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80.ずるい


 体育館のモニターに映し出された映像――いや、今やネット回線を通ってあらゆる場所へばら撒かれたその映像は、円柱型の培養器に浮かんだ成長途中の胎児。

 

『はいっ、ご覧いただいたのは”二年前”の空木エリちゃんです!』


 静寂。

 先ほどまであれほど喧騒に満たされていた空間には、誰の声も響かない。

 一人残らず映像の声――ヘルメットにボディスーツの謎の女性が発した言葉の意味を考えている。

 

 サクラの視線がゆっくりとエリへと向く。

 長い銀髪に、雪にも似た白い肌。人形のような顔立ちに浮かんだ赤い瞳。

 外見は間違いなくサクラと同じ年頃だ。どこからどう見ても。


 ならばあの映像はなんだ。

 あまりに荒唐無稽すぎて真偽以前になぜこんな映像をわざわざ流しているのか、という点に意識が向く。

 あたかも現実逃避でもするかのように。


『はいわかりますよー、二年でそんなに成長するわけないだろ!』 

『……と、言いたいんでしょう?』


 謎の女性はちちち、と指を振る。


『甘いんだなあ、学園都市の科学力を舐めちゃいけない』

『空木エリ――別名、検体番号Q00002は『デザイナーズベビー』と言うべき存在です』

『と言っても一般的な意味合いよりももっと先に進んだ感じなんですけどね。事前に用意した理想の人間の設計図の通りに”製造”された人造人間ってわけですー』

『そもそも受精卵からして人工的に作って遺伝子操作とか薬剤投与とか……まあ製造過程についてはどうでもいっか!』

『特徴としては色素の薄い髪や肌、特に赤い瞳がチャームポイントみたいです。まあ日光を浴びずに一気に成長したらそうなるんでしょうね。なるんですかね?』

 

 は、と息が漏れた。

 頭が追い付かない。


 デザイナーズベビー? 

 人造人間?


 信じられない……がしかし。

 サクラは知っている。

 この街の研究者が人道に反する研究を行っていることを。

 

 だがこれはなんだ。

 サクラの想像の域を越えている。

 命を――生み出した、のか。研究者たちは。


『成長促進剤投与によって数年で完成。脳に電極ブッ差して一般知識や戦闘技術その他もろもろインストール!』

『当然クオリアは狙ったものが発現するし、生まれた時から覚醒済みの人工ネイティブってわけですね!』

『いやーおっそろしー! 何のためにこんな技術開発したんでしょうねー、まあ私としては悪い使い方がぽんぽん思いついちゃうわけですが』


 底抜けに明るく、だからこそ吐き気を催すようなナレーション。

 同時にモニター上ではエリの製造過程が早送りで映されている。

 培養器の下部に表示された年月日は女性の言う通り二年前の四月からスタートし、今や一年が経過。

 すでにエリは六歳程度まで成長を遂げていた。


 こんな映像くらいいくらでも偽造できる。

 そんな声が頭の中に響く。

 だが展開されているのはあまりにも生々しい光景で、そんな逃げを許さない。

 今より幼い姿で薬液に浮かび、目を閉じ、頭のあちこちにコードが突き刺さっているあの少女は間違いなく空木エリだと直感が叫んでいるのだ。 


「なに、これ」


 さっきまであれほど祝福に満ちていた空気は、一瞬にして息もつけないどろどろとした澱みに変わった。

 心臓が暴れる。呼吸が上手くできない。

 客席のあちこちから悲鳴が上がる。ショッキングな映像に耐えられず気を失ってしまう生徒もいた。

 地獄のような状況に混乱する中、ここでやっとサクラは思い至る。

 遅かったと言ってもいい。あまりの衝撃に気づくのが遅れた。


 この状況で、誰が一番追い詰められているのか、ということに。


「エリちゃん……!」


 そばにいた彼女は、目を見開いて呆然としていた。

 白い顔を青くして、ただ映像に目を向けていた。

 サクラは慌てて肩を掴む。揺らす。

 

「エリちゃん、あれは……ダメです! 見ちゃいけません! こんなの全部嘘で――――」


 手が払われる。

 エリの手が、サクラの手を弾いたのだ。


「エリ、ちゃん?」


「あ   ああ  あ――――」


 顔を覆う。

 エリの脳裏に、いつか聞いた言葉が蘇る。


 ――――温かな家庭に生まれ、優しい家族に育てられ。


 家庭など無かった。

 家族も、いなかった。


 ――――辛い過去はあれど、彼女は周囲に恵まれた。

 ――――この学園に来て、様々な戦いを経て、サクラちゃんはたくさんの仲間や友だち、ライバルに恵まれた。


 辛い過去すらない。

 何も無かったのだ。

 ひとりぼっちだ。


 ――――もし彼女が傷つけば真っ先に助けに来てくれる人が何人もいるだろうね。


 いない。

 いない。いない。いない。


 いない!


「…………なんで?」 


 故郷など無い。

 親も兄弟もいない。


 記憶がない?

 当然だ。生まれたばかりの人間に、回想できる過去も過程もありはしないのだから。


「私には……なにも……無い……っ!」  


「…………!」


 サクラは息を吞む。

 エリの身体が虹色に輝き始め、その足元に同じ色の渦が生じ始めている。

 クオリア使いの昂った感情から錯羅回廊に生まれる空間……”ポケット”出現の前兆だ。

 

 その中には発生者の心から生まれた強大なモンスターが鎮座し、発生者がモンスターに殺されれば、その存在ごと抹消されてしまう。


「エリちゃん、エリちゃんダメです! 落ち着いてください! このままじゃ大変なことになります!」


「うるさい!!」


 突如生じた爆風に吹き飛ばされる。

 これは”波動”か。だがそれにしては威力が大きすぎる。そもそもあの技には物理的な圧力は介在しなかったはずだ。

 

「……ずるいよ、サクラは」


「え……?」


「サクラは何でも持ってる。私に無いものを全部持ってる。私が欲しいものを、当たり前みたいな顔して持ってるじゃない! そんなサクラに私の気持ちの何が分かるの――落ち着けって? これが、こんな、こんなの……落ち着けるわけない!!」


 エリは泣いていた。

 赤い両の瞳から涙を流して叫んでいた。

 

 それを見て、ああ、間違えたのだとサクラは実感した。

 何も見えていなかった。

 エリの苦しみ。エリの胸中にある空白を、一切慮ることができなかったのだ。

 独りよがりに自分が助けるなどと息巻いて、彼女の内に黒い感情を堆積させていたのは他ならぬ自分。

 

 そんな自分に伸ばせる手があるものか。

 そんな資格があるものか。


 目の前で少しずつ渦へ沈んでいくエリに、サクラは何もできない――――


「止まらないで!」


 観客席からそう叫んだのは黄泉川ココだった。

 沈みゆくエリを止めようと観客席を駆け下りるが、そこに本来のスピードは無く、普通の高校生レベルに留まっている。

 先ほどの波動は観客席までその効果を及ばせていたのだ。


 サクラがわずかに我に返る。

 無我夢中で手を伸ばす。

 だが、そのタイミングでエリは渦の下へと完全に沈んだ。

 間に合わなかった。


「…………諦めない…………!」


 地面を蹴る。

 跳躍した身体は一瞬遅れて渦に取り込まれ、あっという間に飲み込まれた。


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