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72.光の作る影


 空木エリの大会への出場禁止。

 そのための署名運動が行われている――それがSNS上の現実だった。

 

「カナちゃん先輩……これ、何ですか」


 サクラの零した呟きに、カナはわずかに眉を上げる。

 いつも天真爛漫な彼女からは考えられないほど冷え切った声色だった。

 

「……見てのとおり。一部の人たちがエリの公式戦出場に反発してるみたいねえ」


「そんな! エリちゃんは何も悪いことなんてしてませんよ!」


「そうかもね。でもそう思わない人も居るってことじゃないの?」


 エリの言う通り、現実としてこの運動は起こってしまっている。

 署名の数も、すでに数百に達しているようだ。

 自分のスマホでいろいろと調べてみれば、この署名運動の是非――ひいてはエリという少女自体の是非を問う議論が様々な場所や形で交わされている。

 

「そういう人たちが問題にしているのは、そのエリって子のクオリア。消滅のクオリア……問答無用に相手のクオリアを無効化する力だっけ?」


「はい……あたしも一度戦ったんですけど、ほとんど何もできずにやられちゃいました」


「原因はそれっぽい」


「それっぽいって?」


 カナはわずかな逡巡を見せてから、ため息交じりに言う。


「勝負にならないから――だそうよ」


「……勝負に、ならない」


 そう、とカナは頷く。

 エリの力は相手のクオリアを無力化するのに加えてクオリア由来の肉体強化までも剥がしてしまう。

 つまり、純粋なフィジカル勝負に持ち込まれてしまうのだ。

 そしてエリは問題なく肉体強化が作用したままなので、以前エリと試合をしたサクラが簡単に抑え込まれてしまったように、一方的に勝負が決することになってしまう。

 それは、格闘技の試合に片方だけ武器を持ち込んでいるようなものとも言える。


「まあ、私たちの試合って結局は見世物だから気持ちはわからないでもないんだけど……ちょいちょい、睨むな睨むな。そうだとしても署名(これ)はやり過ぎだってば」


 カナは”人に魅せること”を何より重んじる。

 見た目を着飾り、SNSで積極的な活動をする。

 そして鍛えた技や力を試合で見せつけ、人々を楽しませるのだ。

 

 それはカナに限らず、大小差はあれどほとんどのキューズはそういう振る舞いをしているし、それを求められている。

 実際、サクラも最近SNSを始めてファンとの交流を細々と続けているわけで。


「……ひどいです、こんなの」


「そうね。普段の行動や言動で炎上するキューズなんて特に珍しくも無いけど、この運動に正当性は乏しいと思う。その上エリみたいな最条学園のキューズともなれば注目度もエグいだろうし、息がつまるでしょうね」


「そうだ、エリちゃんはこのこと知ってるんでしょうか……! 行かないと」


 そこまで言って、書類整理の手伝いを頼まれていたのを思い出した。

 もどかしい想いで立ち止まると、カナがシッシッと手を払う。行って来い、ということだろう。


「ありがとうございます! それじゃあ行ってきま……そうだ、先輩。ちょっと失礼なことを聞いても良いですか?」


「なあに?」


「カナちゃん先輩なら、エリちゃん(あの子)に勝てますか?」


 その問いに、カナは自信に満ちた笑みを浮かべる。


「愚問ね。100回やっても負けないっての……私らのランクにはあれくらいの”理不尽”は配り歩くほど蔓延ってるんだから」 


「さすが――それが聞けて良かったです」


 サクラは生徒会室を飛び出した。

 向かう先はもちろん、エリのもと。

 

 彼女との距離感は、いまだわからない。

 近づくべきか。遠ざかるべきか。

 だが、この件に関しては放っては置けない。

 誰かがどうにかしなければ、彼女の居場所がまた無くなってしまう。




 * * *




 私は何者なのだろう。

 自立型の格闘人形と延々組手を繰り返しながら、エリはそんな問いを投げかけ続けていた。


 生まれてから良いことなんて全然無かった。

 何もかもわからず、ただ白衣の言葉を鵜呑みにして実験・検査の日々。

 それが当たり前。それが人生。

 そう思っていた。思いたかった。


 だが『これは違う』と理解していた。

 一般的な知識はエリの頭に残っている。そこには様々な家庭の形も記憶されていて、それらと比べて自分の送る生活が異様だということは簡単に想像できる。


 そうだ。

 あのサクラだって話していた。

 母親との何でもない会話。


 それが私には、無い。

 覚えていない。

 生まれも育ちも故郷も、何もかも。

 『空木エリ』だって本当の名前とは限らない。


「……ああああっ!」


 首を狙って伸びてきた人形の腕を避け、心の中に溜まった澱を振り払うように渾身のカウンターを顔面に決める。

 がくん、と人形から力が抜け、項垂れる――だがすぐにまた起動する。

 ここは最条トレーニングセンターの地下にある一室。

 格闘訓練用の人形を相手にしたスパーリング。

 

 それくらいしかやることがない。

 何しろ、今エリは――――


「やあ」


 突然響いた声と同時、目の前の人形が停止した。

 誰だ、と思って声の方へ目をやると、自分より幼い見た目の少女が年齢に似合わないアルカイックスマイルを浮かべている。


「……邪魔しないで欲しいんだけど」


「これは失礼。ただ、学園長としては一度君と話がしてみたくてね」


「学園長……?」


 エリはその少女――学園長を胡乱な目で見つめる。

 流れるような金髪に、雪のように白い肌。整った外見に搭載された……年の功だろうか、並々ならぬ重みが合わさり異様な存在感を放っている。

 

 入学時には会わなかった。

 手続きなどは別の教員と行われたからだ。

 

「君のことが心配だったんだ。記憶喪失の上に出自が分からない。そして……君のいた研究所は職員ごと消失、だったか。心中察するにに余りあるよ」


「良くご存知ですね」


「これでも顔は広くてね。大体の情報と、あとはそれらを組み合わせた推理だよ。君の反応を見ると正解だったようだが……辛かったろう」


 一転して慮るような視線。

 その瞳に宿る温度は、どこかサクラに近いものだった。

 

「それで提案なんだが――どうかな、私が面倒を見ると言うのは」


「お断りします」


「おや、どうしてだい?」


「大人は信用できない」


 敵意。不信。

 エリの目に宿るのはそんな感情。

 そんなものをぶつけられても理事長はわずかにも揺るぐことなく笑みを浮かべ続ける。


「そうか。君は研究者たちに……それはそうなるか」


「それに初対面の相手に名乗らない人は信じちゃダメらしいし」


「確かに君の言う通りだね。なら、名乗らせてもらおう」


 理事長は芝居がかった仕草で腕を広げる。

 まるで舞台に立ち、大勢の観客へと訴えかけるように。


「私の名前は最条アラヤ。よろしく」


 差し出して来た手を見下ろす。

 小さくみずみずしい手だ。理事長というポストに座れる年齢はまるで感じさせない。

 クオリアの力だろうか。それとも学園都市で発達した科学の力で若さを保っているのか。

 それはわからないが、触れればわかることだ。

 消滅のクオリア。他人に触れればその間永続的に相手のクオリアを無効化する。


「空木、エリです」


 握手を交わす。

 だが何も起こらない。

 目の前の女がいきなりしわくちゃになったり、輝くような金髪から色が抜けるなんてことも無かった。

 手を放しても、何も変わることは無い。 


「うん。まあ断られてしまったわけだけど……私は生徒のためなら身を粉にして努力する所存だ。君の境遇は正直言って苦難にまみれていると言ってもいいからね」


「私は……そうは思いません」


「……そうか。まあ、大事なのは本人がどう感じるかだしね。しかし――君の友人。サクラちゃんは恵まれていると思わないかな」


「どういうことですか?」

 

「温かな家庭に生まれ、優しい家族に育てられ。辛い過去はあれど、彼女は周囲に恵まれた。この学園に来て、様々な戦いを経て、サクラちゃんはたくさんの仲間や友だち、ライバルに恵まれた。もし彼女が傷つけば真っ先に助けに来てくれる人が何人もいるだろうね」


 思わず押し黙る。

 羨ましいと思ったことが無いと言えば嘘になる。

 サクラと出会ってから一週間、彼女はいつも人に囲まれていた。

 だが、


「……それは恵まれているんじゃなくて、彼女が勝ち取ったものでしょう」


 いつだって笑顔で、誰かが困っているなら率先して助けようとする。

 そんなサクラだから人が集まるのだ。

 それを恵まれているの一言では片付けたくない。

 間違いなく、それはエリの本音だ。


「そっか……ふふ、意地悪を言ってごめんね。君とサクラちゃんがどの程度仲良くなったのかを試したかったんだ。許してくれる?」


「……どうでもいいです。私、感情無いので」


 そう言った途端、かすかな足音が耳朶を震わせる。

 何となく、”彼女”だろうなと直感した。


「噂のあの子が来たみたいだ。年寄りはそろそろ退散するよ――この街の主役は若人だからねえ」


 そう言ってトレーニングルームを出る。

 閉まるドアを、エリはじっと見つめていた。


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