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46.ブレイクダウン


 流れる涙で光が乱反射する。

 夜の街はまるで万華鏡だった。


「……っ……!」


 時折ひっくり返る呼吸。

 泣きながら走っているせいか上手く息ができない。酸欠で頭がくらくらする。

 何度か人にぶつかった。でも、謝る余裕も無かった。

 目の前も良く見えず、 がむしゃらに足を送り続ける。だけどその足も棒のようだ。


 どうしてこんなにも涙があふれて止まらないのかと問えば、頭の中の冷静な自分が『たぶん、色々と重なったからだろうな』と言う。

 ひとつひとつは乗り越えられても、束になってくると押しつぶされてしまうのだ。


 壮絶な閉塞感。

 目の前に立ちふさがる高く分厚い壁が行く手を阻み、もはやどこへ足を向けても道が途切れている。

 こうしている間にも壁はどんどん大きくなる。サクラが手をこまねいている間に、他の子はどんどん先へ行ってしまう。

 アンジュは遥か前方を走っている。学内戦で勝利したミズキだって、このままでは終わらないだろう。

 ハルは……彼女からのSIGNの通知を無視し続けている。それもいつの間にか途切れた。

 愛想を尽かされてしまったのだろうか。そう思うと別の涙が出てきそうになる。


「うあっ」


 何かに躓いて盛大に転ぶ。 

 膝に鋭い痛み。どうやら深めにすりむいてしまったらしい。

 今日はアーマーが割られたばかりで回復にはまだもう少しかかる。

 それでも、この痛みが今はなんだか嬉しかった。


 気が付けば人気(ひとけ)のない夜道だった。

 いつの間にかとっぷりと夜が更け、街灯だけが夜闇を照らしている。


「……あはは」


 無理やりにでも笑ってみて、笑えたことに少し安堵した。

 この学校に来る前から何度も何度も練習した笑顔。

 今では鏡を見ずとも自然に笑えるようになった。

 

 明日までには自分を立て直さなければ。

 いつもみたいに登校して、いつもみたいに笑って、SIGNの未読無視をハルに謝って。

 それから生徒会のメンバーに昨日のことを説明して、そうだ、置いていったココにも謝らなければ。

 それが終わったらまた訓練に励んで……。

 

 こみ上げてくるものを必死に降ろす。

 停滞は許されない。

 進み続けなければ。そう決めた。

 進むために邪魔なものはすべて捨てた。

 捨てたはずだ。

 なのに。


「なんでこんなに……苦しいの……」


 うずくまって地面に爪を立てる。

 もっと力を込めれば、きっと爪は割れるだろう。

 今のサクラには良くない思考の袋小路に向かっていることは自覚できない。

 とにかく自分を戒めたかった。そうすればこれまでのようにまた頑張れる。

 身体が冷え切っているのは、走ってかいた汗のせいではないだろう。

 春だというのに肌寒さを感じながら、サクラは手に力を込めて無理やりに立ち上がる。


 ここには誰も助けてくれる人はいない。

 もっとも、少女がそんな助けを求めているかどうかは別の話だが。




 * * *




 重たい身体を引きずり何とか帰宅して、次の日の朝。

 静かな部屋に、ピッ、と短い電子音。


「うあ……」


 朝起きた時にまず感じたのは不自然な寒気。

 次に頭痛と、節々の痛み。

 この時点で役満の症状たちを前に、気のせい気のせいと嘯きながら手首のリミッターで体温を確認したのが今しがたのこと。


 表示は38.5。

 突きつけられた現実に――そもそも起床以後ベッドの上からろくに動けていないのが何よりの現実であることは疑いようもないが、思わずうめく。

 脳髄を刺すような痛みに顔をしかめつつ、ベッドに横たわったサクラは自室の天井を見上げて熱い息を吐いた。


 認めざるを得ない。

 風邪である、と。


 リミッターには欠席を推奨する文言が表示され、連動して担任に体調のデータが送信される。

 ぼーっと眺めていると、数秒でスマホに着信が届いた。


「あ、先生……はい、はい……いえ、あたしは大丈……え? は、はい。わかりました……」


 今日は休みなさいとのお達しが出た。

 申し訳ないと思いつつも、少しだけ心が軽くなる。

 体調どうこうではなく、今は誰とも顔を合わせづらい。


 ただ、ハルには連絡しておいた方がいいだろう。

 あれだけ未読無視を決め込んでおいて都合の良いときだけ……と思ったが、仕方ない。

 トーク履歴を目に入れないようにして、というか意識がもうろうとして視界がぼやけて良く見えない。

 そのまま汗に濡れた指先で『かぜをひきたいた』『こ)んなさい』と送信する。

 タップミスを直す気力は無かった。


「う……喉痛い……」


 風邪もそうだが、乾燥している。

 水が欲しい、とベッドから立ち上がろうとして、上手く力が入らず上半身だけがずるりと床にこぼれ落ちる。

 頬に当たるフローリングの床が冷たくて気持ちいい。


(うあー……どうしよう、全然動けない。頭もぼんやりして……なにも考えられない)


 意識が揺らぐ。

 水に溶かした絵の具のようにぼんやりと視界が曖昧になって、遠ざかる。

 もしかしてこのまま死んでしまうのだろうか……などと考えていると。

 存外、安らかに暗闇が訪れた。




 * * *




 インターホンの音で目が覚めた。

 

「う……いてて」


 頭痛がまだ頭にこびりついている。

 スマホを手に取ると、もう昼だ。最条学園は午前で通常授業が終わるので、そろそろ放課後。

 あれからずっと寝てしまっていたのか――曖昧な思考へ差し込むように、チャイムがもう一度。

 

「はーいー……」 


 何とか起き上がると、背筋が痛い。

 おかしな体勢で寝たからだろう。

 這うように玄関までたどり着き、ドアを開く。

 すると、


「……死にそうな顔してるわね」


 薄紫の髪に、同じ色の冷ややかな視線。だがサクラは、その奥に秘められた温かさを知っている。

 霞む目で辛うじて黄泉川ココだということがわかった。

 真昼間の陽射しを背に浴びるココは片手に買い物袋を持って、いつもの無表情を浮かべている。


「せ、先輩……? どうしてここに……わあっ」


 ぐっと身体に重力がかかると、床を離れる。

 ココが横抱きに持ち上げたのだ。

 

「どうしてって、あなたがSIGNしたんでしょう? ああ、住所は生徒会だから当然把握してるわよ」

 

「SIGN……しましたっけ……」


 華奢な身体でサクラを軽々と運ぶと、優しくベッドに寝かされる。

 未だにうまく現状が呑み込めないでいると、ココはビニール袋からスポーツドリンクを取り出した。

 

「ほら、飲みなさい。唇カサカサよ」


「い、いただきます」


 普段なら遠慮していただろうが、この時は弱っていたのかそこまで抵抗なく受け取り口をつける。

 冷たい液体が口中を潤し、喉を流れる。それだけで随分と楽になる。

 よほど喉が渇いていたのだろう、一気に半分ほど飲み干してしまった。


 ココはビニール袋を持って冷蔵庫へ。

 両開きの扉を開けて、買ってきたゼリーや飲料水などを入れようとして、気づく。

 冷凍庫を開ける。野菜室を開ける。

 

「…………」


これは。

 この部屋を訪れてから感じていた違和感が――点と点が線で結ばれていく。

 言うべきか、言うまいか。煩悶しながらも、商品を冷蔵庫に収め、閉じる。

 サクラのベッドに戻ると、彼女は口元を布団で隠していた。


「あの、どうして先輩は来てくれたんですか?」


「どうしてって……」


 ココは思わず目を細める。

 サクラのその目。申し訳なさそうでいて――反面、なぜかこちらを責めているかのような目。

 どうして来てくれたのか、ではなく。

 どうして施しを与えてしまったのか。こんな自分に。

 そう語っているように、ココには見えた。


「…………」


 ココが足を運んだのは、ひとえに心配だったからだ。

 学園都市の生徒はほぼ一人暮らし。よって体調を崩した時に面倒を見てくれる人がおらず、ちょうど今のサクラのように病院へ行けないことも多い。

 最低限、薬などを用意しておくのがセオリーと言ってもいい。

 だが、学園都市に来たての頃ははこういった状況を想定していないことも珍しくはないのだ。


 ……もちろん、昨日泣き出したサクラを追いかけられなかったことも大きな理由のひとつではあるが。


 案の定、サクラもベッドから動けなくなっている。

 授業が終わってすぐ来てよかったと内心胸を撫で下ろす。


「ごめんなさい先輩、手間を取らせてしまって……昨日も逃げちゃいましたし……」 


「手間って……あなたね」


ココがサクラを見下ろすと、彼女は今にも涙をこぼしそうなほどに瞳の表面を濡らしていた。

 本気で落ち込んでいるのだろう、まるで糾弾される罪人のように小さく唇を噛んでいる。


「私が勝手にしてることだもの、別に謝るようなことじゃないわ。それに……昨日は私も悪かったから」


 どうしてこの子はここまで人の助けを拒絶したがるのだろう。

 自分にはそんな資格が無いとでも言いたげな、与えられることを恐れているその振る舞いを見ていると、胸がざわつく。

 

(……そういえば)


 ココの脳裏にひとつの記憶が蘇る。

 サクラが初めてダンジョンに入った夜。

 ココは思念のクオリアを使い、キリエとサクラを念話させた。

 その時の会話は力の主であるココも把握している。


 サクラは幼少期、自身のクオリアで親友に大怪我をさせてしまい、そのトラウマが原因で自らのクオリアを無意識に封印していた。

 だがそのことについては克服したはずだ。実際、今のサクラはクオリアを使えているのだから。


 だが。

 もしも、その認識が間違っていたとしたら?

 本当に過去を振り切れたわけではなく、彼女の内心に罪の意識がまだ巣食っているのだとしたら。

 

『誰かを助けられるなら』

『あたしはそのためにこのクオリアを使いたいです』


 サクラが半ば病的に誰かのために行動するのは――――と。

 そこまで考えが至ったところでSIGNの通知音に遮られた。


「…………」


 確認すると、”ポケット”が出現したとのこと。

 そして現在動けるのはココしかいない。


…………ここまでか。

 ココはビニール袋に残っていた市販薬を数個取り出してサクラの手元に並べる。


「私はそろそろ帰るわ。この薬はバーコードをリミッターに通せばあなたの体質に合ったものがわかるから、食後に飲みなさい」


「は、はい……」


 心細そうな、しかしどこかほっとしたようなサクラの様子を尻目にココは立ち上がり、歩こうとして――サクラを振り返る。


「ねえ。どうしてあなたの部屋、鏡がないの?」


「……あはは、洗面所、見られちゃいましたか。実は入居した時から無かったんですよ。その分敷金礼金が安くなってお得でした」


「そう。……また話しましょう。あなたを責めるつもりはないから、今はゆっくり休んで」


 返答は聞かず部屋を後にする。

 もう少し時間があれば。口惜しいが、今出来ることは無い。

 それよりも――なんだ、この胸に溜まる嫌な感じは。

 何かおぞましいものを覗き込んでしまったような……。


 浮かんだ考えを打ち消すように首を振り、ココは走り去った。


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