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34.切り開く波濤


「ここ、いいかしら」


 降ってきた声にハルが振り向くと、アンジュが隣の椅子を指差していた。


「山茶花さん。どうぞどうぞ~」


 椅子を引いてやると赤毛の少女は腰を落ち着け、ロビーの中央に設置された大型スクリーンを見上げる。

 視線の先は分割表示された画面のひとつ。サクラとミズキの試合の様子だ。


「戦況はどうですの?」 


 画面から目を離さずにアンジュが言う。

 ハルはわずかな沈黙の後、


「劣勢……かな」




 * * *




 飛び散った水しぶきが荒地を濡らす。

 顔にかかった水を振り払うと、飛び上がったミズキがハンドボールのように水の球体を投げつけてきた。


「うぐっ!」


 再び大量の水が爆発する。

 直撃こそ避けたものの、広範囲の余波で確実にアーマーが削られていく。

 

 水のクオリア。

 その名の通り、水を生み出し操る能力。

 強力ではあるが、水が不定形の物質かつ様々な形態を取ることから、非常に扱いが困難なクオリアだとされている。


「防戦一方だね、このままじゃ私が勝っちゃうよ!」


 ミズキの手から伸びた水が鞭を形作る。

 何度か空中に振るうと、そのまま真横に薙ぎ払ってきた。

 

 咄嗟に前転すると頭上スレスレを通過する。

 鉄砲水に似た破裂音と共に背後の小山に深い跡が刻まれ、思わず肝を冷やした。

 かなりの威力だ。当たればアーマーが大きく削られてしまう。


(水の……鞭)

 

 学内戦で当たったハイジとの試合を思い出す。

 その力は鞭のクオリア。自分はクオリアに恵まれていなかった、と零していた。

 鞭くらいなら水にだって作れる――そこには明確な格差が横たわっている。

 それだけミズキがクオリアの扱いを磨いてきたということでもあるだろうが。


「どうしたのさ。その眼は――諦めたわけじゃないんだよね」


 悠然と歩いてくるミズキに隙は無い。手元に水球を待機させ、いつでも攻撃に移れるようにしている。

  

 圧倒的な実戦経験の差。

 彼女が学園都市に来たのは、話を聞く限りおそらくは中学から。

 つい最近クオリアを使い始めたサクラとは覆しようのない隔たりがある。

 それでも。


「勝たなきゃいけないんですっ!」


 空中に生じた稲妻が矢となり発射される。

 指で狙いをつける必要はない。重ねた訓練がクオリアの操作精度を底上げしている。

 雷の矢は緩く螺旋を描く軌道で飛び、ミズキの胸へと吸い込まれ――――


「よっと」


 空を切る。

 小さく身体を翻すことで、雷撃は容易く回避された。

 サクラが目を見開くと同時、ミズキは右手の水球で反撃に移ろうとする。


「まだです!」


 だがそれよりも早くサクラが追撃に動く。

 一撃目から遅れて番えた二の矢は、攻撃に移ろうとしたミズキの機先を制し、そのまま命中する――その直前。


 水球が姿を変える。

 ぐるりと回転すると、その遠心力で持って形状を平たくし、盾のように立ちふさがる。

 形成したのは渦だ。それも普通の渦とは違う、中心から外側へ向かって流れる渦。

 雷の矢は渦の盾に命中すると、流れに沿って弾き飛ばされた。


「そんな……」


「危ない危ない。まさか二本目が出せるようになってたなんてね――それが奥の手かな?」


 ミズキの頬に垂れる冷や汗を見ると、予想外ではあったのだろう。

 しかし、想定の域を超えることは出来なかった。

 サクラの培ってきた技は、とっさに対応できる範疇だったのだ。


「いつもだらしのないミズキさんだけどさ、ここだけは負けらんないわけよ。Dランクになれば学外の大会にも出られるようになる。そうすればアケミちゃんとの約束へ近づくからさ」


 渦の盾は水球へその姿を戻すと一気に膨張する。

 それをミズキが指先で突くと、水球は猛スピードで弾かれサクラにぶつかった。


「ごぼ……っ!?」  


 ずぶ、と防ごうとした手先から飲み込まれる。

 あっという間に全身が水中に囚われても推進力は止まらない。

 そのまま褐色の小山にぶつかると、凄まじい衝撃と共に水しぶきが爆散した。

 力の抜けた膝をつき、勢いよく咳き込むと喉に詰まった水が吐き出される。

 全身の表面にヒビが入る。サクラのブレイクが近い。


「休んでる暇なんかないよ!」


 弾かれたように顔を上げると、荒れ地をスケートのように滑りながら接近してくるミズキの姿。

 その足元には微かに散る水が見えた。ミズキはシューズの裏に水の膜を生成することで地面を滑走しているのだ。

 氷と同じ原理で滑っているのにサクラが気づくことは無かった。理解できるのはただひとつ、その右手から伸びる水の剣に触れれば終わることだけだ。


「――――ッ!」

 

 回避は間に合わない。

 ミズキはすでに懐に入り込み、斜め下からすくい上げるようにして水剣を振るっている。

 

(負けられないのは…………)


 濡れたこの身に熱が灯る。

 考えている余裕は無い、思考が飛び、身体だけが反射的に動く。

 空中に雷光が閃くと、ノーモーションで撃ち出された二発の雷の矢が水の刀身を迎撃する。


「なっ!?」


 初めて驚愕を見せるミズキ。

 だが剣の勢いを殺しきることはできず、逸れた軌道がサクラの顔すれすれを掠めた。

 ブォン、とチェーンソーに似た振動音が鼓膜を叩き、根元の地面ごと背後の小山を両断した。


 とてつもない破壊は爆風を呼び、双方吹き飛ばされて距離が空く。


「いてて……見たんだよね、テレビで。宝石カットに使われてる水圧ブレード」


 まさか防がれるなんて思わなかったな、と起き上がるミズキ。

 受ければ間違いなくブレイクを免れない威力。


 ふとサクラはあれだけ水飛沫を受けた身体が乾いていることに気づく。

 クオリアで生み出した物質の質量には限度がある。水圧ブレードのぶん今まで出した水が消えたということか──しかしそれは同時にそれだけの質量が水剣に込められていることを意味する。

 

「でもこの水圧、消耗が激しくてさ。何度も使えないんだ――だから」


 空気が変わる。

 鋭く細められた瞳がサクラを射抜く。


「次は当てる。それでおしまい!」


 ミズキが踏み出すと同時、その足元が滑るように動き、一気にトップスピードに達する。

 水の膜によるスケート、そして右手に再び水剣が現れる。

 あの機動力からは逃げられない。


「あたしにも負けられない理由があるんです!」 


 背負っているものは、大切な人からの信頼と期待。

 応えたい。応えなくてはならない。

 あの日テレビの向こうに見た笑顔を、この手で届けたい。


 二発の雷の矢を空中に構えると同時、サクラは渾身の力で地面を蹴った。

 回避ではなく、接近。その選択に一瞬ミズキは驚くも、すぐに笑みを浮かべる。

 向かってくるなら、そのまま切り裂いてやるだけだと。


 二人の距離は一瞬で縮む。

 横薙ぎに振るわれる水剣に対し、一発目の矢が射出される。

 感情の昂りに応じて唸りを上げる雷は水剣をわずかに弾き、サクラの頬を掠める。アーマーで軽減しきれなかった切れ味が、頬に赤い一筋を作り出した。


 ミズキの攻撃は凌いだ。

 そして、サクラには二発目の矢が残っている。


「これで――――!!」


 雷が駆ける。

 もはや手の届く距離。命中を確信した。

 しかし、


「だから……負けられないんだって!」


 再び渦が生じる。

 ミズキの左手から生み出された盾は、サクラに残された二発目の矢を弾き飛ばす。

 スローモーションになる視界の端、その矢が離れた小岩に着弾したのを確認した。


 凌ぎきった。 

 後はがら空きの身体を小突いてやれば勝ちだ。

 勝利を確信した瞬間、目前のサクラが上体を沈めた。


「え?」


 ミズキは思わず目を見開く。

 サクラの身体の向こう、彼女の背後に信じられないものを見た。

 それは空中に激しく迸る雷だ。


「……三発目……!?」


「二発しか撃てないなんて言ってませんよ!」


 これは半分ハッタリだ。

 三発の矢の同時発動は最後まで形にならなかった。

 どうしても三発目のコントロールが散漫になってしまい、まともに当てられないのだ。


 だが、この距離なら。

 矢として撃つ以外の方法が使える。


(狙えないなら……直接ぶつける!)


 駆けるサクラに矢が追い付く。

 荒々しく唸る雷は吸い込まれるようにして、握りしめた右手に宿った。

 燐光を放つ右腕。サクラは力強く前へ踏み込むと、目前に立ちふさがる渦の盾の中心部へと叩き込む。


「い……けええええええっ!」

 

 外へ追い出す力に抗って渦を貫いた雷の拳は、そのままミズキに直撃した。

 ぴし、ぴし、と連続する破砕音。そして――不可視の障壁が砕け散る。


 音が消える。

 訪れた静寂は、二人の動きが止まったことを意味していた。


「……やるじゃん」


 小さく落とされた呟き。

 膝をついたのはミズキだった。

 同時に『BREAK DOWN』と無機質な音声が再生され、勝敗が決した。


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