30.学園都市にはびこる白
空を見上げるとまばらに瞬く星。
訓練を終えたサクラは帰宅のため街中を歩いていた。
「疲れたぁ……」
ため息を落とした拍子に学生鞄のひもが肩からずり落ちた。
ひもをかけ直しつつ、これからモノレールに乗ることを考えると、少しだけ気が滅入りそうになる。
今日は普段より忙しかった。
相談窓口として清掃代行、花壇の手入れ、ノートの写し等々……様々な『相談』に応えてから訓練に取り掛かったせいで気が付けば日が暮れてしまっていた。
全身くたくたで、帰ってベッドに飛び込んだらそのまま朝まで目覚めない気がする。
「でも、充実してる感じするな」
誰かの役に立てるなら。
どれだけ疲れようとも、それはサクラにとって喜びでしかない。
ひとつひとつは小さなことでも、助けになれているのは間違いないはずだ。
「…………」
――――『誰かの助けになれるなら』とかそういうの、やめた方がいいって。いつか絶対に痛い目を見るよ。
つい最近、銀鏡アリスに言われた言葉が頭をよぎる。
いつか痛い目を見る。それでもいい、とその時サクラは答えた。
だが、『絶対』と断言されたことと――あの時、ぼんやりしていたアリスの目が真に迫っていたことが引っかかる。
この身に降りかかる痛みや苦しみに理由があれば――具体的には、誰かの助けになれるなら。
サクラは躊躇いなくそれを享受する。
実際のところ、相談を受けることでサクラの時間や体力は確実に削られている。
だが、それを痛い目とまでは言わないような気がする。
その程度なら、アリスはあれほど真剣なまなざしを向けてくることは無かっただろうから。
「いつかって、なんだろう」
理由のわからない不安の種が胸の奥で芽吹いたような感覚。
そんなもやもやを抱えながら駅への道を歩いていると、いきなり視界に白が飛び込んできた。
「あなた、最条学園の生徒さんよね?」
「はい? そうですけど……お姉さんは?」
その白は白衣だった。
横から声をかけてきたのは白衣に身を包んだ30代前半ほどの女性。
にこにこと、夜の街にはあまり似合わない笑みを浮かべている。
「今お時間ある? 協力してほしいことがあるの。ちょっと検査を受けてもらうだけだから。健康診断みたいなものだと思って、ねっ」
サクラの質問には答えず、白衣の女性は話を進める。
さすがに何かきな臭いものを感じ取ったが、困っている様子を見ると断るのも忍びない。
それに、自分が学園都市に来たのは人の役に立つためだ――そんな想いを胸に、サクラは首を縦に振る。
「いいですよ!」
「本当!? 良かった、断られてばかりで困ってたの」
安堵したように笑みを深める女性に、サクラも笑みをこぼす。
良かった。これで間違ってない。
喜んでくれるなら、それが一番大切なことだ――そう考えながら女性に手を取られた瞬間、
「ちょっとー。その子は銀鏡と約束があるんですけど」
ぎくり、と白衣から伸びる手が硬直する。
声のする方向を見れば、そこに銀鏡アリスが立っていた。
白い前髪の奥の瞳は鋭く女性を睨みつけている。
「銀鏡の後輩に何か用?」
「さ、最条学園の生徒会役員……い、いえ、ちょっと話を聞いてもらってただけですよ! 失礼しました!」
白衣の女性はサクラから手を放すと、慌てて走って行ってしまった。
アリスはため息を落とすとサクラに歩み寄り、頭を軽く小突いた。
「いたっ」
「ばか。あんなのに着いていくな」
ほんっとにめんどくさい後輩、とぼやくアリス。
サクラはじんじん痛む頭をさすりつつ、
「だ、だって困ってるみたいでしたし……」
「手を貸しちゃいけない相手もいるんだよ。っていうかなんで腕章外してるの」
そういえば訓練の後着替えるときに着け忘れてました、と言うとアリスは小さくため息をついた。
「その辺見て、白衣来た連中がちらほらいるでしょ」
アリスの言う通り、街中には白衣が散見される。
立ち止まってタブレットを操作していたり、さっきのサクラのように道行く生徒に声をかけていたりと様々だが、共通しているのはその視線が生徒に注がれているという点だった。
「この学園都市にはクオリアの研究者がたくさんいる。あいつらサンプルやデータ採るためならなりふり構わないから……着いていったらヤバい実験台にされたり不認可のクスリ飲まされたりして最悪廃人になる」
突然差し込まれた物騒な単語の数々に、一瞬頭が真っ白になる。
あまりに現実感が無く、おいそれとは信じられない。
「ま、まっさかー。冗談です……よね?」
「こんなつまらない冗談は言わない。……本当にあるんだよ。フィクションの中みたいなバカバカしい悲劇が、この街の陰にはありふれてる」
その口調は気だるげで、しかし計り知れない感情を含んでいるようでもあって。
だからサクラは、「ちょっと時間ある?」というその誘いを断ることができなかったのだ。
* * *
コンビニのイートインで座っていると、アリスは湯気が立つカップを持ってきた。
奢ってもらうのは気が引けたが、問答の末に今度サクラが奢り返すということで決着がついた。
「ほい」
「ありがとうございます」
カップを満たすコーヒーから香ばしい匂いが立ち上る。
ガラス張りの店内からは等間隔で並んだ街灯に照らされた街並みが見え、夜が更けつつあることを知らせてくる。
「仮想試験場ってあるでしょ」
「あの学内戦とかで使う施設ですよね?」
「そう。あれの建造には空間のクオリアを利用した技術が使われてて、広さは外観から計算できる何十倍にも上る」
仮想試験場は様々なシチュエーションを想定した無数の拡張空間が格納されている。
あきらかに物理法則を無視した建築物だが、クオリアの力はその不条理を現実にした。
「試験場だけじゃなくて、この学園都市には完全にオーバーテクノロジーな科学技術が大量に存在してる。”外”の技術じゃ何十年かかっても追いつけないような、ね」
「つまり……どういうことですか?」
「クオリア科学は金のなる木に育つ可能性がある。だから研究者たちは血眼になって検体を集めたがるんだよ」
声をかけて実験に参加させる。
健康診断と偽ってデータを採る。
薬物の投与。手術。
いかなる手段を使っても学生たちのクオリアを活用したがる連中が、確かに存在する。
アリスはそう言った。
「で、でもそんなの犯罪じゃないですか! 普通取り締まられて……」
「その通り。だけど研究者は後から後から虫のように湧いてくるし、奴らも馬鹿じゃない。人目をくぐり抜ける手段なんて、いくらでもあるからね」
それこそ金で学生を雇って協力させたりなんかして。
アリスは吐き捨てるように言うと、カップに口をつける。
「研究者はいつでもキューズを狙ってる。髪の毛一本でも欲しがってる。特に夜はそこら中にいるから気を付けた方がいいよ」
「…………」
思わず言葉を失ってしまう。
この学園都市でそんなことが行われていたなんて知らなかった。
思いがけずこの街の闇を覗き込んでしまった気になって、サクラは手元のカップに視線を落とす。
その様子を見かねたのか、アリスは努めて明るい声を出す。
「ま、そんなヤバいやつらなんてごくごく一部だけどね。キリエ先輩たちだって、知らせるよりも怖がらせないために言わなかったんだと思うし――――」
と。
少し空気が緩み始めたと思ったところで、ガラスの向こう、道路の反対側でそれは起きた。
「ん?」
その疑問符は、サクラとアリス、二人の口から発せられた。
視線の向こうでは研究者と思われる白衣の人物が、どこかの学生と揉めていた。
研究者は懐から取り出したマスクを学生の口に取りつけると、学生の身体から力が抜ける。
「んんん?」
すると見計らったように数人の研究者が集まり、学生を抱えると傍に駐車してあったワンボックスに放り込み――流れるような手際で走り去ってしまった。
「ヤバい奴ら出ちゃったじゃん!!」
叫ぶアリスは立ち上がると目の前のガラスへ向かって勢いよく跳躍した。
「ちょっ、先輩割れちゃ……」
サクラが制止するのも間に合わず。
見るも無残に砕け散るガラスを想像した。
だが、アリスはまるでそこに何も存在しないかのようにすり抜け、店外へ出るとワンボックス目がけて走り出した。
「どういう……ま、待ってください!」
慌てて追いかけるサクラ。
急展開に混乱しながらも、その足取りは迷いなくアリスの足取りをたどっていた。




