77.運命の一戦
そんなこんなで若干気まずい一夜を過ごし。
それからの日々は、とにかく鍛錬の日々だった。
がむしゃらに取り組むのではなく、ひたすら空木エリに勝つための方策を練りながら。
《これ、空木さんの試合動画リスト。たぶん漏れはないはず》
《頑張ってね、サクラ》
SIGNに送られてきた銀鏡アリスからのメッセージと、添付ファイル。
エリは単に体術を鍛えただけで勝てるような相手ではない。
彼女の持つ消滅のクオリアへの対応も考えなければならない。
《ありがとうございますアリス先輩!》
《擦り切れるまで見ます!》
『がんばります』のスタンプを連打する。
先輩も応援してくれている。絶対に勝たなければと思いつつ、気がかりなことがひとつ。
それは自分が勝てるのかという不安――ではなく、エリのことだ。
(敵の心配なんて、って思われちゃうかもだけど)
ココとの訓練の合間、スポーツドリンクで喉を潤しながら、そんなことを思う。
しばらくエリとは話せていない。一緒に居ると、今回の件が共謀だと誤解されてしまうかもしれないからだ。
すでにそのような疑いを持つ者も散見されるが、わざわざそれを助長するわけにもいかない。
すれ違えばお互い挨拶くらいはするくらいで、ある程度意図的に距離を置いている状態だ。
「どうしてるかな、エリちゃん」
トレーニングセンターに来れば時たま姿を見かけるが、やはり声をかけるわけにはいかない。
彼女はいつもひとりで黙々と訓練しているのだろう。
そのことを考えると少し胸が痛む。気にしていられるほどの余裕は、本来無いのに。
とにかく、勝てばいい。
勝って、世に流れている風潮を少しでも取り除くことができれば。
そうすればまた前のように友達として共にいることができるはずだ。
『……エゴだなんて言わなくていい。誰かの助けになりたいって気持ちは間違ってない……と思うし、きっとそれに助けられてる人はいる』
見上げると、天井の白い電灯が眩しかった。
エリの言葉は、サクラの柔らかい奥の部分に深く突き刺さっている。
なんというか、許されたような気がしたのだ。
助けなければならないという”呪い”から助けたいという”エゴ”へと行動原理が変化しつつあるサクラだったが、だからと言って悩まないわけではない。
心臓を締め上げるような呪縛は無くなっても、エゴの押し付けになってしまわないかという葛藤がじりじりと胸の奥を焼き、サクラはどうしても大手を振って自らを肯定することができなかった。
だが、エリはそんなサクラを肯定した。
エリのことを本当に知ったのはきっと、その瞬間だったのだと思う。
彼女の心根の温かさに触れたからこそ、サクラは戦うことを決意したのだ。
だから勝たねばならない。
これ以上彼女が世界に押しつぶされることの無いように。
胸を張って生きていけるように。
在り方を否定されないように。
「さ、そろそろ再開しましょうか」
「……はいっ!」
ココの声に勢いよく立ち上がる。
そうしてひたすらに訓練を重ね――あっという間に二週間が過ぎた。
* * *
最条学園、第三体育館。
終業式が済んだ放課後、大勢の生徒がアリーナに詰めかけていた。
バリアで区切られた戦場に対峙するのは二人の少女。
天澄サクラと、空木エリ。
これから始まるのは正真正銘の真剣勝負だ。
「それにしてもあの空木って子、そもそもこの試合に本気で取り組む必要なんて無いんじゃないですか?」
観客席の銀鏡アリスがそう呟く。
彼女の言う通り、この試合はサクラがエリに勝つことでエリのクオリアが競技性を損なうものではないと証明するためのものだ。
つまり、エリとしては――あくまでも客観的には――負けた方がいい。
サクラの狙い通りに行けば、エリが大手を振って公式大会に出場できるようになるのだから。
そんな当然の疑問に、アリスの右隣に座るココは、
「空木エリが勝てば学園から多額の補填金が支払われるそうよ」
「ええっ、ズルくない!?」
ココのさらに右に座るカナが不満げにツインテールを揺らす。
だが、
「学園としても現状を放置しておけないのよ。大会に出られないとなると学園都市でキューズとしてやっていくのは難しいけど、空木さんはこの最条学園への転入が許されるほどの素質と実力がある。だけど問題の根っこを迅速に取り除くというのも現状難しいから、とりあえず本来大会に出場して得るはずだった金銭を補填してお茶を濁そうってわけ」
「組織の難しいところですねえ」
一言でまとめたアリスは眼下のアリーナを見つめる。
ウォーミングアップをする二人のうち、サクラは緊張している様子も無く、普段通りだ。
だが、もう片方。エリの方は。
(……気負ってる。ここからでもわかるくらい感情が漏れ出してるのが分かる)
焦りとも怒りとも敵意ともつかない感情を乗せた視線をサクラに向けている。
アリスの中のエリの印象は、サクラのために試合の動画を見たり、学園内で姿を見かけたくらいだが――少なくとも、もっと感情が乏しいように見えたのに。
ともあれ、あの様子なら補填金が無くとも手を抜くなどということは無いだろう。
「ふうっ」
あらかた筋肉を伸ばし終え、サクラはひとつ息をつく。
高い天井を見上げれば、撮影ドローンが何機も飛んでいる。新聞部のヒトミコが手配してくれた生配信用のものだ。
その上、二階の観客席にいる生徒たちが各々のスマホをアリーナに向けて生配信していたりもするのでこの試合は大勢の人間が目にすることになるだろう。
そんな観客席からは時折『がんばれサクラちゃーん!』『絶対勝ってねー』などという声援が飛んでくる。
サクラはそれらに逐一手を振って返すと、
「……手加減できないからね」
少し低い声で、エリがそう零した。
向き直ったサクラは衒いの無い笑みを浮かべる。
「はい! むしろそうでないと困りますからね!」
同ランクのサクラでも勝てるのだと――勝負になるということを証明しなければならない。
だからエリに手を抜かれては困る。ポテンシャルを存分に発揮してもらったうえで勝たなければ。
本来ならこの平坦な体育館ではなく、もっと様々なバリエーションに富んだ戦場を用意できる他の試合場を使うという手もあった。
例えばサクラがクラスメイトのミズキと戦った時のような山岳タイプの戦場なら、岩山を始めとした障害物を使うことで試合を有利に運べただろう。
しかしサクラはそうしなかった。
できる限り対等な条件――いやむしろエリに有利なくらいでなくては説得力が無くなってしまう。
「――――いな」
「え?」
「何でもない。始めよう」
小さく落とされた声を拾うことはできなかった。
だが、もしここで聞き取ることができていたら――と。
後のサクラは後悔することになる。
立ち合いの教師がブザーを構える。
広げた手を掲げ、その指を一本ずつ折っていく。
「私は負けない。あなたにだけは絶対に」
そして、指が全て折られた瞬間――ブザーが鳴り響く。
サクラとエリ。二人の運命を懸けた戦いが始まった。