76.タワーオブマンション
黄泉川ココの学生寮はタワマンだった。
何を言ってるのかわからないかもしれないが、事実サクラの目の前にそびえ立つのはきらびやかな高層住宅である。
「どうしたの? 行くわよ」
「は、はい……! あの、すごいところにお住みなんですね……!」
玄関のロックを解除しつつ、ココは「ああ」と今さらのように頷いた。
「他にお金の使い道が思いつかなくてね……」
と、自嘲気味に笑う。
部屋へ向かうまでに聞いた話だと、基本的に学園都市の学生寮は無料で住めるものの、自腹を割くことでこういった位の高い寮に入れるとのこと。ただし一定以上の生徒ランクなど、ある程度の条件を満たさなければならないらしいが。
この学生寮はAランク以上でないと住めないそうだ。
Aランク……つまり学園都市でも数少ない最上位の選手のみ受け入れている。よって部屋数に対して住民はかなり少なく、スペースの無駄遣いになっているのが現状だそう。
防音性の高さも相まって隣人を気にしなくていいのが利点かもね、と半ば冗談めかして話していると、27階にあるココの部屋へとたどり着いた。
「どうぞ」
「お、おじゃましま~す……」
鍵を開けたココに続き敷居をまたぐと、ふわりとラベンダーの香り。
靴箱の上に置かれたアロマディフューザーからだ。
内装は全体的にシックなデザインでまとめられていて、住人の気質が反映されているように思える。
「広っ」
思わず端的な感想が飛び出して、慌てて口を塞ぐ。
モノクロ調のリビングに出るとさらに開放感に包まれる。
壁面積の大半が窓に占められていて、きらびやかな夜景が良く見えた。
区画ごとの仕切りはほとんどなく、ダイニングや最新式のシステムキッチンまで見通せる。
見れば見るほどに気後れしてしまう内装だった。
(……似合ってるなあ)
だがココにはこれくらいがふさわしいとサクラは思ってしまうのだ。
肩まで伸ばした菫色の髪。小さな頭と見蕩れてしまうほどに精緻な顔立ちに、すらりと長い手足。雪のように白い肌。
氷のような表情は近寄りがたいとも言えるが――まさにクールビューティーという概念を擬人化したかのような完成された外見。
その上、サクラは知っている。彼女の内面には溢れんばかりの優しさが備えられているということを。
様々な偶然が無ければ一生関わることが無かったであろうタイプの人だ。
そんな黄泉川ココはリビングの中心へと歩いていく。
そこには少し不釣り合いにも見える大きなクッションがあって――――ぼすっ、と。
サクラの目の前で、ココはそのクッションに身体を投げ出した。
「あ゛ーー…………」
「………………………………………………」
オブラートに包まず言えばだらしないその姿に対し、サクラがとったのは沈黙。次に呼吸を止めた。
ここにいることを悟られたくなかったからだ――むろん、そんなことに意味は無いのだが。
”あの”黄泉川ココが、着替えもせずにクッションへと身を預け、気の抜けた声を吐き出している。
見てはいけないものを見ている気がした。それはあたかも、厳格で通っている教師が飲んだくれて道端で倒れているところを目撃してしまったような。
(え……っと……これどういうこと? 先輩、あたしがいること忘れてないよね?)
ごくり、と生唾を飲み込むと同時、頬に冷や汗が流れ――とにかく見なかったことにしてしまおうと決めた瞬間、目の前のココが倒れたまま肩を跳ねさせた。
静寂が続く。うつぶせになったその姿をよくよく見ていると、だんだんと耳が赤くなっているのが分かった。
「…………」
ココがむくり、と起き上がる。
そのまま無言で歩き、高そうな黒革のソファの隅に腰を沈めて足を組む。
「違うのよ」
目が合わなかった。
日本画に描かれた美女のごとく横を向き、気まずそうに申し開きをしているのが、学園都市でナンバー2の座をほしいままにする黄泉川ココだった。
「違うの。その……うちに人を呼ぶなんて初めてだから、いつもの感じで、こう……ついね」
そう言えば、と思い出すのは彼女の能力。
思念のクオリアを持つココは、周囲からその能力を恐れられ距離を置かれてきたという。
実際のところみだりに人の心を読むなんてことはしないが、いたずらに怖がらせないために彼女は他人と距離を置いている――そうだ。
そう考えるとココの言い分も納得できる。
「な、なるほど! つまり先輩は普段そういう可愛い感じなんですねっ!」
「…………もう勘弁して…………」
とうとう顔を覆ってしまったココに、サクラはおろおろするばかり。
どうしたものかと困り果てていると、長いため息が聞こえた。
「……色々とね。外にいると気を遣うのよ。この寮に住んでるのだって周りに人が少ないからだし」
憂いを帯びて伏せられた目に、長い睫毛が影を落とす。
サクラには想像もできない。その異能を持っているだけで忌避され、遠巻きにされ、悪役にされてしまう――そんな人の気持ちなど。
(あたしは……自分に対してそうだった)
自らに芽生えた異能が疎ましくて、恐ろしくて。
部屋に閉じこもり人を遠ざけた。
「あたし、先輩がすごく優しい人だって知ってます」
ココのそばにしゃがみ込み、じっと見つめる。
視線の先にある瞳が濡れた輝きを放ったように見えた。
「生徒会に誘われた時も、体調を崩しちゃったときも、今日だって――たくさんたくさん優しくしてくれました」
「天澄さん……」
「先輩は人のことを心から思える人です。先輩の辛さを理解しきることはできませんけど……それだけは知ってます。だから、もしよかったらなんですけど、あたしのそばだけでも安心できる場所にしてくれたらって……えへへ、ちょっと調子乗りすぎかもですね」
不思議な気分だった。
ココにとってサクラはただの後輩で、気にかけるのは当たり前で――いや、しかし。
よく考えてみれば最初から気になってはいたのだ。生徒会室で出会った時ではなく、あの異空間――錯羅回廊でサクラの存在を補足した時。
彼女は友達のために、自分の命を懸けて戦った。
死に瀕していてなお、友達の身だけを案じていた。
それはきっと善性というもので、しかし危なっかしくもあって。
だから、目が離せなかったのだろう。
そして、強力がゆえに持ち主を悩ませる思念のクオリアを欠片も恐れずに笑顔を向けてくれたあの時も、今と同じ不思議な感覚を感じていた。
心臓が高鳴り、足元がふわふわして――どうしていいのか、わからなくなる。
(安心できる場所だなんて……そんなのとっくに……)
先ほど晒した醜態だって、自室に招いたのがサクラだったからというのは大きいのかも、と自己分析する。
いくら自宅だからと言って、他の子相手ではこうはならない。
それはきっと、サクラが言いだすまでも無く。
『この子のそばでは気を張らなくていい』という意識が少なからずあったということ。
こんな気持ちになったのは初めてだった。生徒会の面々とはまた違う――どうしてかは、まだわからないが。
「あ、あの……大丈夫ですか? 良かったらあたしのおっぱい揉みますか?」
「……………………」
人が優しさに浸っているときに、何をふざけたことを抜かしているのか。
少しばかりイラッとしたので、むぎゅ、と。
「ひゃっ」
望みどおりにしてやると、普段よりも高い声を出したので思わず手を引っ込める。
「じ、自分で言い出しておいてなんなのその反応」
「いや、その……は、初めてだったので」
「そ、そう」
気まずい。
なんだろうこの空気は。この状態で一晩を共にするのだろうか――と。
頭を抱えたくなるココだった。