83.サイクロトロン
持てる力を振り絞り。
新たな力までも引き出し。
そうしてようやくモンスターを倒した疲労困憊のサクラの頭上を、巨大な円盤が飛んでいた。
円盤――もっと正確に言えばUFOが正しいだろうか。
正確なサイズまでは計れないが、目測する限りでは高層ビルの屋上の面積の何倍もの大きさだ。
それほどまでに巨大な物体が音も無く飛行している。
「…………な、あ?」
思わず気の抜けた声が漏れる。
これまで錯羅回廊では数々の不条理に出会った。
モンスターもそうだし、現実のものとは思えない光景のオンパレードだった。
しかしこれは、違う。これまでの不条理が全て陳腐なものに思えるほどに、圧倒的な質量がそこにいるのだ。
呆然と見上げていると、細かな外見がわかってくる。
白銀の機体は底の浅い皿を二つ合わせたようなシルエットだ。
底部には水晶玉のような物体が突き出していて、半透明なその内部に目を凝らすと、なにかが見えた。
「…………エリちゃん…………!」
中には溶液が満たされているのか、気を失っているらしいエリが力の抜けた体勢で浮かんでいた。
それだけではない。何か白い建造物の残骸もエリと同じように収容されている。
どこか既視感を覚えたが、ここからでは細部を確認することはできない。
それより重要なのはあそこにエリがいるということだ。
おそらくはあの円盤がこの”ポケット”の主なのだろう。
ミズキの時も、主はポケットの元になった彼女を捕食しようとしていた。
どういった行動原理かは知る由も無いが、何となく――あれは消化の途中なのではないか、という直感が走った。
「いま行きます!」
時間が無い。
サクラは纏雷を全開にし、一気に跳び上がる。
先ほど戦った黒鉄のモンスターとの戦闘とは違い、後のことは考えなくていい。
悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、ビルとビルの間に発生させた磁場を使って一気に駆け上がっていく。
その時だった。
『敵性反応確認。クオリアを所持』
『パターン照合』
ギギギ、と錆びた歯車を回すような音がする。
円盤はその上半分と下半分をわずかに乖離させ、まるでシンバルのような形状へと変わった。
『システムオールグリーン』
『波動嵐 を 発動し ます』
シンバルの隙間から、莫大な暴風が撒き散らされる。
あまりの風圧に最後の音声だけ歪んで響いた。
「…………ッ…………!?!?」
回避、という選択肢を取るまでも無かった。
その単語が頭に浮かんだ時にはすでに地面へと叩きつけられていた。
パキン、とガラスの割れるような音。サクラを守るアーマーがあっけなく砕けた。
「くっ、あ……げほっ、げほがはっ!」
息を吸い込もうとして喉が詰まる。反射的に激しく咳き込むと、粘ついた赤黒い塊が口から溢れ出した。
口の端から伝う血を拭い、サクラはもう一度天を仰ぐ。
「今のは……エリちゃんの波動?」
だが規模が文字通り桁違いだ。
彼女の波動にここまでの攻撃力は備わっていなかった。
風速は速くとも、柔らかい空気の壁くらいの圧力しかなかったはずだ。
だが、あの円盤のモンスターのそれはまるで違う。
辛うじて聞こえた”波動嵐”という名称に違わない圧倒的な暴風。
サクラが試しにクオリアを発動してみると手に雷が走る。
おそらくクオリアを無効化する効果は据え置きなのだろうが、幸いにも効果時間が短いという欠点も引き継いでいるらしい。
だが、あれほどの規模では気休めにしかならないだろう。そもそもあの速度で爆風をぶつけられてはクオリアでの対処もろくにできないからだ。
「あんなの連発されてるだけで近づけない……」
円盤は再び待機状態に戻っている。
だがさっきと同じ轍を踏めばまた吹き飛ばされるのがオチだろう。
身を守るアーマーが無くなった今のサクラがもう一度空中から叩き落されれば、絶対に死は免れない。
アーマーは砕けない限りは時間が経つと回復していく。
しかし完全に砕かれた場合は、一時間ほど復活に時間を要するのだ。
仮にアーマーが元に戻るまで時間を稼いだとして、そこまでエリが無事でいる保証はない。
とにかく時間が惜しい。
立ち上がり、走り出そうとして――かくん、と膝が折れる。
上手く足に力が入らない。疲労と度重なるダメージで、サクラの身体はもう限界に近づいていた。
「動け動け動け動け……!」
震える足を何度も殴りつけるも、それで体力が戻るなら世話は無い。
サクラはそこで思い出す。動けないなら無理やり動かせばいいのだと。
「……いっつ……!」
ぱり、と全身に淡く光が宿り、同時に激痛が走る。
筋肉に電流を流し駆動させる纏雷なら疲労は関係ない。
終わった後は壮絶な揺り返しが待っているだろうが、そんなことを気にしている場合でもない。
再び立ち上がったサクラは手近なビルに入る。さっきの波動嵐でどこもダメージを受けているが、学園都市の建物の頑丈さも再現されているのか崩れるようなことは無さそうだ。
もはや跳び上がるかのような勢いで階段を駆け上がる。
あんな飛行物体をただ見上げていても進展はない。とにかく高い場所へ登って近づかねばならない。
だが、近づいてどうする?
(磁力と纏雷で無理やり近づこうとしても、また波動嵐で追い返されるだけ)
そうなれば一巻の終わりだ。
しかもあのサイズ、仮に取り付くことに成功したとしても生半可な攻撃では蚊に刺されたようなものだろう。
円盤のモンスターと対峙してわかったことがある。
それは、クオリア使いの心から生み出されたポケットの主には、元になったクオリア使いの性質が色濃く表れるということだ。
水のクオリアの使い手であるミズキのポケットには水を使うモンスター。
消滅のクオリアなら消滅の力を使うモンスターといった具合だ。
先ほどの波動嵐も、エリが使う波動の規模を極限まで大きくしたもの。
ならば身体に触れるだけでクオリアを無効化するという性質も持っているはず。
「あたしの雷は、きっと通じない」
つまり直接攻撃、それもエリを倒した時のように速度をつけての一撃を食らわせるしかない。
サクラはただ考える。
今の自分の力で波動嵐を突破しあの円盤を破壊するほどの運動エネルギーをいかに生み出すかを。
中途半端な速さではきっとあの波動嵐の風圧に負ける。
さっきまでのサクラは磁力の反発を使って空中を跳ねまわる要領で移動していた。
あれを応用できないか。反発を使って、さらなる加速を実現する方法。
もっと加速するためには、磁力の足場をまばらに作るだけではだめだ。
「もっとたくさん……そうだ!」
屋上への扉を開く。
目を焼く夕焼けに閉じそうになる目で、オレンジ色の空を見渡す。
あの円盤は――遠い。だが、高さに限ればほぼ同じ。
そして今からサクラがやろうとしていることを考えると、ある程度遠距離の方が好都合かもしれない。
「行きますよ、エリちゃん!」
纏雷の出力を上げ、稲妻のごとき助走を始め――屋上から飛び立つ。
円盤を見据えると、サクラの身体がひとりでに加速する。
恐ろしい勢いで、見えない力に背中を押されているように。
サクラはクオリアをフル稼働させ、自らを挟み込むような形で磁力のレールを作り出した。
自身にも磁力を付与し、磁場の相互作用によって自らを押し出す。
この時のサクラは寡聞にして知らなかったが、それはレールガンと似た仕組みだった。
『再度の敵性反応確認』
『対処優先度を二段階上方修正』
機械的な音声が円盤から響く。
同時に再びその機体が展開していく。
「邪魔しないでください! 今度こそ……!」
『出力を最大に設定』
「――――え?」
耳を疑った。
さっき放ったのが全力では無かったのか。
間に合わない。亜音速に達するサクラは、止まらない。
『システムオールグリーン』
『”波動嵐”を発動します』
先ほどとは比べ物にならない暴風がサクラを襲った。
とてつもない圧力だ。だが、吹き飛ばされることは無い。
波動嵐によってクオリアは無効化されレールも消滅したが、運動エネルギーだけは残っている。
これもエリを倒した時と同じ。
「エリ……ちゃん……!」
全身の皮膚が裂ける。血が噴き出す。
圧倒的な威力と速度、そして波動嵐の圧力で身体が壊れかけている。
だがここで退くわけにはいかない。この嵐を突き破り、エリの元へ辿りつくのだから。
しかし。
『敵性反応、依然距離を維持』
『第二波を追加します』
その音声に、思考が真っ白になり。
嵐の向こうから放たれた、もうひとつの嵐がサクラを紙屑のように吹き飛ばした。
「――――――――、ぁ」
少女の身体が空を舞う。
地上数十メートルの高さを飛んでいく。
だが、それでも。
「まだ……終わって……ない……ッ!」
全身ズタズタでろくに動かない。
空中に投げ出され、絶体絶命の中で。
その瞳が円盤を捉える。
サクラのクオリアだけは未だ尽きない。
心を源泉としたその異能は止まらない。
何故なら。
命が尽きない限り、サクラが諦めることなどありえないからだ。
口の中に鉄の味が充満する。
全身の感覚はもはやどこかに落として来てしまったらしい。
円盤のモンスターの放った”波動嵐”によって、サクラは上空数十メートルの地点を吹っ飛ばされている。
(今のじゃ駄目なんだ)
だが、状況に反してサクラの思考には冷静さがあった。
動揺や焦燥、恐怖に苦痛。それら全てを踏み越えて、ただ円盤を打ち砕く方法だけを考える。
磁力を使いレールガンの要領で加速した先ほどの突撃は波動嵐によって追い返された。
しかしおそらく方向としては間違っていない――正確にはこれ以上の策がサクラには思いつかない。
ならばもっと速く。そして強い一撃を放つ方法を探す。
(まず助走距離が必要。ならこの状況はあたしにとって好都合だ)
円盤との距離はどんどん離れていく。
この距離を使い、さらなる加速を実現する。
だが、まだ足りない。単純に遠距離から自分を射出するだけではまた失敗するかもしれない。
そう考えたサクラの視界に、高い電波塔が目に入った。
瞬間、纏雷を再発動させ、磁力と合わせてそこへ向かって跳んでいく。
「今度こそ……絶対に倒してみせる!」
失敗すれば間違いなく死ぬ。
だがサクラに恐れは無かった。
エリを助ける。その一心がサクラを突き動かす。
ぱり、と空中に電流が走る。
飛ぶサクラの軌道が変わる。
支点は電波塔。サクラはその支柱を中心に、ぐるぐると旋回を始める。
まずは自身と電波塔を磁力で繋ぐ。近づきすぎず、離れすぎないよう。
同時に、さきほど攻撃の際に使ったレールを、今度は電波塔を囲むようにして輪状に展開する。
その結果。
サクラの身体は電波塔を中心に旋回を始め、みるみる加速を重ねていく。
まるでロープの先に繋いだ錘を振り回すかのように。
「げほっ!」
血の塊を吐き出す。ぶちぶちと身体中の血管が破裂する音も聞こえた。
クオリアによる肉体強化を加味しても、急激なGと加速に身体が耐えきれていないのだ。
普通の人間ならとっくに赤い水風船のように破裂しているだろう。
倒せたとしても、その後死んでしまうかも、なんて可能性が現実感を伴って思い浮かぶ。
きっと今持ち堪えられているのは、クオリアの源たる想いの力の強さで肉体強化の倍率が極限まで高まっているせいだ。
「…………あはは」
サクラは笑う。
学園都市に来たときは、こんなことになるなんて思わなかった。
自分の中に眠る力がここまでのものだなんて思わなかった。
それでも、この力を誰かのために使えることが嬉しかったのだ。
「……今度こそ。待っててください、エリちゃん!」
支柱とサクラを繋ぐ磁力の糸が切れる。
瞬間、弾丸と化したサクラが放たれ、同時に円盤へと一直線にレールが展開される。
初速は先ほどとは比べ物にならず、そして助走距離は何倍も確保した。
おそらく時間にすれば一瞬の出来事だっただろう。
夕暮れの空を雷が駆ける。
円盤へと近づいていく。
『再度の敵性反応確認』
『対処優先度を十段階上方修正』
『システム確認行程カット』
『波動嵐、五重展開』
円盤は猶予の無さに気づいたのか、聞き取れないほど早送りの音声と共に途方もない暴風を撒き散らす。
今度こそ、周囲の建造物が粉微塵と化す。
だが。
「――――――――!!」
声にならない叫びが上空にこだまする。
拮抗は、しなかった。
雷の弾丸が圧倒的な嵐の壁を吹き散らし――そのまま円盤へと巨大な風穴を開けた。