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61.ちょっとだけ


 重い瞼を開けると白い天井が目に入った。

 

「……保健室?」


 ぐっと身体を起こす。

 どうやら眠っていたらしい。

 何をどうやってここに来たんだったか……とサクラは回らない頭で考えるもいまいち判然としない。

 

「先生! 天澄さん起きた! 起きたっす!!」 


「うわびっくりした」


 すぐ隣、ベッドのそばにいたらしいヒトミコが喜色を上げると、ベッドを囲むカーテンの外から「わかったわかった、うっせーな」と気だるい声が投げられた。

 ヒトミコはいつからいたのだろう。

 それに、さっき思わず声を上げたら喉がひりひりと痛んだ。今気づいたが、かなり渇いているらしい。

 シャッとカーテンが開くと、白い蛍光灯の明かりを背に養護教諭の新子先生が覗き込んできた。

 じろじろとサクラの顔を眺めまわすと、使い捨てのカップを手渡してくる。


「白湯。ゆっくり飲め」


「あ、ありがとうございます……」


 薄い湯気を立ち上らせる透明な液体に口をつける。

 思ったより熱くはなく、飲みやすい。水分がゆっくりと行き渡る感触がはっきりとわかった。

 喉が潤うと周りを気にする余裕も出てくる。首を伸ばして保健室を見渡すと、いつも一緒にいてくれる赤リボンの少女はいないらしく、少し寂しい。


「露骨にしょんぼりすんなよ。柚見坂ならちょっと用事で席をはずしてるだけだ」


「そ、そんな顔してませんよ!」


 赤くなる顔を誤魔化すように白湯の残りを飲み干す。

 傍にいてくれるのが当たり前になっていたが、こういう時もあるだろうとサクラは自分を納得させた。


「天澄さん二日も寝てたんすよ」


「えっ!? ……ほんとだ」


 手首に巻かれたリミッターで確認すると、確かに『アンダー』に出場した日から日付が二つ進んでいる。

 喉が渇いていたのはこれか、と納得すると同時に空腹感も実感した。

 ずっと胃にものを入れていないのだから、それはお腹も減るだろう。


「覚えてないっすか? 天澄さん、試合が終わった直後に気絶しちゃったんすよ」


「あーなるほど! いつにもましてボロッボロでしたもんね、あはは!」


「慣れるなよ……」


 新子が若干引いた目で見てきたが、サクラは気づかなかった。

 

 ヒトミコいわく、それから色々なことが起きたらしい。


「試合が終わってすぐ、生徒会の人たちと警備隊員たちがすごい勢いでなだれ込んできたんす」


「えっ、どうやって場所がわかったんですか? それにクオリア使いしかあのアリーナには入れないはずじゃ……」


「花鶏さんが翼のクオリアでメモを括りつけた羽根? を生徒会室で待機してた会長たちに飛ばしたらしいっす。そこから警備隊に連絡が行って……って感じらしいっす。離れた学園まで遠隔操作できるなんてとんでもないっすねあの人」


 確かに、あのライブハウスから学園までは何キロも離れていたはず。そんな距離へ正確に羽根を届けられるとなると、カナのクオリア技術は常軌を逸していると言ってもいい。やはり彼女もまた最条学園の生徒会なのだ。

 思えば一瞬だけカナがライブハウスから出ようとしていた時があった。あの時に羽根を飛ばしたのか。

 入り口がループして出られなくなる作用はリミッターにかけられていた。ならば切り離した身体の一部……羽根なら問題なく外に出せるということなのだろう。


 そしてクオリア使いを選別する入り口のフィルターに関しては、意外にもありふれた技術らしく、事前に存在がわかっていれば警備隊が対処するのは難しくなかったらしい。


「そっからはもう大わらわで、あの大会の運営やら参加者やら観客やらがまとめて取り押さえられて、その日は終わったんすよ。いやー阿鼻叫喚とはあのことだったっす」


 キリエたちが武力で鎮圧し、警備隊が確実に拘束していく。

 想像するだに恐ろしく、まっとうに生きようとサクラは心に誓うのだった。


 サクラたちも参加者だったが、生徒会としての調査で来ていたことからお咎めはないとのこと。


「そうだ、飛多先輩は!? あれからどうなって……」


「ああ、アキラならもう色々と取り調べは終わった後で、ちょうどこれから学園の査問会にかけられるらしいっす」 


 え、とかすれ声がこぼれる。

 査問会。何となく不穏な響きだと直感した。

 昔ドラマで見たことがある。問題を起こした学生が、停学だの退学だのの処分を受ける場だった。

 

 アキラは不認可の危険な大会に何度も出ている。査問会にかけられるのは当然とも言えた。

 しかし、彼女には事情があったのだ。母親のために何とかして金銭を稼がなければならなかった。

 何とかしてくれるのではなかったのか。それとも、どうにもならなかったのか。


 サクラは気づけばベッドから飛び起きていた。


「査問会ってどこでやってますか」


「北棟の第四会議室で……ってどこ行くんすか!?」


 頼りない足を無理やり動かして保健室を飛び出した。

 全身の疲労を感じる。治癒を受けても外傷が治るだけで、心身の疲労までは消えないのだ。


「あれ、サクラちゃん?」


「……っごめんなさい、あとで!」


 廊下で鉢合わせたハルを振り切り、全力で駆けだす。

 まだ間に合うかもしれない。このままアキラが悲しい想いをして終わりだなんて、そんなのは嫌だ。

 任せてくださいと言ったのだから。絶対に何とかしてみせる。


 四つの五階建て校舎から成る最条学園は広い。

 保健室がある南棟から目的の北棟へは直接アプローチする手段がないことも手伝って、目的の会議室に到着したころには息が上がっていた。保健室から出てどれくらい経ったのかは怖くて確認できない。

 肺が痛いし、酸欠で目の前が霞む。二日寝たきりの身体にはこたえた。


 だがそんなことも言っていられない。

 汗に濡れた手でドアノブを掴んで一気に開くと、長机に数人の教師と、そこに向かい合う形でアキラが座っていた。あたかも面接のようだ。


 振り向いた彼女らは一人残らず目を見張っていて――いや、年齢に似つかわしくない幼さを湛えた理事長だけは楽しそうな笑顔を浮かべる。


「あ、あのっ……!」


 一歩踏み入ったところでぐらりと強烈なめまい。

 思わず倒れそうになって、なんとか四つん這いで留める。

 必死に顔を上げるとぐるぐる視界が回った。

 『ちょっと君……』と静止するような声が聞こえたが、止まれない。

 ここでアキラの未来が断たれるのはどうしても納得できなかった。


「お願いします、飛多先輩のこと……どうにかなりませんか」


 頭が回らない。 

 喉が痛い。

 自分が何を言っているのかもよくわからず、ただがむしゃらに声を押し出す。


「飛多先輩、すごくお家が大変みたいで……! あの、わかるんです、あたしも誰にも相談できない時があったから、それって自分でどうにかするしか無くて――――」


 引きこもっていた時、抱えた苦悩が自分の中で延々ループし続けて、それを誰にも明かすことができなかった。

 誰かに助けてほしいのに、誰にも助けを求められない――その辛さはわかる気がする。

 現実的な悩みを持つアキラに比べれば自分の苦悩などちっぽけなのかもしれない。

 それでもサクラは寄り添いたいと強く思った。


「でも自分だけでできることなんてたかが知れてるんです。だから先輩はあんな大会に出るしか無くて……それはもう、どうにもならないじゃないですか……!」


 そこまで吐き出して思わず咳き込む。

 もう完全に顔は下を向いていた。

 そこに、しなやかな足音が近づいてくる。


「……安心しなさい」


 鈴の鳴るような声。

 だがそこには積み上げられた年季が感じられて、すぐに理事長のものだと分かった。

 大人どころか年下にも見える彼女の艶やかな金髪が視界の端に映る。


「カナちゃんから話は聞いているよ。少なくとも重い処分を下すことは無い。まあある程度の奉仕活動は必要だろうが……今話していたのはね、飛多アキラちゃんに施される支援のことなんだ」


「し、しえん……?」


「この最条学園はクオリア使いの少女たちが何の憂いも無く切磋琢磨できるよう運営されている。だからもし……彼女のように金銭的な問題などが発生すれば扶助することになっている」 


 いちおう学園案内に書かれてるんだけど、あんなのだいたいの人は隅々まで読まないからね。

 などと若干問題になりそうなことを言って、理事長はウィンクした。


「そう、なんですか……良かったあ……あれ? じゃああたしが必死に戦う意味ってなかったりしました?」


 結局、あの大会だって終わった直後に警備隊が場を治めたわけだし、そのあとアキラはこうして扶助を受けられることが決まった。

 そう考えるとサクラの頑張りというのは、ただのたうち回っただけのようなものだったのかもしれない。


「そんなことないよ……」


 気づけば、アキラがそばにしゃがみ込んでいた。

 癖のある黒髪の向こうの瞳には、初めて会った時の剣呑な色はもう見えない。


「天澄……さん、だよね。君が必死にぶつかってくれなかったら、私、周りが見えないままだったと思う。自分で何とかしなきゃって焦って、周りの人に心配かけて……でも、君のおかげで目が覚めたから。だから、ありがとう」


 アキラは笑っていた。

 控えめだが柔らかく、感謝を口にして。

 それを見て――ああ、頑張って良かったのかも、と思えたのだった。

 

 サクラも以前はそうだった。

 誰かに頼ることを良しとせず、自分の力だけで何とかしようとして、独りよがりの沼にずぶずぶ沈んでいった。

 だがそれでは駄目だった。

 自分のことを見てくれている人がいる。なら、その人たちの方へ目を向けなければならなかったのだ。


 それはアキラにとってのヒトミコだったし、サクラの場合はハルたちだった。


(上手くいかないこともいっぱいあるけど……あたしもちょっとは成長できたの、かな)


 そっと重い瞼を閉じると、意識までもが暗く沈み。

 気を失ったサクラは保健室へと送還され――再び目を覚ました後、ハルにしこたま叱られた。

 

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