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81.オードブル


「…………え」 


 渦に飛び込んだサクラは見覚えのある街並みに囲まれていた。

 空中を走るモノレールの軌条を乗り越えた夕焼けが、高層ビルの群れオレンジに染める。

 もはや見慣れてしまった風景が目の前に広がっている。


 一瞬、どうして自分がここにいるのか見失いかけたが、周囲の違和感に気づく。

 まず人がいない。夕方なら下校中の生徒などで溢れているはずの街中は空っぽで人の気配というものが一切感じられない。

 そして街並み自体もところどころ消しゴムで消されたかのように真っ白に欠け落ちていた。


 ここはクオリア使いの精神から錯羅回廊(さくらかいろう)内に作り出された空間、”ポケット”だ。

 このポケットの元となったエリの心から生まれたモンスターを倒さなければ元の世界へは戻れない。


「うう、広そう……どこまで続いてるんだろここ……」 


 学園都市は広い。

 徒歩で全域を探すとなると何日もかかる可能性が――いや。


「違う、ここはエリちゃんの心から作られてるんだからエリちゃんの知ってる範囲しか存在しないはず!」


 それでも広いが、かなり絞れた。

 とにかく走り回って探さなければ。


(早く見つけないと) 


 モンスターに狙われるのも危険だが、それ以前に強いショックを受けた今のエリを一人にはしておけない。

 自分が科学技術によって”製造”された人間だったなどと――今でもサクラには信じがたい事だが、ポケットが生まれた以上彼女の心が相当に傷ついていることは間違いない。

 その傷の一端を握っているのがおそらくサクラ自身であることも含め、出来る限り早く見つけねばと意気込んだ時だった。


「……あれ、いる……!」


 前方のビルの陰から歩いて出てきたのは間違いなくエリだった。

 全身に虹色のノイズを纏った彼女はふらついた足取りで、サクラに気づくことなく遠ざかっていく。

 

 良かった、とひとまず胸をなでおろす。

 早く追いついてモンスターから守らなければならない。


「エリちゃ――――」


『はーいストップ』


 響いた声に反射的に見上げる。するとそこには――空中に裂け目が生じていた。

 目の前の現象に呆然としていると、裂け目からさっき映像で見たばかりのボディスーツが落ちてくる。

 どういう技術なのか無音で着地した彼女は、ゆっくりとヘルメットの前面をサクラへと向けた。


『悪いけど足止めさせてもらうぜ!』


 びしっと指を差すとともにノリのいい合成音声。

 前回対面した時とは打って変わり、スマホの画面上に文字を打ち込むのではなく音声を使って会話しようとしているらしい。

 その軽薄な口調も先ほど見せられた映像と同じものだった。

 外見が分からないことも相まって、本当にサクラが出会った女性と同一人物なのか疑いたくなる。

 そんなふうに怪訝な視線を向けていると、


『んー、あー……このキャラもなんだか飽きてきちゃいましたねー。んじゃ捨てるか。ぽい』


 瞬間、様子が変わる。

 その言葉の直後から仕草・所作までもが様変わりする。


『……悪いけどお前を通すわけにはいかなくてね。通行止めってやつだ』


「そんなわけにはいきませんよ! どうしてこんなことを……!」


 噛みつくサクラに、ボディスーツの女性はため息をつくような挙動で肩を落とす。


『別に教えてやる義理は無いんだけどな。まあいいか……処分だよ』


「処、分?」


『空木エリは必要なくなった。そういうことだ』


 必要が無くなった? 

 処分?

 わけがわからない。


 エリが生きていて、誰か不都合なことがあるのか。

 またそんなふうに、彼女を世界から疎外するのか。

 どういう事情かは分からないが、腹の底から怒りが湧いてくる。


「ふざけないでください! 必要ないとか、処分とか……そんなの誰かが勝手に決めて良い事じゃないでしょう!」 


『それならあの子を助けるかどうかもお前が勝手に決めて良い事じゃないな』


「……それとこれとは話が違います。失うことと、存続することはまったく別のことじゃないですか。生まれた以上、誰にだって生きる権利はあるはずです」


『へえ、言い返すのか。こんな詭弁でもちょっと前までのお前なら黙り込んでただろうにな』


「どいてください」


『聞けない相談だ。だがまあ……とは言え、だ。お前を殺しちゃまずいんだよな』


 雇われってのは面倒だよなあ、とぼやきながら女性がスマホを操作する。

 すると、再び頭上に裂け目が開き――そこから何かが降りてくる。 


『なんで取りあえず九割殺しと行っとくか』


 それは、人型のモンスターだった。

 今まで見てきたモンスターとはかなり毛色が違う。

 身長2メートルほどの全身は光沢を放つ黒鉄。だが腕を動かし、感覚を確かめるように手を開閉する様からはしなやかさすら感じられた。

 頭部は西洋の兜のような形状で、顔はわからない――というか顔と呼べる部位があるのかどうかもわからない。

 だが、濃密な殺気が自分に向けて放たれていることを、サクラは理解した。


 今まで戦ってきた相手とはレベルが違う。

 第五層で戦った全身ケーブルまみれのモンスターにも劣らない迫力だ。

 あの時は自分の身体をも捨て石にし、無理やりリミッターを破壊することで何とか勝利した。


 だが今はそんな戦法は選べない。

 この黒いモンスターは、いわば前座なのだ。

 本命はこのポケットの主。エリを消さんとするそのモンスターを倒さなければ全てが水泡に帰してしまう。


「だったら!」


 全身に雷を流し、一瞬トップスピードに達したサクラは彼女らの横を駆け抜ける。

 こんな相手をまともに相手している場合ではない。一気に振り切って、追いつかれる前にポケットの主にたどり着く。

 その後は最悪全ての敵を同時に相手することまで勘定に入れる。

 

 その時だった。

 背後のモンスターの全身を構成する黒鉄の筋肉が――ブクリ、と不気味に膨張したのが見えた。

 直後、 とてつもない衝撃がサクラを襲う。


「――――――――かっ、は…………!?」

 

 耳をつんざく轟音がして、どこかの壁に叩きつけられた。その事象だけを理解した。

 息ができない。大きな手に首を掴まれている。

 目の前には、モンスターの姿があった。


「嘘……でしょ……っ」


 黒鉄のモンスターが行ったのは、駆け抜けるサクラに追いつき、首を掴み、手近なビルの壁面に叩きつけた。

 ただそれだけのこと。

 だがその事実は、このモンスターがパワーの面でもスピードの面でもサクラを大きく上回っているということを証明していた。

 

 モンスターの肩越しに、ボディスーツの女性が再び裂け目を作り出したのが見える。


『じゃあな。可哀想なお前に『いきなり出てきた敵に負けたから助けられませんでした』って言い訳をくれてやるよ――――ああ、どうせ全部忘れるんだからどうでもいいか』


 嘲るでもなく、ただ無感情に。

 ボディスーツは裂け目に飛び込んで姿を消し――後にはサクラとモンスターだけが残された。


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