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68.自由ってそういうことさ


 エントランスに他の寮生が入ってくる。

 他の学校の生徒らしい彼女は自動ドアに挟まれた狭いスペースでたむろするサクラとエリを一瞥し、ロックを解除して通った。


 エリに聞いたところ、下校して寮へ直行したものの、自分のリミッターでは寮のロックを解除できなかった。

 そこで管理人へ電話したところ、何の連絡も受けていないとのことだった。

 何か連絡が滞る事情があったのか。それとも手違いか。

 少なくとも、エリが見せてくれたメモにはサクラの住む寮の名前が書いてあったが。


 不審に思い元いた研究所に電話をかけてみたが、連絡がつかなかったそうだ。

 傍らのエリを見ると、彼女は赤い瞳でどこを見るでも無くぼんやりしている。

 その姿は彼女の言う通り、無感情に見える。だが、もしかしたら感情を出す方法を知らないだけなのではないか、とサクラは感じた。

 何も感じていないとは思えなかったのだ。

 

「最初の記憶は真っ白な部屋。目覚めたら白い服の人がたくさん行き交ってて、その中のひとりが話しかけてきた。今日から我々があなたの母親です、って」


 その研究者たちがすべての手続きをしたそうだ。

 サクラと戦った大会の参加届も、最条学園への転入も、そしてこの寮への手続きも。


「最初の記憶って……エリちゃんってもしかして、その前のことは何も覚えてないんですか?」 


 こくり、と頷くエリ。

 信じられないいきさつに眩暈がしそうになる。

 エリの本当の親は。故郷は。どうして研究所で目覚めたのか。

 考えれば考えるほどにこみ上げてくる嫌な想像を、サクラは気づかれないように抑え込む。


 記憶喪失。それが現実のものとして起こるなんてサクラは想像だにしていなかった。

 だが、彼女の話を聞いていると、わずかだがはっきりとした不安がよぎるのだ。

 エリを『管理』していたのが研究者ならば、考えたくはないが投薬によって記憶を消されている――という場合も考えられる。


 悪い予感を生唾と共に呑み込み、サクラは話を変えることにした。

 もう陽はほとんど落ちてしまい、夜へと移行しつつある。少なくとも今日彼女が寝床にする場所を確保しなければ。

 その『母親』だという研究者たちや、ひいてはエリが目覚めた場所――おそらくどこかの研究所だろう――の元に帰すのは間違っているような気がした。


「……わかりました! とにかく今日の寝床は心配しなくていいですよ!」


「え?」 


 きょとん、と首を傾げるエリに、サクラは豊かな胸をドンと叩いた。


「あたしの部屋に泊まればいいんです!」




 * * *




 学生寮によっては部外者を入れることが禁止されていることもあるらしい。

 サクラの寮はそういった禁止事項が無く、運が良かったと言えるだろう。


「学園都市にはホテルを始めとした宿泊施設もあるんですけど、生徒が利用する場合は担任の先生に事前に許可を貰ったりしないとダメなんですよ。大抵は遠くの会場の大会に参加する時なんかに前日から現地入りしたりするために使うんだとか」


「……えっと、聞いてもいいかな」


「なんでも聞いてください!」


「私たちはどうしてここに来たの?」


「もちろんお鍋の具材を買うためですよ?」


 楽しそうに鼻歌を歌いながらカートを押すサクラ。

 二人は寮近くのスーパーマーケットを訪れていた。

 冷房の効いた店内には、遅い時間ゆえか客がまばらに行き交っている。


「まだあなたの部屋に泊まることについても飲み込み切れてないんだけど……」


「今日くらいは飲み込んでほしいです。……研究所に連絡はつかなかったんですよね?」 


「……まあ」


「総谷先生には明日またお話するとして、今日くらいはあたしを頼ってください」


 釈然としないエリだったが、助けを求めたのは自分なので何とも言えない。

 そもそも、どうしてあの時サクラの足を掴んでしまったのか。

 

(わからない……)


 あれほど周りの人間を警戒していたのに。 

 だからこそクラスメイトに囲まれても冷たい態度しかとらなかったのに(これに関しては本人のコミュニケーション力の問題が大きい)、サクラにだけは助けを求めてしまった。

 一度試合で顔を合わせたからか。それともめげずに関わり続けてくれたからか。

 藁を掴まねばならないほどに困っていたのか。それほどに追い詰められていたのか。

 

 違う。

 そんな筈はない。

 だって。


 ――――あなたには感情が無いのよ。


「エリちゃん?」


「…………っ、なんでもない」


「そうですか。あっ、マンゴーとドラゴンフルーツがありますよエリちゃん! どっち買います? どっちも買います?」


 ぱっと顔を上げるとサクラは南国のフルーツを両手に持ち、ためつすがめつしている。

 思わず何度か瞬きを繰り返す。この女は一体何を作ろうとしているのだ?


「ちょっと待って。今日って鍋を作るんだったよね」


「はい、お鍋ですよ!」 


「なに鍋?」


「常夜鍋っていうらしいです。あ、エリちゃんはぽん酢は大丈夫ですか? ごまだれも買っていきましょうか」


「……………………」


 エリは無言で二つの果物を奪い取り、売り場に戻す。

 警戒していた自分が馬鹿らしくなってくる。この子は本当に何も考えていないのだろうか。

 どうしてフルーツに目を奪われているのだ。

 

「常夜鍋でしょ。具材は私が選ぶからカート押してて」


「……えへへ」


「なんで嬉しそうなの……」


「ちょっと元気出たみたいで、嬉しくて」 


 その笑顔に嘘はないと、記憶がなく対人経験に乏しいエリでも一目でわかった。

 それくらい裏の無い表情だった。

 本当に変な子、と今度は声に出さずに呟く。


「おや天澄さま。と……空木さま、でしたか」


 聞き覚えのある声に振り向くと、そこに怜悧な美貌を湛えた女性が立っていた。

 灰色のロングヘアーに薄手のサマーワンピースを着ていて、クールな表情と合わせて涼し気な印象を与えてくる。

 誰だろう、と一瞬疑問を浮かべるサクラだったが、


「ああ、この恰好ですとわかりませんか。メイドですメイド」


「あー! 私服だとイメージ変わりますね! すごく似合ってます!」


「恐縮です」  


 うやうやしくお辞儀をする所作は美しく、あまりスーパーにはそぐわない。

 それこそいつものメイド服を着て宮廷にでも立っていればあつらえたように馴染むことだろう。

 ただ、顔を上げたメイドはどこか所在なさげだった。


「……ここはわりと穴場だと思っていたんですけどね。まさか天澄さまも利用しているとは」


「あはは、料理をするようになったのはつい最近なので。ちょっと前まではここにスーパーがあるってことも意識してなかったです」


「なるほど自炊ですか。それはいいことですね。さておき――どうして空木さまとご一緒に?」


 切れ長の目をエリに向けると、当の彼女はささっとサクラの後ろに隠れる。

 そんな様子にサクラは苦笑する。やはり他人への警戒心は人一倍らしい。


「ちょっといろいろあって、家に泊まることになったんです。これから鍋パなんですよー」


「……夏に鍋ですか」

  

「『夏に鍋を食べてもいい。それが自由ってことだよ』ってお母さんが言ってました! あたしもそう思います!」


 なるほど、と適当に頷いたメイドだったが不意に手首のリミッターで時間を確認した。

 サクラもつられて見ると、閉店時間が迫ってきている。


「……そろそろ買い物に戻ります。ではまた明日」


 二度目のお辞儀をして踵を返そうとしたメイドだったが、


「はい! アンジュちゃんによろしくです、マドカちゃん!」


 ぴたり、と足が止まる。


「……はい?」


「え?」


「あの、今マドカって」


「はい、仕崎マドカちゃんですよね? あれ、もしかしてお名前間違っちゃったとか……?」


 わたわたと慌て始めるサクラに、マドカは衝撃を受ける。

 名前を呼ばれるのは久々だった。親ともしばらく話していないし、アンジュにはメイドと呼ぶよう言い含めてある。 

 それは従者として”個”を殺すためだ。メイドはメイド、それ以上でも以下でもない。

 そんな振る舞いを貫いているので、クラスメイトを始めとした周囲の人間にもメイドと呼ばれ続けており――実際、アンジュ以外で名前を覚えている者は担任の総谷くらいしかいなかった。


 だが、ここに一人いた。

 仕崎マドカと言う名前を、このメイドの名として認識している少女が。


(…………なるほど、お嬢様。あなたの気持ちがちょっと理解できます)


 難儀な人を好きになりましたね、と声に出さずに呟く。


「いいえ、合っていますよ。ですが――――」


 私のことはメイドとお呼びください。

 そう言おうとして、飲み込んだ。


「マドカちゃん?」


「……いえ、なんでも。それでは失礼いたします」


 少し足早にその場を去るマドカの背中を、サクラは不思議そうに見つめていた。 


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― 新着の感想 ―
[良い点] アンジュちゃんとメイドさんの関係性めちゃ好き……
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