29.怠惰の沼のアリス
校門脇で倒れていた謎の生徒会役員――名を銀鏡アリスというらしい。
アリスは大きく伸びをすると、長い前髪の向こうからサクラを見つめる。
「そっか、銀鏡ってばお腹減ってたんだ。めんどくさくて後回しにしてたあ……」
「ええ……」
面倒くさがりもここに極まれりと言った感じだった。
放っておけばいつの間にか死んでしまっていた……なんてことが冗談で無くなってしまう。
サクラと一緒に来たハルもどう反応していいか分からないのか曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。
当のアリスはサクラを値踏みするように見つめる。
「てか後輩? ほんとに?」
「は、はい。キリエさんに誘ってもらって」
「ふうん。生徒会って適性がないとダメだから後輩は入ってこないと思ってたのに」
「適性?」
首を傾げるハル。サクラは慌ててアリスの口を塞ぐ。
「ちょちょちょちょ先輩それだめ、だめですそれ」
「むぐぐ」
生徒会の加入条件――異空間である錯羅回廊への適性が必要ということに関しては内密にとのことだったはずだ。
他の子が……ハルがいるのにあっけらかんとそんなことを言ってしまうなんて! と泡を吹きそうになる。
「いや、何でもないんですハルちゃん! そうだあたし銀鏡先輩をちょっと保健室に連れて行ってきますねー!」
サクラは問答無用でアリスを担ぎ上げると一気に走り出す。
使用者の目が覚めたせいか、鏡のクオリアによるオート反射は切れているようだった。
ハルは凄まじい勢いで遠ざかっていく背中をぽかんと見送ると、
「……どうして隠し事するんだろう」
少し悲しそうに肩を落とすのだった。
* * *
「しーっですよ、しーっ!」
連れてきたのは生徒会室だった。
体調が悪いわけではないし、途中でアリスがそう要求したからだ。
部屋は薄暗く静まり返っている。最条学園は午前中に授業が終わるので、昼休みになれば放課後という扱いになるのだが、まだキリエやココは来ていないようだった。
「どーして? あの大人しそうな子、一緒にいるから事情知ってるものだと思ってたんだけど」
その言葉にサクラは鼻白む。
気まずそうに視線をさまよわせつつ、それでも黙秘する理由はある。黙っていろと言われれば黙っているし、それを破る気にはなれない。
「や、一応……生徒会には関係ないですし」
ふうん、と特に興味も無さそうに立ち上がったアリスは棚から書類が挟まった分厚いファイルをいくつか取り出す。
手伝いましょうか? と言ってみたが、無言で首を振られた。
「そっかあ。それはごめんね」
サクラの『理由』に納得したのか曖昧な謝罪を投げつつゆっくりとファイルを開くと、書類に目を通し始める。
ぼんやりしているが、書類を捲るスピードはかなりのもので、それに比例して内容を追う瞳の動きも速くなっていく。
「あの……なにをしてるんですか?」
「学園を空けてた間に溜まった仕事の確認。めんどくさいけどやらないとだから。……めんどくさいけど」
二回言うほど面倒らしい。
だが、そう言いながら学園に戻ってすぐ取り掛かるところを見ると、仕事には熱心なのだろうか。
静かな部屋に、紙を捲る音だけがしばらく響く。
(生徒会って綺麗な人ばかりなのかな)
ガラス細工を彷彿とさせる精緻な横顔。
キリエやココとまた違う、儚さを孕んだ美しさを見つめていると、ふと目が合った。
「ねえ、なんで生徒会に入ったの? 適性があっても危険だし、正直断るほうが普通な気がするんだけど」
似たようなことをココにも聞かれた気がする。
錯羅回廊にはモンスターがいる。人を殺すため、人に襲い掛かってくる凶暴なモンスターが。
キューズ同士の試合とは違う、たとえアーマーが壊れても戦いは止まらない。
死ぬことだって充分あり得るということを、サクラは学園都市に来た日に身をもって理解した。
しかし、それでもサクラは戦うことを選んだ。
力がなくとも、ステージに立つ権利があるならできることはあるのではないかと。
「あたしが頑張ることで、少しでも人の助けになれるならいいかなって!」
「……ふうん」
アリスは前髪の奥の目をわずかに眇めると、書類に視線を落とす。
しばしの沈黙のあと、アリスは口を開いた。
「黄泉川先輩に止められたでしょ」
「え、どうしてそれを」
「銀鏡の時もそうだったからね」
アリスは静かに最後のファイルを閉じると、サクラに向き直る。
その青銀の瞳から感情の色は上手く読み取れない。しかし、冗談などを言う気がないことだけはわかった。
「あの人優しいでしょ。……まあ『めんどくさい』って言うたび叱ってくるから怖いんだけど、あの人が一番働いてるから何にも言えないんだよなあー……」
「『やめた方がいいわ』って言われました」
「あはは、はっきり言うね、あの人。キリエさんは無闇に他者評価が高いからそういう時はあまり止めないんだけど、黄泉川先輩は断固として反対するんだよ。……でも、銀鏡も個人的には黄泉川先輩に賛成」
「それはどうしてですか? 銀鏡先輩だって加入してるのに」
アリスはそれには答えなかった。
ただ、上を少しだけ見つめて、息を吐くように言う。
「『誰かの助けになれるなら』とかそういうの、やめた方がいいって。いつか絶対に痛い目を見るよ」
「痛い目を見て誰かを助けられるなら全然いいじゃないですか」
アリスは目を見開くと、少しだけ眉間に皺を寄せる。
「……重傷だこれ。めんどくさー……」
「え?」
「何でもなーい。まあ生徒会にいるうちは大丈夫なんじゃない? キリエさんは信用できるし、黄泉川先輩は厳しいけどいい人だし」
投げやりな言い方だったが、その口調には確かな信頼が感じられる。
サクラも同じ想いだ。まだキリエたちに会って間もないが、信頼の置ける人物であることは疑っていない。
「あれ、そう言えば生徒会役員はもう一人いるって聞いたんですけど」
まだ戻ってないんですか? と言った瞬間、アリスは露骨に嫌そうな顔をした。
苦虫を噛み潰したような、という表現がよく似合う。
「アレは……うん、気にしなくていいよ。死んだってことにしとこー」
「ええ!? 生徒会の仲間なんじゃ……?」
「ナカマチガウ。テキ」
「敵!?」
もう何もわからない。
生徒会役員はみんないい人だと思っていたが、違うのだろうか。
ここまで言われると、逆にどんな人物なのか興味がわいてくるが……。
アリスはおもむろに立ち上がると、両手をサクラの肩に置く。
「いい? あれは化け物だから。もし遭遇したら五メートル距離を取って、銀鏡に連絡するように」
「人間じゃないんですか……?」
「そうだよ、だから……あっ」
ヒートアップしたのか、アリスは踏み出そうとした瞬間椅子に足を引っ掛けた。
その結果バランスを崩し、
「わあっ!」
「いたっ」
サクラを押し倒す形で倒れ込んだ。
がしゃがしゃん! と結構な音がしたものの痛みは無い。
見上げると馬乗りになったアリスが心配そうにこちらを覗き込んできていた。
「ごめん、大丈夫? 怪我とかしてない?」
「は、はい。ぜんぜん平気で――――」
がちゃり。
ドアの開く音。
二人は重なり合ったまま視線をそちらに移すと、そこには表情を普段よりもさらに消した黄泉川ココが見下ろしていた。
「えっ、と」
どう説明したものか──と逡巡した刹那、ぐしゃあ! という異音が響く。
ココが拳で入り口の戸当たりの部分を叩き潰した音だった。
一気に血の気が引く。
怒っているのだ、あからさまに。
何にそこまで怒っているのかがわからないのがなお怖い。
「銀鏡……帰ってきたと思ったらどういった了見でその子に狼藉を働いているのかしら……」
「ひぇっ……!?」
その後、生徒会室に悲鳴が響き渡った。
サクラが何とかとりなしてその場を収め、修復のクオリアを使う生徒を呼んだことで入り口も直ったが、その日ココは落ち込み続けていた。
銀鏡アリス
特技:字が綺麗




