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60.Hand to Hand


 ゴングの音が鳴った瞬間、アキラの姿が消えた。

 

「……っ」


 違う、と顔を上げる。

 目で追えないほどの速度で跳躍したのだ。

 サクラの視界には、ただ黒い影だけが横切った軌跡だけが残る。


 ステージを囲む高い金網を跳ね返るようにして縦横無尽に飛び回っている――さっきまでのアキラの試合で使われていた戦法だ。 

 だがこの速さはクオリアの肉体強化のみでは実現できない。


 彼女の能力は弾性のクオリア。

 定めた対象に弾性を付与するだけの力。

 アキラの飛び立つ金網が不自然にたわむ。周囲の金網に弾性を付与しているのだ。


「あぶな!」


 ちっ、と顎で擦れるような音。 

 微かに見えた影に反応して回避したが、遅れていれば脳を揺らされて一発ノックアウトだった。

 彼女のクオリアの厄介な点は、触れずとも弾性を付与でき、そして自由に解除できる点だろう。

 これにより金網はアキラが自由に使えるジャンプ台になり、逆にサクラが転用することはできない。

 そして、うかつに突進を躱そうとすれば。


「うあ!?」


 サクラの身体が跳ねる。

 踏み込んだ床にいつの間にか弾性が付与されており、疑似的なトランポリンと化していたのだ。

 だが、トランポリンと違うのは――事前に跳ねることが予測できず、そして片足だけが跳ねることで身体が回転しながら宙に打ち上げられることである。

 当然、その隙は見逃されることなく、目にもとまらぬ打撃がサクラの腹部に叩き込まれた。


「ぐ、ぶ……!」


 空中ではどこにも衝撃を逃がせない。

 まるでトスバッティングのように衝撃を一身に受けたサクラは金網に叩きつけられる。

 口の中いっぱいに広がる鉄の匂いを味わいながら、ずるずると床へ崩れ落ちた。 

 

「げほっ、ぐ、……がはっげほっ!」


 勢いよく咳き込むと窒息感ののち、粘つく血の塊が吐き出された。

 アーマーが無いとこれほどまでにダメージを食らうのか。

 今しがた痛打を貰った腹に触れて内臓が正常な位置にあるか確かめていると前方に黒い影が着地した。


「はあっ、はあっ……」


 アキラは激しく息を荒げている。

 例え弾性を活用して加速しているとしてもあれほどの速度で動き続ければ疲労は免れないし、何より身体への負担も激しいだろう。

 見れば、自分で手当てしたらしき包帯の下から血が滲んでいる。

 

 お互いすでに満身創痍。

 それでも、アキラの瞳はぎらぎらと鈍い輝きを放っていた。


「さっさと降参してよ……! これ以上痛い思いをしたくないのなら!」


 戦場をまるごと押し潰しそうな歓声の中でも、その血を吐くような叫びははっきりと聞こえた。

 なりふり構わない。手段は選ばない。いや、選べないのか。

 この大会がどれだけ危険だろうと、どれほどの犠牲を払おうと、相手も自分も傷つけて、勝利だけを願っている。

 その血はきっと、大切なただ一人のためだけに注がれるのだろう。


(…………ああ) 


 その行いはきっと尊い。

 輝いて、眩しくて――見ていられない。

 

 やっとわかった。

 銀鏡アリスという『誰かのために身を削った少女』と。

 飛多アキラという『誰かのために自らを犠牲にする少女』を見て、理解した。

 これは、違う。


 度を越した自己犠牲は誰も幸せになどしない。

 腹をすかせた隣人に、自分の身を切り出した肉を差し出したって、相手は喜ばない。

 

 ようやく気付いた。

 この力で誰かを助けたいという想い。

 それは、そうすることで自分が救われたいという願望から生まれていた。

 サクラの自己犠牲は徹頭徹尾エゴだった。


(ほんとうに最悪で……もっとあたしのことが嫌いになりそう) 


 眼は霞む。でもまだ見える。

 力の入らない足は棒のようだ。でもまだ立てる。

 震える指が頼りない。でもまだ握りしめられる。

 

 ゆっくりと立ち上がり、前を見据えるサクラを。

 アキラは信じられないものを見る目で見ていた。

 どうして耐えられるのか。いや、耐えたとしても立てないはずだ。

 身体より先に心が折れるはずなのだ。


「……な、なんで。もういいじゃん、放っておいてよ。見ないふりすればみんな助かるのに、なんで……」


「だって……そんなのあなたが救われない」


 源流がなんだろうと助けたいという気持ちは本当だ。

 それだけは否定できないし、させたくない。

 この想いは間違いなくここにある。


「見ないふりなんてできませんよ。だって生徒会は、生徒のためにあるんですから」 


 ぎり、と奥歯を噛みしめる音が聞こえた。


「……しつっこい!」


 再びアキラが飛び立つ。

 先ほどよりも速度が増している。

 もはや目で追うことは諦めた。


(見てからじゃ間に合わない。軌道を読んでもまだ遅い) 


 なら、こちらの取れる行動は限られてくる。

 こちらが速くなるか、向こうを遅くするか。


 深く息を吸い込み、意識を集中の海に潜らせる。

 ホールを揺らす歓声も、場内に流れるアップテンポなダンスミュージックも、何もかもが遠ざかる。

 負担は考えない。あとでハルに頭を下げよう。彼女になら、少しくらい寄りかかってもいいだろうから。


 四方八方から鈍い衝撃が襲う。

 アキラの高速突進を受け続けているのだ。直撃は避けているが、このままでは意識が保てない。

 それでもふらつく足を必死に踏ん張り、サクラは全身全霊を込めてクオリアを発動する。


「うあああああっ!」 


 全身が閃光を放つと、全方位に雷の矢が同時発射される。

 一本一本は極めて細く、まるで糸のよう。戦場を席巻する矢はまるでアリスが使った多方向レーザーによるワイヤートラップだ。

 壮絶な光景に、場外のカナが思わず声を上げる。


「ちょっと何あれ!? 天澄ってあんなことできたっけ!?」


「……いえ、できませんでした。でも……クオリアは心の成長に応じて強くなるものですから」


 静かに見上げるハルは、サクラの心の内に想いを馳せる。

 彼女は変わった。自分の心を打ち明け、そして自分に似た人と戦って。

 変わるためには、成長には、自分と向き合うことが必要だったのだ。


 縦横無尽に駆け巡る雷の嵐。

 それぞれが細くなった分、発射上限はこれまでの十倍以上。猛スピードで飛び回るアキラは当然避けられず――――


「うぁっ……」


 ばちん、とゴムが弾けるような音。

 矢の威力は低い。だからダメージ自体は弱く、しかし雷の性質上動きを止めるには充分だった。

 そうなるように調整した。調整できるように、ずっとクオリアを磨き続けた。

 自らのクオリアで親友を傷つけたから、傷つけない自分になれるように。


 サクラの目が力の抜けたアキラを捉えた。

 しかし加速した勢いは止まらない。

 このままでは弾性の付与が解除された金網に正面から激突する。


 無理なクオリアの行使で頭がふらつく。

 身体ももう限界だ――いや。

 

(限界は……ここじゃない!)


 身体の中心から雷が全身に行き渡る様をイメージし、同時に床を蹴りだす。

 纏雷。だが、もう加減する余裕は無い。

 コントロールを失った電撃が筋線維を焼き切る感覚――だが、それはこれまでにない出力を生み出した。

 弾丸のように飛び出したサクラは空中のアキラを抱き留める。


「ぐっ!」


 慣性は消えず、そのまま背中から金網に激突する。

 みしり、とどこかの骨が悲鳴を上げた。

 意識が飛びそうになるのをぐっとこらえて金網を掴み、アキラを抱きかかえる。

 頭から流れた血が視界の半分を覆った。


「う……私、は……」


「飛多先輩……」


 目を開けたことに何より安堵する。

 二の舞は踏まない。

 心の楔がひとつ、抜けた気がした。


「負けたの? 私……」


 アキラの目の端に涙が滲む。

 優勝賞金を狙っていた彼女の望みは絶たれた。

 その姿が小さく見えて、サクラの腕に力がこもる。


「……大丈夫です、先輩」


 ボロボロの顔で、サクラはそれでも笑う。

 空元気でも作り笑いでも、もう案じることは無いのだとやさしさに満ちた声で囁いた。


「辛くて自分ではどうにもならないような出来事があったら、どうか相談してください。相談窓口(あたし)はそのためにいます。生徒会(あたしたち)はそのためにあるんです」


 カナから聞いた話をそのまま伝えると、アキラは目を見開いた。

 その濁った瞳の中には、一筋の光が差している。


「だから、あたしに任せてください」


 その笑顔には見覚えがあった。


(…………ああ)


 ――――あたしに任せときな。


 母が昔、そんなことを言っていたな――と。

 沈む意識の中、温かい記憶に揺蕩うのだった。


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