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86.双極イクスクルージョン


 黄泉川ココが自宅に乗り込んできた。

 純粋な腕力でドアを壊して。


「黄泉川先輩……えっと……」


 玄関を通った風が前髪を持ち上げる。

 汗が冷たいのは、きっと蒸発していることだけが理由ではない。

 ココはじっとサクラを見下ろしていた。


「あなたの友だち。柚見坂さん。……泣いてたわ」


「…………っ」


 サクラの視線が押し下げられるようにして廊下の床へと落ちる。

 友だちを傷つけたことをこうして他の人から突き付けられると、本当に胸を引き裂きたい気持ちになる。


「今は是非を問うつもりはないの。それは私が言うべきことじゃないでしょうし……それより、何があったのか聞かせてくれる?」


 ココは責めるでもなく、いたわるでもなく、ただ淡々と問う。

 だが何も思うところが無いわけではないのだろう。

 その氷のような印象が見た目だけのものだとサクラは知っている。


「出ていって、ください」


 それでも震える喉から出たのはそんな言葉で。

 間違っていると分かっていても、誰かを遠ざけずにはいられなかった。

 怖い。苦しい。誰かと関わるのがこんなにも痛みを伴うのだと知らなかった。

 知りたくなかった。


「もう構わないでください。これ以上踏み込んでくるなら、例え先輩でも力づくで……」 


「やってみたら? やれるものなら」


「すみませんでした」 


 もはや機能を失ったドアが目に入り、自然とサクラは頭を垂れていた。

 勝てるわけがない。圧倒的な力にはどんな癇癪も勝てはしないのだ。




 * * *




 ココが開けた窓から吹き込む風が室内の空気を入れ替えていく。

 陽射しがくっきりと影を作り出し、まるで先ほどまでとは別の部屋のようだった。

 

「はい、とりあえずこれ飲んで。たぶんここ最近ろくに飲み食いしてないんでしょう、やせ過ぎよあなた」 


「いただきます……」


 使い捨てのカップからうっすらと湯気を立てるお茶のような飲み物をおそるおそる口に含む。

 口の中が湿り、水分が喉を通って流れ落ちていく。

 しょっぱいようなすっぱいような、妙な味だった。


「学園都市製の栄養ドリンクをちょっと調整したものよ。急に飲み食いするとお腹を壊してしまうでしょうから」


 ココの言う通り、エネルギーが優しく浸透していくようだった。 

 じわじわと身体に力が戻ってくる。


「……で、本題。もう一度聞くわ、何があったの?」


「それ、は……」


 あの日の光景がフラッシュバックする。

 虹色の渦。夕暮れの街。ボディスーツの女。モンスターとの連戦。そして――あの最後の瞬間。

 伸ばした手は届かなかった。


「……っは、はあっ、……く、ぁ……かは」


 上手く息ができない。

 肺の大部分が鉛にでも占拠されているかのように、吸っても吸っても酸素が取り込めない。

 じわりと脳が溶けていくような感覚。

 

 思わずテーブルに突っ伏すと、背中に温かい感触があった。

 いつの間にか近づいてきたココが背中を擦ってくれている。


「落ち着いて。息を吐いて、そう。大丈夫だから」

 

「…………はあ、はあ……はあ……」


 心がぐちゃぐちゃだ。

 荒れ狂う感情を全く制御できない。

 こんなにも気持ちが昂っているのに自分にはポケットが生まれないんだな、と妙に冷静なことを頭の片隅でサクラは思った。


(いったい何が起きたらここまで憔悴するのよ……)


 これほどまでに追い詰められたサクラを初めて見た。

 サクラが音信不通になったというのは生徒会の後輩たち――アリスとカナから聞き及んでいた。

 しかし原因がわからず、さらに仕事がかさんでいたこともあって今日やっと業務の間を縫ってここを訪れたのだ。


 何かとてつもなく嫌な予感がしたのだ。

 今を逃せば、取り返しのつかない事態に陥ってしまうような、そんな予感が。


「……っは、先輩……あ、あたし……!」


「大丈夫。ゆっくり息して」 


 呼吸をするだけで精いっぱいのサクラを見ていると、こっちまで苦しくなってくる――とココはひっそりと顔をしかめる。

 普段の彼女の明るさは見る影もない。


 これはもう、話せないだろう。

 ここ一週間のサクラは独りになることで心が守られていたのだと思う。

 近しい人を遠ざけて、波が立たないように――だが今日、ハルやココと接することで思わぬ刺激を受けた結果がこれだ。

 

「…………覚悟を決める時なのかもね」


「え……?」


「天澄さん。今からあなたの心を覗くわ」 


 思念のクオリア。

 黄泉川ココに宿る異能。

 心に関する事なら何でもできる、精神系クオリアにおいて頂点に位置する能力だ。


 読心から催眠に洗脳までなんでもござれ。

 もちろん、他人の記憶を覗くことだって可能だ。

 その口から直接聞くことができないなら、心に聞けばいい。

 

「……私ね、自分の力が怖かった。小学校に入って間もなくこのクオリアに目覚めて、自分でもびっくりするくらいにその力はどんどん強くなって……周りの人はみんな、私の力を恐れた……いいえ、私を恐れた」


「先輩……」


「同級生だけじゃない、大人だって笑顔の裏に恐怖と敵意を隠してた。そんなこと、力を使わなくたってわかったの。だから私はあまり人と関わらないようにしてた」


 思念のクオリアはいくらでも悪事に利用できる能力だ。

 掛け値なしに世界を支配することだってできるかもしれない。


 だからこそ縛りをかけた。

 日常生活においてこの力は絶対に使わない。

 使うとしても、相手の同意を得てから。

 そんな掟を、黄泉川ココは幼いころから自身に課していた。 


 そしてその上で他人と距離を取る。

 それが、ココなりの処世術だった。

 

「でも、あなたは……何の衒いもなく私と接してくれた。心を読んでも構わないとまで言ってくれた」


 他の生徒会メンバーのようにココを慮って適度な距離を保って接するのとは違う。

 心を裸にして、ノーガードでぶつかってきたのがサクラだ。

 それが自分を顧みないという当時のサクラの性質に由来するものだったとしても。


「嬉しかったの。本当に。だから、私が今日ここに来たのは……あなたを助けたかったから」


「黄泉川、先輩」


「だから……ごめんなさい。潜るわ、あなたの中に」


 ココの瞳が輝く。

 能力が発動する

 自身の意識を対象のそれに潜行させ、その心を覗く。


 だが、その直前。

 ココの手首が掴まれる。


「せん、っぱい……!」


 制止しようとしているのか、と思った。

 だがそれは、まるで溺れたものが藁を掴むかのようで。

 サクラの瞳が懇願するように潤む。


「だめ、です……見ちゃダメです……! こんなの……誰にも見せたくない。きっと傷つくことに……なります……から……」


「あなた……」


 サクラが周りを拒絶していたのには、別の理由があった。

 空木エリのことを誰も知らないことに焦燥と憤慨を覚える反面、彼女の真実を誰もが忘れてしまったことに、サクラは無意識下で安堵を覚えていた。彼女の尊厳を踏みにじるような、そして見る者の心を深く傷つけるようなあの記憶を誰もが失っていて、良かったと思っていた。


 サクラがハルのことを強く拒絶したのはそれが理由。

 あの温かさに身を投げ出してしまえば――きっと、全てを吐き出してしまう。

 この心を蝕む絶望を、自分以外にも背負わせることになってしまう。

 傷だらけの心に堅い堤防を築く自信が無かったのだ。


 しかしココにそんな拒絶は通用しない。

 問答無用で心の扉を開けてしまう、それが思念のクオリアだ。

 今のサクラに抵抗するほどの力は無い。


「…………いいの」 

 

「よみ、かわ……先輩……あっ」


 ボロボロのサクラを、ココはそっと抱きしめる。

 人の温かさに触れたのが、サクラは随分と久しぶりのように感じた。


「私にも背負わせて。もうあなたをひとりぼっちにはしたくないのよ」


 個人的な事情でこの力を使わない。

 自らに課したその戒めを、今日、ココは初めて破った。

 ただひたすらに、大切な後輩を助けたいから。

   

 サクラの腕が、ゆっくりとココの背中に回る。

 それを皮切りにしてココの瞳の光が輝きを増し――二人の意識が溶け合った。

 

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