41.あなたとの距離
昇格試験、残り2分。
サクラが対峙するのは山茶花アンジュ。
入学した当初に勝利した相手だ。
アンジュの周囲には4つの岩塊が公転している。
衛星。攻防を兼ね備えた彼女の主力技。
(相性はこちらが有利のはず……!)
だが、サクラはその技をすでに破っている。
雷の矢をメインウェポンに据えたサクラと衛星のアンジュは、どちらも中遠距離を得意としている。
そして雷の矢は、あの衛星を一方的に貫くほどの破壊力を誇るのだ。
つまり遠くから撃ち合っていれば、負けることは無い。
「――――とでも思っているのでしょうが」
「……っ」
「勝ちたい相手がいるのなら、対策を積んでくるのは当然では?」
衛星が動く。
ただの岩の塊が、ひとりでに姿を変えつつアンジュの四肢に装着されていく。
鎧だ。筒状に変形した岩が、四肢を覆うように鎧となった。
(おかしい)
だがサクラには不可解に感じられた。
衛星を鎧にする。それは射程のアドバンテージを自ら捨てるということ。
さらにあれだけの岩を身体に纏えば、いくら肉体強化が働いていても鈍重な動きしかできないはず。
ならば、距離を保っている今のうちに叩く。
「いけっ!」
アンジュの胸目がけて雷の矢を放つ。
あの身体では回避できない。それに、ガードされたとしても貫くつもりで撃った。
雷の弾速は瞬きの間にアンジュへと届き、そして――――腕の鎧に阻まれる。
「な……」
驚愕に目を見開くのと同時、アンジュが飛び出した。
まるでロケットのような速度で、気づけば目前に迫る。
「はああああっ!」
振るわれた腕が見えた直後、胴体にとてつもない衝撃を受けた。
岩の腕で殴られたのだ、と吹っ飛びながら気づいた直後、オフィスビル五階の壁面に叩きつけられる。
ガラスが割れ、オフィス内へと転がり、立ち上がろうとするも脚に力が入らない。
「か、は……」
衝撃に詰まった喉が呼吸を許さない。
あの威力でブレイクしなかったのは奇跡とも言えた。これまでクオリアを鍛えてきた甲斐があった――だが、時折全身にうっすらとヒビが浮かび上がる。もう何度も食らっていられない。
めちゃくちゃに倒されたデスクに手をついて立ち上がる。
あの速度はいったい――と考えていると、割れた窓の向こうにアンジュの姿が見えた。
まさか飛び上がって来たのかと考えたが、違う。
どう見ても浮いている。
サクラを見つけたアンジュはそのまま不可視の力に押されるかのように猛スピードで向かってくる。
「速すぎますってば!」
がむしゃらに足で床を蹴り後ろに跳ぶと、直前まで倒れていた場所を岩の拳が砕き割る。
がくんと崩れるバランス。一部分が破壊されれば、周囲も無事ではいられない。
割れた床に足を滑らせ、そのまま階下へと落ちていく。
この速さ、そして飛行能力。
どういった理屈が働いているのかと考えた結果、衛星の力に思い当たる。
(――――あたしはバカだ! 重量なんて関係ない、岩を浮遊させたり自在に操ったりできるんだから、むしろあれは重石じゃなくて、アンジュちゃんを運ぶ乗り物みたいな……!)
「そう、衛星はその形を変えたとしても能力は変わらない。浮かんで飛んで、わたくしの身体を加速させる、いわばブースターですわ!」
落下するサクラを真っ逆さまに追ってくるアンジュ。
サクラは苦し紛れに雷の矢を上限の三発放つが、全てを弾かれる。
衛星を使った遠距離戦ではなく、鎧による近距離戦を選んだのはこのため。
強力な雷を操るサクラは撃ち合いに強い反面、近距離戦闘に対応する術をほぼ持っていないのだ。
加速する拳は横殴り。
サクラはとっさに全霊の雷を放射して岩の拳にぶつけ、何とか軌道を逸らす。
直後、視界がぐるりと回った。脇腹を掠めたことで身体がコマのように回転したのだ。
「がはっ!」
真横に吹き飛び、無理な動きに走る痛みに思わず咳き込むと、アーマーに深くヒビが走る。
もうブレイク寸前だ。
(どうしよう、どうしよう! 勝てない……!)
焦燥が思考を塗り潰す。
ここまで太刀打ちできないのか。
培った力も手札も、何もかもが通じない。そもそも、手を出す暇もない。
生き残ることに精いっぱいでまともに戦うことすら難しい。
甘かった。
アンジュは強い。そんなことわかっていたはずだったのに。
サクラが着実に階段を登っていても、アンジュは同じスピード、いやそれ以上の速度で自分を高めていたのだ。
他ならぬサクラに勝つために。
「ぐっ」
ガラス張りの窓に叩きつけられ、声が漏れると同時、窓に亀裂が走る。
立ち上がろうとするも身体が動かず、背を預けた窓があっけなく割れた。
支えを失った身体は傾いでいく。動かない身体ではバランスを保つことができず、そのまま屋外へと投げ出される――ビルの四階から。
気づいた時にはもはや遅く。
ふわりと重力を失う。落ちる。真っ逆さまに。
「あ――――」
上空にはビルから飛び出し執拗に追ってくるアンジュの姿が見え、言い知れぬ恐怖が全員を駆け巡る。
その時、力の抜けた腕に巻かれたリミッターが視界に映った。
残り3秒。
ここまでか……と諦める直前。残り時間が尽きるより前に、サクラは地に落ちた。
衝撃と激痛。
同時にアーマーが完全に砕け――追ってきたアンジュが着地した瞬間、試験終了を示すブザーが鳴り響く。
耳をつんざく轟音は、ほとんど入って来なくて。
サクラはゆっくりと空を見上げた。
『試験終了だ。最終順位を発表する』
担当試験官・赤夜ネムの号令が響き渡り、同時に空へと順位表のホログラムが投射される。
サクラの順位は――5位。
「…………え」
ブレイクはしたものの、ポイントは減っていない。
以前1位のアンジュのポイントも増減は無い。
どうして、と疑問が浮かぶ。
「あなたがブレイクしたのはわたくしの攻撃ではなく落下によるものだからですわ」
その声にゆるゆるとアンジュの方を見る。
アンジュは何の感慨も無く順位表を見上げている。
「それってどういう……」
「赤夜さんは『他の参加者にブレイクされた場合、ポイントの半分を譲渡する』とおっしゃってました。それはつまり他の要因であれば退場こそすれポイントは減少しない――ということでしょう」
アンジュとの最後の攻防。
彼女の攻撃を受けてサクラは吹っ飛んだ。だが、ブレイクまでは至らなかった。
そしてその直後にビルから落下し、地面にぶつかったことでブレイクした……つまりサクラを退場させたのはアンジュではなくコンクリートの地面ということになる。
そしてネムはこうも言っていた。
ブレイクした場合、その時持っていたポイント数で順位を計算することになると。
「5位の状態で終了間際にブレイクしたから……5位に留まったってことですか……」
「そういうことですわね。……はあ、これじゃ勝ったなんて言えませんわ」
アンジュはため息をつき、肩をすくめる。
そんな仕草をしてはいるがあまり残念そうではなかった。
また挑めばいいと、そう考えているかのように。
だが、サクラは。
『さて、5位以内に入ったやつは運営本部で合格証を授与するからさっさと来るように。あとは追って連絡を――――』
アナウンスが響く中、アンジュは笑顔で手を差し伸べてくる。
「ほら行きましょう。合格ですわよ、わたくしたち」
「……あ、あはは、はいっ!」
サクラもまた笑ってその手を取る。
疲弊した身体を引き上げてもらい、何とか立ち上がる。
Dランク昇格試験は合格だ。
ギリギリではあったものの、キリエの期待に応え、入学して最速の昇格という規格外の結果も残した。
だが。
(…………負けた)
だが、その心中は。
(勝てなかった。勝てる気もしなかった。負けたんだ、あたし)
とても喜びとは呼べない、達成感とは程遠い。
暗澹たる感情が渦巻いていた。