42.剥奪
厚顔ながら、努力は欠かしていなかったと思う。
充てられる時間はできる限り訓練につぎ込んで、実際に成長も実感していた。
生徒会に入り、ダンジョンへと足を踏み入れ、そこでの経験も力になっていたはずだ。
そう、立ち止まったことなんて一瞬だってなかった。
もともと周回遅れのスタートだったのだ。差を埋めるためにはそれだけ手を尽くす必要があった。
手は尽くしていたのだ。それは間違いない。
だからこそ。
サクラは、あの結果に愕然とするほかなかった。
アンジュが強いことなんて百も承知だった。
侮っていたつもりはない。だが、こんな体たらくで勝てるつもりでいた自分が不甲斐なくて苛立ちが募る。
勝てると思えるほど彼女のことが小さく見えていたのか。だが、小さく見えるということはそれだけ遠く離れているということでもある。
その距離を。手の届かない背中を。
掴めると、本気で思っていたのか?
がつ、と拳の裏で額を殴る。
「なんでこんなに……弱いんだろ」
試験が終わった日の夜。
寮の自室で明かりもつけず、サクラはフローリングの床にうずくまっていた。
まっさらな腕を撫でる。試験で負った負傷――大半はアンジュの攻撃や最後の四階ダイブによってのものだ――は試験運営スタッフによって治癒されている。
だが、痛くないはずの腕が痛む。
全身が焼けつくようだ。
これは錯覚。サクラの心が試験の結果に苛まれているだけに過ぎない。
体内の熱を追い出すように息を吐くと、乾いた喉が張り付いてぴりぴりと痛んだ。
これではダメだ。
こんな弱さでは誰かの助けになどなれはしない。
あのキリエのように、多くの人々に希望を与える選手など程遠い。
「……弱いあたしに価値は無い。戦えないあたしに意味は無い。そんなことわかってたはずなのに……」
強くならなければ。
立ち止まっている暇など一瞬も無い。
夜が更ける中、鈍い音が何度も響いた。
* * *
朝。教室に入ると、勢いよくハルが駆け寄ってきた。
「サクラちゃんっ、昇格おめでとう!」
「あ、ありがとうございます。というか、昨日もSIGNとかでいっぱい祝ってくれたじゃないですか」
「何度でも言いたいの。すごいことなんだからね、入学して最初の昇格試験に出て、それも合格しちゃうなんて」
確かに入学してから一か月そこそこで既定のレートまで上げて試験の参加資格を手に入れ、さらに他校の生徒も混ざる試験で上位5名に入るのは並大抵のことではない。
実際今回の試験、同じ最条学園の生徒で合格したのはサクラとアンジュの二人だけだった。
「天澄さん合格したんでしょ!? すごいね!」
「アップされてた動画見たよー!」
やはり教室の話題は昨日の試験で持ちきりで、入れ代わり立ち代わりクラスメイト達が話しかけにくる。
試験の内容は会場に散布された豆粒ほどのフロートカメラが録画し、各参加者に注目した動画が『キューズ協会公式チャンネル』にアップロードされている。
試験資格を持った選りすぐりの生徒たちが集まる場ともあって、その注目度は学園都市内外問わず高い。
上昇志向の強い最条学園はほとんどの生徒がその動画をチェックし、参考にしたり話題にするなど、再生数の増加に貢献していた。
(…………、)
ハルやみんながが喜んでくれるのは嬉しい。
しかし、やはり純粋に喜べない。
サクラの顔は気づけば俯いていた。
「あれ、サクラちゃん。どうしたの、そのおでこ」
「これですか? あはは、ちょっと昨日家でぶつけちゃって」
「それは大変、わたしが治すよ」
サクラの額にはガーゼが貼られていた。
前髪で遮られているが、隙間から除く白はやはり主張が強く隠し切れるものでは無い。
ハルが心配そうに手を伸ばしてくる。
しかし、
「いたっ」
「あ…………」
思わず。
気づけば、サクラはその手を掴んでいた。
思いのほか力が入っていたようで、ハルが声を上げてやっと気づいたくらいだった。
慌てて手を放す。驚いたハルの顔にずきりと胸が痛んだ。
「ご――ごめんなさい!」
「う、ううん大丈夫」
「あの、あたし、えっと……」
今、自分はハルを拒絶したのか。
サクラが愕然とする中、ハルもショックを受けているのか上手く言葉にできないようだった。
その時、
『1-Aの天澄サクラさん。至急生徒会室まで来てください。繰り返します――――』
降ってきたアナウンスに、慌てて立ち上がる。
「い、行って来ます。……ほんとにごめんなさい」
「サクラちゃん……」
弾かれたように席を立ち、逃げるようにその場を去る――いや、逃げたのだ。単純に。
自分のしたことや、自分の心と向き合うことから逃げた。
その証拠に放送の瞬間、少なからずサクラはほっとしていた。
「あら」
「アンジュ、ちゃん」
教室を出る所で鉢合わせた赤毛のお嬢様と目が合う。
思わず視線を外し、脇を通って駆けて行く。
何よりも、ただ一度の敗北でここまで崩れてしまう自分から目を背けたくて仕方なかった。
* * *
とは言え、サクラは合格し、Dランクに昇格した。
前にキリエと交わした約束を果たしたのだ。
生徒会に呼ばれるというのはそのことだろう。
まだ複雑ではあるが、ここ最近背負っていたものを降ろした清々しい気分も無いでは無かった。
「言いにくいんだが」
しんと静まり返る生徒会室。
まずはキリエから「おめでとう。厳しい条件だったろうに良く合格したね」とお褒めの言葉を貰い、浮足立ったサクラに向けられたのはサクラが予想もしない言葉だった。
「生徒会の名においてごく個人的な要件を受けるのはやめて欲しい」
「掃除や宿題の代行。花壇の手入れ。授業内容をまとめたノートの提供――それ以外にも数十件。よくもこの短期間でこれだけ……」
同席していた黄泉川ココが薄い唇からため息をつく。
彼女が机に広げている書類にはサクラが”相談窓口”として受けていた雑務がまとめられているのだろう。
「で、でもみなさん喜んでくれましたし……」
食い下がるサクラに、キリエは首を横に振る。
「君に役職を与えるときにした説明を覚えているかい?」
生徒会は生徒たちからの投書を受け付けているが、入学したての一年は尻込みしてあまり投書してくれない。
だから同じ一年のサクラがいれば、意見を受け付ける窓口として機能する――そう言っていた。
「いいかい、喧嘩の仲裁や銀鏡行き倒れ事件なんかはまあいいとして……君の受けた”相談”のほとんどは、本人らが解決すべきものだ。ましてや宿題や清掃など、代わるべきものじゃない」
「あれは……その、あの子たちがどうしても訓練に専念したいって言うから……」
そう食い下がったサクラに、キリエは深く、深くため息をついた。
言いたくないが、言うしかない。そんな心情がありありと感じられた。
「なぜ私がこの事態に気づいたかわかるかい? それはね、校内でたむろしていた生徒が話していたからだ。『あいつは便利だ』『面倒なことは全部任せればいい』『こき使ってやれば向こうも喜ぶ』――マシなものでもこれくらいだ。彼女らにはそれなりの”対応”をさせてもらったが……」
その声色には怒りが滲んでいた。
サクラに向けてではない、サクラが作った状況そのものに対して怒っているのだと理解できた。
目を背けたくても、わかってしまった。
「放置していたらエスカレートするのは明らかだ。だからやめてくれと言っているんだよ」
「あ、あたしは大丈夫ですから! どんなことだって、あたしは受け入れて――――」
そこまで口に出して、喉が詰まった。
キリエの鋭い眼光に射抜かれたからだ。
そこにもう怒りはなく、ただ悲しみが……より正確に言えば憐憫が表れていた。
「……納得がいかないなら、合理の話をしよう。君を咎めているのはね、生徒会がそういった要件まで何とかしてくれると誤解されては困るからだ。知っての通り我々は多忙だ。出来うる限り生徒たちのために活動したいが、どこまでも手が回るわけじゃない。無理して手を回せば今度は本当に取り掛かるべき仕事に手が回らなくなるだろう」
その通りだ。キリエの言うことは正しい。
生徒会は、生徒会としての業務だけでなく錯羅回廊という謎の空間の調査も受け持っている。取捨選択をしなければ、かえって困る誰かの数が増えるだけだ。
とうとう出せる言葉が無くなってしまったサクラを見て、キリエは長い金色の睫毛を伏せる。
「人を助ける行為は尊いものだ。君に本当の意味で助けられた人だって何人もいるだろう。だが……君の相談窓口としての活動は、人の成長の機会を奪ってやしないか?」
「…………っ」
人の助けになるためこの学園都市に来た。
力を得て、それを人のために使ってきた。
でも。
「あたしは……間違ってたんでしょうか」
俯くサクラを見たキリエたちは、その表情に驚いた。
悲しみではない、そこには表情が無かった。無表情ですらない、ローラーで均したような平坦な表情。
目が二つに鼻と口がひとつ。そう形容するしか他にない、空虚な顔だった。
「……少なくとも、こんなことをさせるために君を生徒会に入れたわけではないよ」
一瞬、サクラの身体が震えた。
だがそれ以上何も言うことは無かった。
言えなかった。
「しばらく腕章は預かる。話は以上だ――もう下がって構わないよ」
サクラは思わず自分の赤い腕章を握りしめる。
生徒会の証。それを持たせてもらえないようなことをしたのだと、やっとわかった。
今の自分にその資格は無い。
安全ピンを抜き取り、震える手で腕章を机に置いて立ち上がる。
踵を返し、出ていこうとした足が止まる。
「……それでもあたしは、困ってる人がいたら助けます。それがどんなことであっても……ずっとそうするつもりです」
失礼します、と残して生徒会室を後にした。
落とされた長いため息は、キリエのものだ。
ココはそんな上司を睨みつける。
「……厳しすぎない? きっとあの子、褒められると思って来たのよ」
咎めるような視線から、キリエは気まずそうに目を背ける。
「時には厳しさも必要だ。濁してはいけないこともある」
その美しい紅眼は悲しみの色に細められている。
目尻がじわじわと下がり、そのまま上体を机に預けた。
生徒の前では見せない、ある種だらしのない姿だ。
「……どうしよう。嫌われたかな」
「知らないわよ」
怜悧な表情を崩さないココは、それでも心配そうな眼差しでサクラの去った扉を見つめていた。
* * *
サクラのいない教室。
自分の席に腰を下ろすアンジュのそばで、メイドが頬に手を当てる。
「わかりやすく落ち込んでますね、天澄さま」
眉を下げて案じている風だが、本当のところはわからない。
そんな不確かな態度でメイドはなおも続ける。
「あれだけ一方的な勝負だったのですからそれも仕方ありませんか。いくら好きな子相手でも、さすがに幻滅なさったのでは?」
「す、好きじゃありません! ……それに、口を慎みなさい。あの勝負はわたくしが勝って当然のものですわ」
「さすがの自信でございます。昇格試験の前――いや、学内戦の時から天澄さまの試合、全部穴が空くほど見てましたもんね」
「研究のためです。対策に対策を重ね、勝つべくして勝った。それだけですのよ」
サクラの学内戦は全て確認した。
最条学園の運営するチャンネルにアップロードされた学内戦の試合映像を何度も何度も見返し、その中で彼女が近距離に対応する術が乏しいということもわかった。
その上で、高速の接近戦を挑んだのだ。
懸念としては青葉ミズキとの一線で見せた雷拳だが――あれは虚を突いたから決まったようなものの上、わかっていれば岩の鎧を一部分犠牲にするだけで防ぎきれる。
それにあの技は反動が大きすぎておいそれと使えるものではない。カメラワークで隠されていたが、一瞬だけ血まみれの腕が見えた。
「……それにあの子はこのままで終わる人じゃありません。入学式のときだってわたくしに為すすべもなく負けたのに、次の日には臆さず挑んできたのですから」
やっぱり好きじゃないですか、と言いたくはあったものの。
睨まれるのがわかっているメイドは口を閉ざした。
閲覧ありがとうございます!
いつも評価やブックマーク等たいへん力になっております。
これからもよろしくお願いします。




