36.誤謬浸トリアージ
学内戦を終え、ゴールデンウィークラストの三連休に入ったサクラは目いっぱい遊び呆けて――は、いなかった。
今日も今日とて訓練中。何故かと言えば連休明けてすぐに生徒ランク昇格試験があるからだ。
あれだけ苦労して学内戦を勝ち抜いたのに、試験に落ちては意味がない。
「もっ……げんかい……です……っ」
「もう一声~!」
「ひいいいん!!」
というわけでこんなふうに、連休はハルとマンツーマンである。
トレーニングセンターの地下、再びのプライベートルームを利用させてもらっている。
昇格試験はとにかくなにが起こるかわからない。試験内容も様々で、傾向らしい傾向は無きに等しいと生徒会のメンバーは口をそろえていた。
内容がわからないなら地力勝負。とにかく鍛えるしかない。
ぜったい合格しようね! と張り切るハルに対し、本当は休みの日まで付き合ってもらうのは心苦しい……と言ってみたサクラだったが、鋼鉄の理論武装によって押し切られてしまった。
いわく、選手として活動しないハルは、キューズのサポートをすることが生徒ランクの昇格に寄与する。
だからこうしてサクラのトレーニングを手伝うことや傷を癒すことは自分にとって何の損失もない――等々。
サクラ本人としては申し訳なさが募るばかりだが、頼らずに試験に合格できる自信も実力も無い。
「うんうんいい感じだよ~。サクラちゃん、最近成長めざましい! きっと試験も合格間違いなしだね」
「あはは、そうですかね」
どうにかしてこの”負債”を返せる方法を見つけないとなあ、と思いつつ。
この日何十本目かの雷の矢を放つのだった。
* * *
連休を終えて、5月6日。
今日は参加する生徒の授業が免除され、開催場所である学外の競技場まで一斉にバスで移動することになる。
「……早く着きすぎちゃったかな?」
現在朝の8時ちょうど。軽い朝練を終えたサクラは集合場所である駐車場でぽつんと立ち尽くしていた。
試験開始は12時で、バスの集合時間は11時30分。早く着きすぎたというレベルではないが、どうにも落ち着かず気が付けばここにたどり着いていたのだ。
これからまた訓練するのも体力を消耗してしまうし、保健委員の業務があるらしいハルとはさっき別れてきた(『授業終わったら応援に行くからね!』だそう。感無量である)。
とはいえ時間は余っている。食堂か図書室にでも行って時間を潰そうか……と考えていたところ、見知った赤毛が近づいてきた。
「あら」
「アンジュちゃんじゃないですかー!」
サクラがぱたぱたと駆け寄ると、アンジュは面映ゆそうに前髪を弄る。
傍らにはやはり無表情なメイドがいて、サクラに深々と一礼した。
「あなた、早すぎやしないかしら」
「アンジュちゃんもそうじゃないですか、おそろい!」
「お嬢様は天澄さまが来ているのではないかと目論んでここに――もがが」
「黙りなさい」
乱暴にメイドの口を塞ぐアンジュを見て、仲いいんですね! と笑うサクラ。
さっきまで身体にしがみついていた緊張がいくらかほぐれたようだった。
アンジュの外見に変化は無い。だが、腕を組んで不遜に立つその様子からは、これまでより一層の揺るがぬ自信が感じられた。
おそらくここ最近の熱心な訓練によるものか、それとも学内戦での活躍に由来するものか、その両方か――これまで以上に高い実力と、それにふさわしい自負を身に着けているように思える。
これからこの子と競うのか、と思うと少し恐ろしくもあった。
「合格枠はいくつなんでしょうね」
「関係ありませんわ。何人だろうと――もしたった一人しかDランクになれない狭き門であっても、通るのはこのわたくしなのですから」
「ふおお、かっこいい……!」
「……いや、あなたも同じ土俵で頑張るんですのよ」
どうしてわたくしはこんな子にいつもいつも……とぶつくさ呟くアンジュだったが、サクラは笑顔の上にハテナを浮かべている。
受験人数は最条学園内外を合わせて数十人ほど。試験内容は今のところ全くの不明だが、やるべきことはただひとつ、訓練の成果を全力で発揮するだけだ。
今のサクラなら実力さえ発揮できれば合格は難しくない。それがハルの見込み。
しかし。
「い、いた……っ! 天澄ー!」
切羽詰まったその声に振り返ると、息せき切って走って来たのは以前アンジュの取り巻きをしていた少女二人だった。だが残りのひとりである韮鉢ハイジの姿が無い。
息を荒げる彼女らはサクラの傍らのアンジュに気づいて一瞬ぎょっとしたが、それどころではないとばかりにサクラへ向き直る。
「どうしたんですか?」
「いま生徒会の人たちを探してるんだけど、全然見つからなくて」
「そしたら天澄が見つかって……」
混乱しているのか要領を得ない。
アンジュはわずかに眉をひそめ、
「要点から話しなさい。それじゃ聞けるものも聞けませんわ」
意外なほど優しい声色だった。
アンジュにも色々と思うところはあるのだろうが、それをぐっとこらえているのが分かる。
そんな態度に元取り巻きの二人もわずかに熱を下げたのか、息をついて話し始める。
「ハイジが……ハイジが怪しい研究者の人についていっちゃった」
「…………!」
――――本当にあるんだよ。フィクションの中みたいなバカバカしい悲劇が、この街の陰にはありふれてる。
銀鏡アリスの言葉を思い出す。
この街にあふれる研究者の中には、クオリア使いの学生たちを研究材料としか思わない非道な者もいる。
それを聞いた時にサクラはそんなバカな、と言いたくなった。しかし現実として、目の前で学生が拉致されるところを目撃している。
あの時はアリスの尽力によって事なきを得たが、そうでなければどうなっていたか――いや、あんなことが偶然目の前で起きるのだから、知らないところで恐ろしい事態が何度も起こっているのかもしれない。
あの事件が終わった後、アリスは言っていた。捕まえた研究者たちは『常習犯』ではなく、慣れを感じなかったと。
それは逆に、見つからないよう洗練された手口を使う常習犯が存在することを意味している。
サクラは思わず生唾を飲み込む。
「それは……いつのことですか」
「今朝だよ。登校途中に声をかけてきて、二人で何か話してたと思ったら一緒にどこかへ行っちゃって……止めたんだけど聞いてくれなくて、あっ、そうだ名刺貰った!」
まくしたてるように言った元取り巻きは名刺を差し出して来た。
そこには平凡な名前と、『曲津原サイエンスセンター』という施設の住所が記載されていた。
「曲津原……」
「アンジュちゃん、知ってるんですか?」
アンジュは頷くと顎に手を当てる。
「キューズによる世界平和を掲げる胡散臭いラボですわ。特に最近は黒い噂が絶えないみたいですが、証拠らしい証拠を掴めず噂のまま留まっている……といった感じですわね。そこから出てきた子は、まるで別人みたいに弱くなったり強くなったりしてるとか……」
もう一度、名刺に視線を落とす。
この研究所が、もし”悲劇”を作り出す側だとしたら。
そう思うといてもたってもいられなくて、気づけば走り出していた――だが、その手が掴まれる。
「待ちなさい。どこにいくつもりですの? もうすぐ試験だというのに」
「この研究所です! 今すぐ助けないとハイジちゃんが危ない……!」
「……確かハイジはこの天澄サクラに学内戦でこっぴどく負けているのでしたよね?」
その言葉は、元取り巻きの二人に投げかけられた。
二人は気まずそうに顔を見合わせると、ゆっくりと頷く。
「そのあと、ハイジは荒れていましたわね。ちょうどその現場に通りがかったのですが――あんなやつ絶対昇格なんてできない、させてたまるか……なんてことも口走っていたように記憶しています」
元取り巻きたちは息を呑んだ。
どうしてそれを、とでも言いたげに。
「アンジュちゃん、何を……」
「だから、これは狂言でしょう。ここ最近”相談窓口”として生徒のためにかけずり回っていたあなたならハイジを見捨てられないと思って、試験会場へ向かわせないように仕向けるための」
「ちがう、そんな……!」
「黙りなさい。あなた方には話していません」
ぴしゃり、と打ちつけられた迫力に元取り巻きたちは言葉を失う。
アンジュの視線は今、サクラへ向けてのみ注がれていた。
「確認しますわ。あなたはこれから大事な昇格試験を受ける身です」
「……はい」
キリエの期待に応えるために。
「そのためにこれまでの学内戦に取り組んできたのでしょう。勝つために、訓練を重ねてきたのでしょう」
「はい」
ハルは親身になって付き合ってくれた。
試験参加資格を得られたのは、彼女のおかげと言ってもいい。
「この件は嘘かもしれない。あなたに試験を受けさせないための足止め――もし助けに行けば、昇格の機会を失ってしまうかもしれない。わかってますの?」
「はい!」
迷いの無い返答。
その場にいた誰もが目を見開き、生まれた静寂に身を浸す。
ひとつ、アンジュは渦巻く感情を息に溶かして吐き出した。
「わかってませんわ。行くなと言って――――」
そこまで言って、口をつぐむ。
サクラは無言だった。しかし、その瞳は雄弁に語っている。
もう止まらない、と。
(アンジュちゃんの言う通り、嘘かもしれない。でも)
もし。もし。もし。
この件が真実ならば。
やはり、放っておくことはできないのだと。
「……大丈夫ですよ、アンジュちゃん。すぐに解決して会場に向かいますから。だから……」
サクラは笑う。
安心してほしいから。
そして、不安に蝕まれそうな自分を奮い立たせたいから。
もし試験を受けられなかったら――そんな想いは確かにある。
それでもサクラは取り巻きの二人に笑顔を向ける。
「あたしに任せてください!」
それでも行くのだ。
地図アプリを起動し、住所を入力。
踵を返し、地面を蹴って、サクラは走り出した。
誰も、止めることはできなかった。
「……お嬢様」
「何も言わないで」
「いいんですか」
「…………ほんと、好き勝手ばかり言って、こっちの話なんて聞きもしないで…………」
それでも目が離せない。
だって、あの時。
ハイジの攻撃から庇われた時から、サクラがそういう少女だということはわかっていた。
だから惹かれたのだと、自分が一番よくわかっていたから。




