54.君に似ている
空中に配置された無数の鏡が一斉にサクラへと細い光線を照射する。
「いっづ……!」
じゅう、と何かが焼ける音。
光線の一本がサクラの肩を掠め、ジャージの袖を焦がしたのだ。
アーマーの上からでもこの貫通力。
「もう動かなくていいよ」
鏡面が閃き、再び光線が照射される。
その正体は陽光だ。体育館の窓から降り注ぐ太陽の光を収束反射し、レーザーとして撃ち出しているのだ。
包囲網を作る鏡の銃口から撃ち出される太陽光線に、身体のあちこちが撃ち抜かれる。
ダメージを緩和するアーマーのおかげで外傷にまではならないものの、そのアーマー自体が刻一刻と削られていく。
まるで侵入者を検知するレーザートラップ。
この鏡の結界を抜けなければじわじわといたぶり殺されるだけだ。
レーザーを回避しきれないまでも直撃だけは避けながら、サクラは深く深く感覚を研ぎ澄ませていく。
この状況を切り抜けるために必要な技へと。
(あの技に高出力は必要じゃない。優しく、優しく……)
細く柔らかい糸を全身に通すようなイメージを形にする。
直後、サクラの身体が爆発的に加速した。
”纏雷”。
サクラの編み出した身体強化術。
全身の筋肉に電流を流し駆動させる技だ。
電光を帯びたサクラの身体は青白い尾を引きながら包囲網を突破する。
どよめく観客の声も聞こえない。
目に映るのはアリスの姿のみ。
背後から照射されたレーザーが腕に命中したが歯を食いしばって無視した。
傷だらけになりながら迫る少女を前に、アリスはこの勝負が始まってから初めての戦慄を覚えた。
(……この速さ……! 最近見た昇格試験の動画じゃこんな力は出せてなかったはずなのに……!)
何が彼女を変えたのだ。
この短期間でここまで成長するなど、そうはない。
錯羅回廊で何かがあったのか――いや、アリスが脅威に感じているのはその強さなどではない。
(……なんなの、こいつ)
勝てるはずがないのに。
この段階に及んでもなお、アリスはサクラの携えた刃がこの身に届くことは無いとわかっていた。
それだけの圧倒的な差がある。一撃当てることさえ夢物語だ。
全身の傷も痛むはず。
力量差だってわからないほど馬鹿じゃない。
なのに。
何が彼女をそうさせる。
何が彼女の背中を押している。
「銀鏡先輩……っ!」
振り抜かれる雷速の拳を鏡で防ぐ。
やはりその手が届くことは無い。だが、反射もしきれない。
即時反射できる威力には限度がある――サクラの予想、というかそうであってくれという願望が当たった。
本当にどんな攻撃でも反射できるなら、今ごろキリエも抜き去ってトップキューズになっているだろうから。
拳と鏡が押し合い、震える。
せめぎ合う一瞬の中、サクラの唇が動いた。
「……間違いじゃないんです」
「は、何が? 君のやってた人助け? 何度でも言ってあげるよ、みんなのために頑張るなんてバカらしいって――――」
「あなたの頑張りは! 絶対に……間違いじゃないんですっ!」
顔が上がる。
前髪の向こうに、煌めく瞳が見えた。
どく、と心臓が跳ねるのを、アリスは確かに感じた。
直後、頭上に光が差す。
仰いだ先には三本の雷の矢が切っ先をアリスへ向けていて――真下へ向かって急加速する。
「く、う……っ!」
苦悶の声を上げたのはアリスだった。
先ほど攻撃に使っていた鏡をとっさに集め、頭上に盾として雷の矢を防ぐ。
(反射しきれない! この子の雷、出力だけならプロ級だ……!)
束ねた矢の威力は驚嘆すべきものだった。
クオリアは心の力。矢の出力は、それほどサクラの意志が強いということを意味していた。
だが。
「何が……間違ってないって……?」
それでもアリスは口を開く。
この状況においても、言葉にしなければ気が済まなかった。
目の前の少女を否定しなければと――もしかしたら勝敗よりも優先されるほどに、サクラの言葉が癇に障った。
「誰かを助けたいって気持ちは利用されて踏みにじられる! 全部台無しになる! それのどこが間違ってないって!?」
鏡が今にも割れそうにぶるぶると震える。
瞬間、鏡の角度が変わる。真っ向から攻撃を受け止めるのではなく、逸らすために。
その結果真下へ向かっていた矢は斜面を滑るような角度で床に着弾し、同時に拳も鏡の表面を滑る。
「うあっ!?」
「はあああっ!」
体勢を崩したサクラの顔面に回し蹴りが炸裂した。
クオリアによって大幅に底上げされた身体能力から繰り出される攻撃は、サクラの身体を数メートルも吹き飛ばす。
そして、
「諦めろ、天澄!」
起き上がろうとしたサクラの頭上にいくつもの鏡。
鏡面は光り輝き、一瞬の後――光線の束が叩き込まれた。
「サクラちゃん!」
戦場の外から上がるハルの悲鳴。
それ以外に声は無い。誰もが固唾を飲んで見守っている。
だがそれは戦い自体と言うより、これまで見たことも無いほどに声を荒げるアリスに向けられた視線だった。
サクラとアリスが何を話しているのかは聞こえない。
だが、その異様さは克明に伝わってくる。
『ねえ、銀鏡先輩全然余裕ないよね……?』
『うん……どうしてあんなに焦ってるんだろ』
もうもうと上がる白煙がすぐに晴れる。
そこには倒れたサクラがいて、その身体から透明な破片が弾けるとともにガラスの割れるような音がこだました。
アーマーがブレイクされたのだ。
「はあっ、はあっ……」
肩で息をするアリス。
長い前髪から伝う汗をジャージの袖で乱暴に拭うと、鏡を解除する。
格下との模擬戦にしては、その様相は真に迫りすぎていた。
「これで銀鏡の勝ち。話した通り、天澄は生徒会を辞めて私の前に二度と……」
「……まだです」
ゆらり、と立ち上がる。
震える足。定まらない視線。虚ろな瞳は焦点が明らかに焦点が合っていない。
全身うっすらとやけどの跡が見え、ジャージの袖口からは血の筋が流れ落ちる。
「……ブレイクはしたはずだよ」
「この戦いにルール、なんて……最初から……ありませんよ。あたしは最初から試合だなんて言ってません。これは、ただの……けんかですから……」
「そんなの通るはずない! この期に及んで子どもみたいな駄々を……それにアーマーがないのに戦うなんて自殺行為だ!」
激昂するアリス。
それに反してサクラは口元に薄く笑みを浮かべる。
「最初から子どもですよ……あたしが先輩に食って掛かったのも、こうして戦ってるのだって全部幼い意地です。だから、続けてください。どちらかの正しさが証明されるまで」
とうとうアリスは一歩後ずさった。
わからない。この少女の言っていることがなにひとつ。
力では勝っているはずなのに恐ろしい。ここまでの執念を持って立ち上がることのできる彼女を、いったい誰がどうやって止められるというのか。
「……なんで。天澄はどうしてそこまで……」
弱弱しい問いを投げかける。
するとサクラは一度きょとんとしたかと思うと――柔らかく、困ったように笑うのだ。
「だって誰かのために一生懸命になることが間違ってるなら……そんなに悲しいことは無いじゃないですか……」
その言葉に、アリスは一度目を伏せると。
泣きそうなほどに顔をしかめる。
本当にバカだ。
それを言いたいがためにここまでするのかと、ほとほと呆れる。
「……綺麗ごとだよ」
「いいじゃないですか、綺麗ごと。汚いよりは」
「天澄もいつか裏切られるよ。誰かが君を食いつぶす。裏切られる前に、間違った銀鏡を反面教師にすればいい」
サクラは首を横に振る。
今、改めて確信した。
銀鏡アリスという少女は何も変わってなどいない。
「確かに誰かのための頑張りが裏切られることもあると思います。先輩が善意であたしに忠告してくれてるんだってこともわかってます。先輩の言ってることはきっと正しい
「だったら」
「でも、以前の先輩が間違ってたとも思いません」
誰かに食い物にされたとしても。
善意を向ける相手を間違えたとしても。
その結末に心折れるほど絶望したとしても。
「そうかな。銀鏡が助けてきた人はみんな、余計な真似をするなって思ってたのかもしれないよ」
「……あたしはバカですけど。きっと普通にここの入試を受けても絶対に受からないくらい頭が悪いですけど。それでも分かることがあります」
そう、知っている。
少しくらいは知っているのだ。
今のアリスも、昔のアリスも深くは知らなくとも、知り合ってわずかだろうと。
事実として、アリスはサクラのことを助けてくれたのだから。
「少なくとも一人、あなたに助けられたあたしがいます。それに、あの夜誘拐されそうになった子だってあなたに助けられた一人です。……ほら、少なくともこれだけは間違いじゃないでしょう?」
アリスは失敗してしまったのかもしれない。
でも、それが全てではなかったはずだ。
アリスの人助けで笑顔になった人だってたくさんいたはず。
少なくともそこに間違いはない。
その行いは、肯定されるべきだ。
(……ああ、なんだろ、これ)
アリスは、じわりと熱を持つ胸に手を当てる。
サクラの必死な顔を見ていると。
あの頃の自分が。
泣きじゃくっていた過去が。
許されたような、そんな気がした。
「ほんとしつこいなあ。どこまで行っても平行線だよこれ」
思わず頬がほころぶ。
不思議と、もう笑うしかないような気がしたのだ。
「はい。なので……つけましょう。決着」
「アーマーがないからって手加減するとか思わないでね」
アーマーのない相手と戦うなど、経験がない。震える指を自覚して、悟られないように取り繕った。
だがサクラが止まらないことも分かっていた。本当に面倒な後輩に捕まったものだ――どうしたものかと思案しつつ再び鏡を生み出す。
その数は両手では数えられないほど。
対するサクラも纏雷を発動させる。
(さっきの雷の矢×3じゃ足りなかった。もっと火力がいる)
猛然と地面を蹴る。アリスへと一直線に飛び出す。
途端、発狂したように光線がばら撒かれた。
隙間をくぐり、躱せないものは雷で迎撃し、それでも回避が不可能と判断すればあえて受けた。
当然激痛が迸るが、それも無視した。
時間にすれば一瞬のことだっただろう。
しかし、その中でもアリスの顔が良く見えた。
長い前髪の向こうの瞳は、みずみずしいほどの活力に満ち溢れていた。
残り五メートル。
サクラは手を開き、五指の先端から雷の矢を放つ。
矢は弧を描き、サクラの右腕の周囲で渦を形作る。
痛む拳を出来る限り強く握りしめた。
そして、目前。
散らばった鏡が一瞬で終結し、巨大なひとつの鏡と化す。
そこに収束した太陽光が、サクラ目がけて発射された。
最初に見せた極大光線だ。
「――――――――っ」
声はかき消される。
眩しい光を拳が貫く。
苦痛はもはやなくなった。
圧倒的な質量を無我夢中で掻き分け、掻き分け――その向こうに。
「あ…………」
体育館全体が震えるほどの爆発音が炸裂した。
悲鳴が上がる。戦場のバリアがぐらぐら揺れる。
そんな状況が数秒ほど続き、生徒たちが見たのはふたつの影。
倒れるサクラと。
立ち尽くすアリスの姿。
アリスの全身にはうっすらとヒビが浮かび上がる。
だが、ブレイクには至っていない。
そしてサクラの方はと言うと、目も当てられない惨状だった。
最後の一撃に使った右腕は内出血で変色していて、全身の傷もそのまま。
それでもしぶとく意識はあるようで、注視するとわずかに身じろぎしているのが分かる。
今度こそアリスの勝ちだ。
そう確信した観客の目の前で、アリスは。
ゆっくり、ゆっくりと両腕を上げる。
「まいった」
その宣言と同時に戦場を囲むバリアが消える。
それは本当に勝負の終わりを意味していて、一瞬の静寂の後、わっと騒ぎが広がる。
そんな中、半泣きになりながら赤いリボンを振り乱して走ってくる少女がいた。
「君は確か天澄と居た子だよね。すぐ保健室連れていこう」
「そ、その前にわたしのクオリアで応急処置を……!」
少女は……柚見坂ハルは手から溢れる緑色の光でサクラの負った怪我を治癒していく。
その様子を見ながら、きっとこの子はサクラに助けられた子なのだろうと理解した。
(あーあ……わかっちゃった。天澄と初めて会った時から胸がざわざわしてた理由)
嫌な予感があった。
この後輩といると面倒なことになる。そんな予感が。
(…………鏡を見てるみたいだから、なんだ)
危なっかしくて、自分みたいで。
だから見ているのが嫌だった。
おせっかいみたいなことを言ったりもして。
どうやらこの少女の性質は、言っても言っても直らないらしい。
それなら先輩らしく面倒でも見てやろうかと、そう思うのだった。




