33.かの期待と、彼女の信頼を
少し不安を抱えたまま始まった訓練だったが、ハルの想像はいい意味で裏切られた。
訓練開始から二時間、すでにサクラは雷の矢の二発同時発射を安定させつつある。
「すごいすごい、もう完璧だね」
「いえ! まだまだですっ」
発射できるだけでは足りない。
軌道にタイミングの調整や、どんな体勢からでも当てられるようにならなければ実戦では通用しない。
ひたむきに打ち込むサクラを目にして、ハルは思わずタブレット端末を持つ手に力が入る。
(…………やっぱり筋がいい。フィジカル面に関しては秀でてるわけじゃないけど、クオリアのコツを掴むのが抜群にうまい)
何でもそつなくこなすとまでは言えない。
しかし、こうと決めたサクラは驚くべき速度で成長する。
それは失敗して電流を受けたくないというのも大きいだろう。
しかし、サクラが今必死に努力しているのはハルのためだ。
自分の目標に協力してくれるハルに報いるためだ。
視線の先では、サクラの放った二条の雷が動き回る標的を的確に破壊した。
やったあ、と快哉を上げてハルに笑顔を向ける。
(本当にまっすぐだね)
自分も昔はこんな感じだったのかな。
懐かしい気持ちに胸の熱を覚えながら、ハルはタブレットを操作する。
「どんどんいこー、サクラちゃん。次はこの設定で――――」
初めて出会った時から本当に見違えた。
試合は二日後。それだけあれば、別人にだってなれるだろう。
* * *
そして次の日。の、そのまた次の日。
試合当日。
仮想試験場のロビーのベンチでサクラとハルの二人は開始時刻を待ちに待っていた。
「もうすぐだね。水分補給はした?」
「…………」
「サクラちゃん?」
ぽん、と肩に手を置くと、サクラは声にならない悲鳴を上げて飛び上がる。
顔色が悪い。こんなサクラを見るのは初めてだった。
「ご、ごめんなさい。なんでしたっけ」
「水分補給した?」
「あっ、そうですよね、飲んでおきま……あっ」
脇に置いた鞄から出そうとした水筒を取り落とす。
ころころと転がり始める前にハルが拾って、サクラに渡す。
「あ、ありがとうございます……げほっ!」
飲もうとして気管に入ったのか咳き込み始めた背中を、ハルは優しく擦ってやる。
しばらくそうしていると少し落ち着いたのか、サクラは長く深い息を吐いた。
気の毒なくらいに緊張していて、見ていられない。
「……こんなのじゃ、まともにクオリアなんて使えませんよね」
クオリアの行使はメンタルの調子に左右される。
今のサクラではコントロールどころかまともに発動する事すら難しいかもしれない。
ぐっと握った手が強張る。身体が石になってしまったかのようだ。
負けられない。勝たなければ。
そう強く思うほどにそれは気負いに変わり、全身を縛る。
勝敗というものをこれほど意識したのは初めてだった。
負ければキリエの期待に応えられない。
そして訓練に協力してくれたハルをも裏切ることになってしまう。
ぎゅっと目をつぶれば、瞼の裏の暗闇に飲み込まれそうだった。
もっと出来たことがあったのではないか。あそこでああしていれば。
圧し掛かる後悔に抵抗するかのように手を握る。
すると、震える手が不意の温かさに包まれた。
「指先、冷たいね」
「ハルちゃん……?」
目を開ければ、そこにはハルがいた。
硬く冷たいサクラの手を、両手で包んでくれている。
ハルの温かさが、じわじわと伝わってくる。
「大丈夫。大丈夫だよ。サクラちゃん、いっぱい頑張ってたもん。だから絶対勝てる」
「でも、相手は……ミズキちゃんはすごく強くて、あたしじゃ届かないかもしれなくて」
「勝てるよ」
ハルは顔をサクラのそれに近づけると、額と額を触れ合わせた。
前髪が交わる。お互いの息が混じる。深緑の瞳がサクラを捉える。
信じている。その想いが、言葉にせずとも十二分に伝わってくる。
高鳴る鼓動が熱となり、サクラの全身に伝播していく。
「自分を信じられないなら、わたしを信じてみて。ずっとサクラちゃんの頑張りを見てきた、わたしを」
いつの間にか手の震えは治まっていた。
どくん、どくん、と。
胸の高鳴りが、ロビーの喧騒を押し出していく。
「あたし、頑張ってますか」
「この二日だけじゃなくて、ずっとずっと、サクラちゃんが頑張ってたの見てたよ」
朝も昼も夜も。
高校から入都した遅れを取り戻すために、必死で。
置いていかれないように。
追いつけるように。
追い越せるように。
遠い遠い夢の背中をひたすらに追ってきた。
まだまだ走り始めたばかりだが、それでもサクラはここに立っている。
ふ、と笑い声が漏れた。
「――――そこまで言われたら、負けられませんね」
キリエの期待。
ハルの信頼。
それらは、サクラが学園都市に来て勝ち取ったもの。
間違いなく自身の行動の結果に得たものだ。
それはサクラを苛むプレッシャーではない。
背中を押してくれる追い風だ。
「きっと勝ってね」
「任せてください」
端末で認証を済ませると、サクラの身体は光に包まれ消えた。
* * *
青葉ミズキに緊張は無い。
それを証明するかの如く、鼻歌すら歌いながら仮想試験場への道を歩いていると、その施設の自動ドアから知った顔が出てきた。
ミズキはぱっと顔を華やがせ、軽やかな足取りで駆け寄る。
「アケミちゃん、よーっ」
真面目という言葉が形を得たかのようなその女性――総谷アケミ先生は眼鏡をわずかに上げて顔をしかめた。
「……せめて学校ではその呼び方をやめなさい」
「幼馴染なんだから別に、」
「ダメです」
「……はーい」
しぶしぶといった口調だったが、ミズキに落胆は無い。
このやりとり自体を楽しんでいるようでもあった。
「学内戦ラスト行ってくるよ」
「ああ……相手は、天澄サクラさんでしたか」
「知ってくれてるんだ」
「担任ですから」
「わかってまーす」
残念そうに、しかし口元には笑みを浮かべて。
つかみどころのない少女は、担任教師とすれ違う。
そして、振り返る。遠ざかる背中を繋ぎとめるように、言う。
「私、勝ってくるから。約束忘れてないからね。絶対叶えてみせるからね」
アケミは一度だけ立ち止まり、また歩き出す。
振り返ることはしなかった。
ただ、ぽつりと。
「……応援はしませんからね」
遠ざかる背中。
ミズキは小さく「真面目だなあ」と呟き。
そして、昔からそういうところが好きだったのだと再確認した。
* * *
視界が切り替わると同時、サクラの足裏に伝わるでこぼことした感触。
ステージは荒野の山岳地帯。あたりにいくつもの小山が立ち並ぶ、褐色に覆われたフィールド。
差し込むオレンジの陽射しは、設定時間が夕方であることを意味する。
少し離れた先に、光の渦が生じると、その中から青葉ミズキが現れた。
中性的な美貌に、屋外のものと遜色ない風に揺れる黒髪から、インナーカラーの青が覗く。
その表情に臆した色は見当たらない。
「見違えたね、サクラ。かなり仕上げてきたんだ」
「ありがとうございます!」
同級生でもトップクラスと呼べる実力を持つミズキに認めてもらえる。
それだけサクラは変わった。ハルがいたおかげだ。
だが、空気が変わる。
ミズキの纏うつかみどころのない雰囲気が張り詰め、この場へと浸透していく。
「だけど――もう一度言う。負ける気はないよ」
びりびりと空気が震える錯覚をした。
視線だけで後ずさりそうになるのをこらえて、顎を上げる。
真っすぐに、対戦相手を見据える。
「……はい。でも」
勝てるかわからない。
負けたらどうしよう。
そんな恐れが消えたわけではない。
――――勝てるよ。
だが。
「あたしが勝ちます。絶対に!」
勝ちたいという想いがそれらを上回る。
サクラとしては、初めてのことだった。