。こんな無理やり誰かの記憶を覗こうなんて今まで思いもしなかったのに」


 サクラの部屋に踏み入ったとき、心底ぞっとした。

 眼には光が無く、肌は青白く、あからさまにやせ細ったようにも見えて――本当に、今すぐにでも死んでしまうのではないかという嫌な想像が頭の中を支配した。


 いや、おそらくそれは”嫌な想像”に留まらなかっただろう。

 肉体的にも精神的にも深いダメージを負ったサクラは、いつか二度と覚めない眠りに落ちていたかもしれない。

 だからココは強硬手段に出たのだ。

 

「それでも私は――――」


「……先輩」


 温かい感触が背中を覆った。

 サクラが抱き着いてきているのだと、すぐにわかった。

 背中から伝わる熱いくらいの体温と柔らかさに、どくん、と心臓が跳ねる。冷えた身体に熱が回る。

 

「……先輩が来てくれて、本当に嬉しかった」


「天澄、さん」


「あのとき帰れなんて言ってごめんなさい。ほんとはすごく感謝してるんです。だから自分の力を否定しないであげてください。……先輩のしてくれたことは、間違ってません」


 は、と息が漏れた。

 サクラの腕が、抱きしめる力を強くする。

 極寒の中で、その体温だけが生々しく感じられて、耳元に吐息を伴う囁きが流し込まれる。 

 ぞくぞくと、快楽に似た感覚が背筋を駆け上った。


「先輩、好きです。ずっと好きでした」


「あ……天澄、さん……」


 心臓がうるさい。

 どうして今、そんなことを――と疑問が浮かぶ。

 しかし背後から聞こえてくる甘い声色がここにいる理由さえも薄れさせていく。


「あたしが憧れたキリエさんよりも、ずっとずっと好き……なんです」


 だが。

 その言葉で、冷や水を掛けられたように頭がクリアになった。

 ゆっくりと視線を後ろに向けていく。サクラの顔は、すぐ近くにあった。

 

「…………!」  


 息を吞んだ。

 後ろから包み込むように抱き着くサクラの表情は、ココが見たことも無いものだった。

 きっと彼女はこんな顔をしない。

 引き伸ばしたような笑みも、奥に何の感情も宿らない瞳も。

 サクラのそれとは全く違う。


 そのことに気づいた瞬間、ココは背中の熱を振り払っていた。


「ひゃっ」


 振り払われた勢いで尻もちをつくサクラに少し胸が痛んだが、理性で抑え込む。

 どこからどう見ても、彼女はサクラだ。それでも。


「……あなたは誰」


「え、あ、あたしはサクラですよ? あなたの後輩の天澄サクラです!」


 うろたえる様子も、空気を和らげようと浮かべる笑顔も、確かに天澄サクラそのもの。

 しかし――ココはもう信じない。


「……あの子はね、いつも他人のことで頭がいっぱいなのよ」


「え?」


「誰かのために自分に何ができるかってことばかり考えて――嫌になるくらいみんなに優しいの。だから……誰かを喜ばせるために、相手を他の誰かと比べるようなことなんて言わないと思う」


 自分でも何を言っているのかわからなかった。

 理知的で理性的で理論的な思考を主とするココにしては、根拠も薄ければ感情に則った訴えだ。

 色々並べ立てても『何となく違う気がする』以上の意味は持たない。


 しかしココにとっては、これ以上ないくらいの確信を持った糾弾だった。


「……えっと」


 サクラは、困ったように笑った。

 直後、その笑顔が溶けるように深められる。


「やっぱり雑すぎましたかね、あはは――あの子ってこんな感じじゃありませんでしたっけ? しょーじき黄泉川先輩とは付き合いそんな深くないし行けるでしょと思ってたんですけど」


「……少なくとも、この状況で私に抱き着いてくるほど空気が読めない子じゃないと思うわ」 


「あはは、そっかそっか。そうですよね、いまあの子ってすっごいメンタル病んじゃってますもんね」


 さっきまでとは打って変わって表情も仕草もサクラそのもの。

 だがこの人物の言う通り、今のサクラに衒いなく笑顔を見せるなんてことはできないはずだ。


「もう一度聞くわ。あなたは何者?」


 その問いに、少女はくすくすと笑いを漏らす。


「たぶん先輩は偽物が天澄サクラの振りをしていると思ってるんでしょうけど、”あたし”も正真正銘天澄サクラなんですよ。まあほとんど自我を共有してないから別人と言えば別人なんですけど――あの子とはいちおう一方的に記憶を共有させてもらってますから、いろんなことを知ってますよ」


 ココは、まず疑いを持った。

 この少女も天澄サクラとはどういうことだ。

 自我と記憶を共有?

 全てが不可解で信じがたい。


 だが、そもそもこんな少女が存在していること自体、そしてこのサクラの心の中の異質さ自体が不可解なのだ。

 逆に考えればこの、自身もまた天澄サクラだと名乗るこの少女が謎の鍵を握っているのではないだろうか。


「ちなみに黄泉川先輩のこともよく知ってます。”あたし”が先輩のお家に泊まった晩、あたしが寝静まった後、先輩は枕に顔をうずめてバタバタと――――」


「ちょ、ちょっと待ちなさい! どうしてそんなことを知ってるの!? まさかあの子、あの晩起きて……」


「ませんよ。あたしが知ってるだけです」


 にこにこと屈託のない笑みを浮かべる少女。

 その存在は、どんどん得体の知れないものになっていく。

 知っている、などと。他人の自宅の中での行動など知る方法はないはずだ。

 寒気がするのは、きっと周囲が凍てついているだけではない。

 ココは少しずつ臨戦態勢に入っていく。


「そうだ、先輩ってあの子の記憶を覗きに来たんですよね? だけどどこにあるのかわからなくて途方に暮れている、と。わかりますわかります、ここって広いですもんね」 


「だったら何なの」


「問題をわかりやすくしてあげます。あたしを倒せたらあの子の記憶――エリちゃんと出会ってからの全てを渡してあげますよ」


 ぎゅるり、と世界が歪む。

 一瞬の後、また景色が様変わりした。

 反転した極寒の校舎から、今度は神々しい聖堂へと。

 抜けた天井からは黄金の空が見える。降り注ぐ太陽の光が金色に見えるという意味ではなく、正真正銘、空が黄金の色をしているのだ。


「……第四層」


「うん、先輩は知ってますよね。じゃあさっそくお手合わせお願いします!」


 その笑顔はサクラそのもので。

 しかし、どうしようもなく別物だった。


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