58.オールベット
歓声の響くだだっぴろいホール。
その中心には高い金網に囲まれた円形の闘技場が鎮座し、そこでキューズたちの試合が行われていた。
金網の外には血気盛んにヤジを飛ばす観客、頭上には出場選手のオッズが表示された電光掲示板が垂れ下がっていた。
「とりあえずわかったことをまとめましょうか」
そんなホールでサクラたち四人は身を寄せ合っていた。
カナがスマホのメモを眺めながら口を開く。
「ここで開催されてるのはは非正規のアングラ大会、『アンダー』。強制的にアーマーが無効化された状態での試合が行われて、その上賭博までやってる……完全に非合法ね」
「どうやってアーマーを消してるんでしょう」
サクラは自分の腕を眺める。
平時はクオリア使いの体表を覆っている不可視の障壁が消え去っていた。
「たぶんさっきの受付の人が手元の機械を操作したから……だよね~」
「そうね。柚見坂……だっけ。念のため治癒持ちのあなたを連れてきてよかったわ」
治さなくていいならそれに越したことはないんですけどね、と眉を下げるハルに、一同は神妙に頷く。
今まさに繰り広げられている試合も、見ていられないくらいに物騒だ。
戦場には血痕がいくつも残っていて、その激しさが窺える。
「アキラは……やっぱりここで戦ってたんすかね。だからあんな怪我して――――」
「ヒトミコ?」
聞き覚えの無い声。
だがヒトミコに限ってはそうではなかったようで、サクラたちよりワンテンポ振り向くのが早かった。
そこにいたのは黒髪天パの大人しそうな少女。件の飛多アキラだった。
信じられないものをみたように目を見開き、ヒトミコを凝視している。
「なんでここにいるの」
「あ、アキラ! やっぱりここにいたんすね、良かった……! 今すぐ帰りましょう!」
徒競走なら歓声が起きるほどのスタートダッシュでヒトミコはアキラの手を握る。
その目じりには涙すら浮かんでいて、しかしそれを見たアキラは何かをこらえるように下唇を噛むと、手を振り払った。
「え……」
「帰って……って言いたいところだけど、どうせこの中の誰かが出場しないとここから出してもらえないんでしょ……。もうすぐで次のトーナメントが始まるから、すぐに済ませて帰ってよ……」
「い、いや、いやいやいや! ダメっすよこんな危ない大会! アキラがここ最近大怪我続きだったのってこれが原因でしょう!?」
アーマーが無ければ、普段なら『痛い』で済むようなダメージが命に関わる。
クオリアを使った戦いなら一歩間違えば死人が出る。そんな戦いだということはここにいる誰もが承知しているはずだ。
見ればアキラの握った手は震えている。
それは顔に浮かべている怒りのせい――だけではないのだろう。
きっと彼女は恐れている。何度もこの大会に出場し、そのたびに治癒が必要なくらいの外傷を背負っているのだ。
痛みを繰り返せば慣れるわけではない。むしろ経験すればするほど骨身に染みた痛みは恐怖を喚起する。
そんな姿に、思わず口を開いたのはサクラだった。
「聞いてもいいですか。どうして飛多先輩はこの大会……『アンダー』に出てるんですか」
アキラは一同を眺めると卑屈な笑みを浮かべて言った。
「お金だよ。ここのファイトマネーは合法の大会とじゃ比にならないし、出場条件もそれほど厳しくないからね」
「お金って……学園から結構な支給金がもらえてるはずっすよ」
「……それじゃ足りない。Dランク止まりの私じゃ大した大会には出られないし、ここで稼ぐしかないんだ……賭けるより自分で出た方が確実だしね」
わっと歓声が膨らむ。
どうやら試合が終わったらしい。
観客は傷だらけで倒れる敗者をもてはやす。
その光景はあまり見ていて気分のいいものではなかった。
「ここに来る人が求めてるのは……金か血、もしくはその両方。どっちもいらないなら今日はさっさと降参して帰って忘れるのをおすすめするよ」
踵を返して歩き出すアキラ。
ヒトミコはその背中に手を伸ばすが、喉から出るのは言葉にならないか細い声ばかりだった。
あんまりだ、と思う。
危険を冒してここまで来たヒトミコもそうだし、恐怖を覚えてまでこんな戦いに身を投じなければならないアキラも。
何のためにヒトミコの話を聞いたのか。
最初は、この案件を調査して腕章を返してもらうためだった。
だが今は違う。
悲しい思いをする人を放っておけないからだ。
「待ってください!」
「……なに?」
そもそもあんたは誰なんだ、と言いたげな瞳。
それはそうだろう、サクラは無関係なのだから。
しかしそんなことでは怯まない。踏み出せばあとは走るだけだ。
「あたしがこの大会であなたに勝ったら……金輪際、『アンダー』への出場はやめてくれませんか」
「はあ……? なんでそんなことあなたに決められなきゃ……」
「もし負けたら、飛多先輩が卒業するまであたしの支給金全部渡すって約束します! だから……お願いします」
「ちょ、サクラ!?」
「サクラちゃんなに言ってるの!?」
驚愕するハルたち。
だが、サクラはアキラだけを見つめる。
支給金が無ければ生活もままならない。
だが、これ以外に差し出せるものがない。そんなに金銭を欲している相手を動かすのは、やはり金銭だ。
「……そう。じゃあお願いしようかな」
アキラは今度こそ背中を向けて歩き出す。
そこには何か、怒りに似たものが含まれているように見えた。
「言っておくけど私、ここじゃ無敗だから――覚悟してね」
ごくりと生唾を飲む。
その背中が観客の中に消えるまで、誰も、何一つ声を上げられなかった。
* * *
やはり、というか。
当然というか。
説教をされてしまった。
「今日わかったけど、天澄ってバカよね」
「ねえサクラちゃん、どうして相談もせずあんな大きな事を言っちゃったの?」
激詰めである。
カナとハルに正座させられ滔々と責められると、本当に自分が考え無しであることを思い知らされた。
勢いで言うことではない。それはもちろんわかっている。
これから先、支給される金銭をすべて受け渡すなど正気ではない。
だが、どちらにしてもこの状況では逃げられないのだ。
そしてアキラがいつケガで済まない事態に陥るかもわからない。
だからサクラは最速で彼女を止める必要があると考えた。
どれだけ叱られようとも、現状サクラが大会に出場しなければここからは出られない。
つまり、言ったもの勝ちだ。
「……ふー」
スポットライトが降る。
サクラと対戦相手の立つ戦場が白日の下にさらされる。
『さあ始まるぜクレイジーども! お次のカードは――――』
実況アナウンスが威勢よく対戦相手を紹介し、観客が湧く。
相手はタンクトップにジーンズ、手にはバンテージを巻いたワイルドな印象を与えてくる少女。
おそらくはサクラと同年代なのだろうが、座った目のせいかいくつも上に見える。
『そして今回期待の飛び入りニュービー、天澄サクラだーっ! 規約により所属は伏せるが――あのエリート校の真っ赤な血が見られるチャンスだぜてめえら!』
『わああああ』というかもはや『ギャアアアア』というような歓声が轟く。
その中には『死ねーっ』『殺せーっ』と物騒な野次が多分に混じる。
「物騒すぎる……」
さすがに制服のまま戦うのはまずいと考え、控室で見つけた黒っぽいボロボロのドレス風の衣装に身を包んではいるが、素性は割れているらしい。
受付に制服を見られているから、どのみち隠すのは不可能だっただろうが。
『さて……待ちきれねえだろうからさっそく始めるぜ! カウントダウンはいらねえよなレディーゴーッ!』
「ええ!?」
無法すぎる! と叫びたくなったが、そんなことを言っている場合ではない。
前に向き直ると、対戦相手の彼女はステップを踏み虚空へフックを繰り出した。
「え、うぐっ!」
みし、と脇腹が軋む。
アーマーで緩和されていない現実的な痛みが駆け巡り、掛け値なしに呼吸が止まる。
何とか転倒はこらえたものの、向こうは手を緩めずにパンチを連打してきた。
風を切る音と同時に、うっすらと空気の流れのようなものが見える。
どんなクオリアかはわからないが、拳によって衝撃波か空気の塊を飛ばすような能力だろうか。
あらゆる方向から迫りくる遠隔攻撃に、サクラの足が止まる。
避けようとすれば当たる。そして、一つ当たって体勢を崩せばさらなる連撃が襲い来る。
なるほど、と納得する。
アーマーが無い試合。
初めて挑む人間が恐れるのは当然痛みだろう。
こうして攻撃をばら撒き、委縮したところを袋叩きにする算段だ。
この『アンダー』では非常に有効かつ残忍な戦法と言えるだろう。
だが。
サクラは臆すことなく床を蹴る。
「なっ……」
驚愕の表情を見せる対戦相手。
同時にサクラの身体のあちこちに衝撃波が命中する。
だが止まらない。笑みすら浮かべ、全身に雷を纏い、さらに加速する。
「痛みじゃあたしは止まりませんよ!」
今さらこの程度で怯む余地などどこにもない。
錯羅回廊で戦ったモンスターの攻撃の方がずっと痛かった。
たん、と相手の懐でブレーキ。
狼狽えたところで相手の腕を掴み、出力を調整した雷を流してやる。
「……っ!」
バヂン、と短く音がして。
対戦相手はゆっくりと倒れ伏した。
すかさず抱き留め脈や呼吸を確認する。場外のハルへ視線を投げると、サムズアップを返してくれた。
気絶しただけらしい。ほっと胸を撫で下ろすと、実況が不満げな声を上げた。
『……気絶により決着、勝利したのは天澄サクラー! おいおいこれで終わりかよつまんねえな!』
会場中にブーイングが鳴り響く中、サクラは対戦相手を抱きかかえて戦場を後にした。
今回の『アンダー』はトーナメント形式らしい。アキラと当たるのは決勝だ。
ここに来たのは初めてだが、サクラはあらためて、こんな大会はまっぴらごめんだなと思うのだった。