63.地に足をつけて
「「大会で気をつけること?」」
「はい! 先輩方にご教授いただけたらと!」
授業が終わり、昼休みに入った食堂はいつものように賑わいを見せている。
その一角で、サクラが偶然通りがかったテーブルに生徒会の先輩である銀鏡アリスと花鶏カナがいたので、こうして訊ねてみた次第である。
アリスの隣が空いていたので、サクラは素うどんの乗ったトレイを置いて座る。
「そうだね、銀鏡は事前にいつも大会要項とかレギュレーションとか確認してるよ。特殊なルールだったりすることもあるし……当日気づくとめんどいことになるからねー」
箸で器用に焼き魚を切り分けつつアリスが答える。
几帳面な彼女らしい考え方だ。面倒だからこそ、あらかじめ準備を怠らないということなのだろう。
「確かにそうですね……出る大会が決まったらちゃんと確認しておきます!」
「うんうん、サクラはえらいね」
「えへへ」
頭を撫でられる感触がくすぐったい。
アリスからサクラへの接し方は、この前戦ってから露骨に甘くなった。
態度の変化に戸惑う気持ちもあったが、サクラとしては嬉しい限りだった。
「カナは当然宣伝ね。SNSでファンに呼びかけて客をガンガン集めるのよ」
「サクラ、この子の言うことは聞き流していいからね」
「ちょっとアリス! カナちゃんちょー真面目に言ってるんですけど!」
「とか言って、君の厄介ファンたちが客席で騒ぎすぎてプチ炎上してたじゃん」
「くっ……忘れようとしてたことを……」
人気キューズが出る大会ともなると、多くのファンが詰めかける。
カナのファンは熱量の高さやそもそもの母数もあって問題行動を起こすことも少なくないらしい。
そのたびに……というか定期的にカナが控えるよう呼びかけているのだが、効果は芳しくないようだ。
「カナちゃんなんにもしてないのに好き勝手言われてほんと悲しいわ……」
「……まあ、それが人気商売だからさ」
「大変なんですね……カナちゃん先輩すっごくいい人なのに!」
「天澄は良い子ね。カナのは極端な例だけど、SNSで宣伝して固定ファンを作っておくのが大事ってのはホント」
カナはピンクのうさぎカバーのスマホを取り出し、自分のSNSを立ち上げた。
フォロワー数は六桁半ば。それが多いのか少ないのかサクラにはわからなかったが。
「大会には投げ銭システムがあって、現地の観客や動画で配信を見てる視聴者は、応援してるキューズが獲得できるファイトマネーを上乗せできるのよ。だからファンが多ければ多いほど……お金を稼げる!」
「うわあ……」
拳を握って力説するカナだったが、対面のアリスはドン引きしていた。
カナは取り繕うように咳ばらいをすると、
「……ま、自分を応援してくれてる人を意識するってのはモチベ的にも大事だから。食べ終わったら天澄もアカウント作りなさいよ」
最後に真面目なことを言うカナに、どちらが本音なのだろう……と思いつつ、素うどんを食べ終えてスマホを取り出す。
まだ慣れない操作に戸惑いながらも二人の手ほどきを受けて何とかSNSのアカウント作成に成功した。
「ふう……! これでよし」
「まだまだ。まずフォロワー増やさないと。まずはプロフィールから仕上げていきましょう」
「こんな感じでいいですか?」
サクラの見せたプロフィールには『みんなに希望を与えられるようなキューズになりたいです!』と書かれている。
それを見たカナは何か思うところがあるのか、唇を尖らせた。
「嫌いじゃないけどこれじゃフォロワーは増えないと思う。そうね……」
画面から顔を上げたカナはサクラをじっと見つめる。
その視線はサクラの顔からどんどん下がっていき、女性らしい曲線を描く胸元で止まった。
「谷間がっつり見せたタンクトップ姿を自撮りしてアイコンとヘッダーと固定投稿に設定した後プロフィールに『現役JK1です♡』って書けばフォロワー数なんてもうドッカンドッカンのワーワーよ」
「おい色魔。カナが言ってるのは裏アカとかそっちの伸ばし方でしょ」
「……ふーん? いやに詳しいじゃない」
細められたカナの目から繰り出された指摘に、アリスはしどろもどろに取り乱す。
「い、いやカナをフォローしたらそういう界隈の人たちがいっぱいおすすめに出てきて、興味本位でフォローしたりとかいろいろ……た、ただの好奇心だからね!?」
「語るに落ちたわね! やーいこのスケベー」
違うんだってば! とかしましいやり取りを眺めつつ、慣れない手つきでスマホを触っていると、いきなり通知が。
見慣れないマークだったが、今しがたアカウントを作ったばかりのSNSのものだとすぐに気づく。
なんだろうとタップしてみると。
「あれっ」
そこには『山茶花アンジュさんがあなたをフォローしました』と表示されていた。
実にアカウント作成から五分ほどの出来事だった。
* * *
月の光が差し込む部屋。
ベッドの中で、サクラはいつもより熱を持つスマホを見つめていた。
液晶画面の上部には時折通知のポップアップが躍る。
明日出る大会の情報を投稿したら、それがカナによって拡散されたのだ。
多くのフォロワーを要するカナが注目する新進気鋭のキューズという触れ込みは想像より影響力を持っていたようで、シェア数もアカウントのフォロワー数も中々の勢いを伴って伸びていく。
これだけの人間が自分に注目している。カナの働きかけだけではなく、最条学園のネームバリューも手伝ってのことだろう。
この注目のほとんどは、自分の力ではない。
《緊張してない?》
先ほどからSIGNでのトークを続けていた相手――ハルからの通知が来る。
明日の大会のことを気にしてくれているのだろう。
ハルは優しい。
ずっと自分のことを気遣ってくれている。
間違えば叱ってくれる。弱さを受け止めてくれる。
《大丈夫です! ありがとうございます!》
《(シャドーボクシングするリスのスタンプ)》
返信してスマホを顔の横に伏せた。
胸の奥がぎゅっと締め付けられ、息を吐いて天井を見つめる。
ハルと出会わなければどうなっていたのだろう。
少なくとも今、ここにいないことは確かだ。
もしかしたら実家に戻ってまた引きこもっていたのかもしれない。
そうなれば、もう二度と這い出ることはできなかった。
ハルだけではない。
様々な出会いに助けられ、導かれ、サクラはこうしてなんとかやって来られた。
本当に恵まれている。
「……ひとりで何もかも頑張る、なんて……あはは。最初からできてなかったくせに」
諦めたようなことを言いながら、清々しい気分だった。
人はひとりでは生きられない。
それは物理的な意味でもそうだし、社会的な意味でもそうだし、精神的な意味でもそうだ。
この力で皆に希望を与えたい。
苦しんでいる人たちが、明日へ進む活力になりたい。
その想いは今も強く強く、サクラの芯になっている。
そんな荒唐無稽な願いは、少しずつ輪郭を確かなものにしている。
ぼんやりとした夢を語るのではなく、筋道を立てて至る目標へと変わりつつあるのだ。
大会に出ればファンが増える。
人目にもつく。
多くの人々へクオリアで影響を与えたいなら、その道がきっと最短距離だ。
《ハルちゃん あたし頑張ります》
《うん》
《見守ってるよ》
チャンスは貰った。後はそれを活かせるかどうかだ。
明日はきっと、サクラにとって大きな一歩になる。