59.だからあたしはエゴイスト
キューズになったのはお金のためだった。
幼い頃、父親が知らない女と飛んだ。
突然のことで心の底から驚いた記憶があるが、あまり家に帰らない父だったので特に好きでも嫌いでもなかったし、いなくなったこと自体に思うことはそれだけだった。
ただ、現実的な問題として経済的には窮地に立たされた。
一番ショックを受けてたはずなのに、『あたしに任せときな』と朗らかに笑って働きに出たお母さん。
感謝してもし切れない。生活は厳しかったけど私は幸せだった。
いつか私がお母さんを支えたいと、幼心にそればかり考えていた。
だからクオリアの素養があると分かったときは本当に嬉しかった。
ダメ元で受けた適性検査の通知書を何度も何度も見返したことを覚えている。
その時小学六年生だった私は決めた。
学園都市でキューズになる。そしてとにかくお金を稼いでお母さんに楽をさせてあげるんだ。
お母さんと離れるのは寂しかったけど、それ以上にあの人の助けになれるのが嬉しかった。
中学に入って、上手くいかないこともあったけど必死で努力して、支給金は必要最低限の生活費だけ残して残り全て実家に送る。
お母さんは、無理してないか、辛いことは無いかと心配していたけど、それはこっちの台詞だ。
あなたの幸せのためならどれだけだって頑張れる。
そう、どんなことだってしてみせると決意していたのだ。
だからお母さんが倒れたと聞いた時は世界が崩れ落ちたような絶望を味わった。
お母さんは身体が弱かった。
なのに私が学園都市に行ったあとも働きづめで、とうとう限界が来てしまったのだ。
幸い最悪の事態は免れたが――入院を余儀なくされ、働くことはできなくなってしまった。
『な、なんで!? 私が稼ぐから大丈夫って何度も言ったのに……!』
『だってあんた、将来何が起こるかわからないんだから……出来るだけ貯金しておかなきゃって思うのは親として当然のことでしょうよ……』
電話越しの弱々しい声に背筋が震えた。
こんなの聞きたくなかった。ずっと元気でいてほしかった。
学園都市に来たのは間違いだったのかもしれない。
いつでもそばにいて見守っておかなければならなかったのかもしれない。
後悔も全部今さらだ。
この壁に囲まれた街からは簡単に出られない。
少なくとも次の長期休暇までは。
入院や治療にはお金がかかる。今の私の稼ぎだけでは到底賄えない。
じわじわと、得体のしれない何かに追いかけられるような焦燥感。
背中から自分という存在が削られていくような気がした。
そんな状態でまともにクオリアが使えるわけがない。
私が昇格試験の参加資格を得られなかったのが、つい最近のこと。
昇格さえできれば支給金の額も上がる。だが、私は失敗してしまったのだ。
次の昇格試験は四か月後。そんなには待てない。
そんな時、噂を聞いたのだ。
地下で行われている裏世界の大会を。
「うん、うん……大丈夫。私最近頑張ってるから、お金のことは気にしないで……? お母さんは身体のことだけ――――」
今日の試合で負った傷がじくじくと痛む。
控室へ続く通路で聞く電話越しのお母さんの声は、前よりは元気を取り戻しているように思えた。
でも、まだ予断を許さない状況であることに変わりはない。
お母さんの言った通りだ。なにが起こるかわからない。だからできる限り稼ぐしかない。
クオリアは便利だ。
どれだけ傷を負ってもあっという間に治癒できる。
これが病気にも作用するならどんな手を使っても”外”に連れ出したのに。
「うん、また電話する……夜更かししちゃダメだよ。うん、うん、はーい……」
今日も勝つ。
どれだけ傷ついても絶対に。
次は決勝戦だ。ここで勝てば大金が手に入る。
そして次の相手は……あの、よくわからない下級生の……。
「――――――――」
「……聞いてたの」
気づけば、件の下級生がそこにいた。
何て顔をしてるんだろう。
顔を真っ青にして、桃色の唇をわななかせている。
身体のあちこちに試合で負った打撲や切り傷の後が見えて、しかし今はその痛みを忘れているようだった。
「飛多……先輩。今のって」
「さっきはあんなこと言ったけど……別にあんな条件吞んでほしいわけじゃない。君だって勢いで言っただけ……なんでしょ?」
動揺を隠して挑発を投げると、存外彼女は揺らがない。目に小さく光が灯ったようにも見える。
まさか本気で言っていたのだろうか。いや、それは無いか。
「同情してくれるなら負けてよ。それで、今日のことは忘れてくれたらあとは何も求めないから……それでいいでしょ……」
きっとこの子はヒトミコに頼まれて来たのだろう。
彼女を動かしているのは、きっと善意と正義感だ。
なら、そこに付け込んでやればいい。『可哀想な私』を助けるためだと思えば、折れる。
ずるい手だと思う。だけど手段なんて選んでられない。
さあ、諦めろ。
私に立ち塞がるな。
邪魔をしないでいてくれたら、それでいいから。
* * *
『レディースエンレディース! 宴もたけなわ、いよいよ決勝戦だ! 声枯らせよメスども!』
実況の煽りに観客のボルテージが高まっていく。
もはや耳を塞いでいないと痛いくらいの歓声だ。
熱狂。彼女たちは血と闘争を求め、熱く狂っている。
そもそもが普通の試合で満足できなくなった者たちの集まりなのだ。
「あの! 花鶏先輩!」
場内に鳴り響くダンスミュージックと歓声に遮られないように、ハルは自分より幾分も低いカナの頭に向かって叫ぶ。
さすがにうるさかったのか顔をしかめつつ、しかし何も言わずに耳を傾ける。
傍らのヒトミコは固く瞼を閉じ、ただひたすらに祈り続けていた。
「サクラちゃん大丈夫でしょうか!」
「わかんない! カナに言えることは全部言ったから、あとはあいつが決めるだけ!」
そう言った直後、騒音がさらに熱を増した。
中央の高い金網に囲まれたステージへと二人の選手が入場したのだ。
『今回のカードは両方あの某エリート学園からの参戦だ! 結局才能かよムカつくな!』
陰鬱そうな黒髪の飛多アキラ。
そして活発な印象を与えてくる――今に限ってその表情は沈んでいるが――天澄サクラ。
二人とも似たようなボロボロの黒いドレス風衣装を纏っている。
実況の煽りにブーイングが鳴り響くが、彼女らは空気に合わせているだけ。
本当は選手の来歴などどうでもいい。ただ、激しい戦いを。舞い散る血を求めているのだ。
「…………」
俯くアキラの表情は見えない。
本来、こういった荒事に満ちた場所へ来るような少女ではないのだ。
この空気も、倫理の欠けた試合も、全てが肌に合わない。
本当はいつだって逃げ出したかった。
だけど、戦う理由が彼女にはあった。
偶然サクラはそれを知った。
(…………あたしはどうだろう)
アキラと会ったのは今日が初めてだ。
人となりもよく知らない。
彼女のために戦うそれらしい理由があるかと問えば、無いのかもしれない。
アキラの事情を知った後、カナに言われたことが脳裏によぎる。
――――その話が本当ならだけど。
――――どうにかできるかもしれないわ。
耳元に囁かれたカナの話が真実なら、望みはある。
だが今のアキラは聞く耳を持ってはくれないだろう。
(勝たなきゃ)
背中を押された。
戦ってもいい理由を与えられた。
だけど、それだけでは駄目な気がした。
誰かに与えられた理由ではなく、自らの内から溢れる理由が必要だと思った。
(飛多先輩を見ていると、思うことがある)
つい最近にも同じ感情を味わった。
それはアリスを見ていた時のことだ。
誰かのために自らを顧みず必死に戦う人。
二人はその点でよく似ている。
これは誰にも言えないが、サクラは彼女たちの姿にこう思ったのだ。
――――ああ、誰かのために身を削る人は、こんなにも痛ましく見えるものなのか。
その姿は尊くもあったが、同時に何より悲しみに満ちている。
そして、おそらくは――二人には及ばないだろうが――自分もきっと、ハルたちからはそう見えていたのだ。
周りをこんな気持ちにさせていたのかと思うと胸の奥が痛む。
だから戦う理由はある。
こんな悲しい想いは誰にもさせたくない。
アキラを止めるため。
サクラは強く拳を握りしめた。
『カウントダウンなんていらねえな、さあ――ゲームスタートだ!』
ゴングの音が鳴り響く。
二人の少女が駆けだす。
こんなエゴで戦うあたしはきっと最低なんだろうな、と。
サクラは諦めたように自嘲した。




