27.ショッキングピンク
窓から差し込む光を浴びて、山茶花アンジュは目を覚ました。
「…………」
最悪の目覚めである。
ランキングをつけるとするなら人生で三番目くらい。
そんな彼女の機嫌を表すかのように、普段の美しくウェーブした赤い髪はボンバーヘッドと化し、形の良い目は不機嫌そうに眇められていた。
昨日のこと。
メイドと買い物に出かけたアンジュは、帰りに天澄サクラと会った。
その手はクラスメイトの柚見坂ハルと繋がれており、しかも繋ぎ方が問題だった。
手を貝殻のように重ね、指を互い違いに絡める――つまり、恋人繋ぎである。
「はあ……」
普段より2オクターブくらい低い嘆息が出る。
昨日は泣き叫びながら家に帰り、ひとしきり嘆いた後メイドの作った鍋を食べ、いつもより早い時間にふて寝した。
どうしてそこまでショックを受けたのかと言うと、最近アンジュはサクラのことが気になって気になって仕方ないからだ。
そんな相手が別の子と仲睦まじそうに出かけていたとなると、やはり荒れ模様になっても仕方のないことではあるのかもしれない。
頼りない足取りでリビングに出ると、行儀悪くスマホで動画を見ながら食パンを食べるメイドがいた。
「あ、おはようございますお嬢様。よく眠れましたか?」
「そんな顔に見える……?」
見えませんねえ、と返し、メイドは再びスマホに目を落とす。
アンジュはメイドと寮で二人暮らしだ。
基本寮住まいの生徒は一人暮らしだが、仲のいい相手とルームシェアするのも珍しくない。
ルームシェアまで行かずとも、お互いの部屋を行き来しすぎて半同棲のようになっている者もいるくらいだ。
「さっきから何を見てますの?」
「カップルチャンネルの配信です。なかなかおもしろいですよ、こいつらそのうち別れるんだろうなと思いながら見ると」
「趣味が悪すぎますわ!」
牛乳をコップに注ぎ、メイドと同じ朝食が置かれたテーブルに着く。
メイドの手元の画面上では、お揃いのピンク色に髪を染めた根明そうなカップルがコメントに答えている。
どうやら恋愛相談らしい。ほとんどの質問はイチャイチャのダシにされているのでリスナーを憐れみつつ、食パンをちぎって口に入れる。
だが、そんな中ひとつの質問が耳に止まった。
『えーと次の質問はなになに……『高1の女子です。私には好きな人がいるのですが、初対面の時に喧嘩してしまったせいで未だにぎくしゃくしてしまいます。もっと仲良くなりたいのに素直になれなくてきつく当たってしまうのもやめたいです。どうしたらいいでしょうか?』……なるほど質問ありがとうございますー』
ぴたりとアンジュの手が止まる。
自分に限りなく近いその境遇に、意識が引き寄せられていく。
『そだねー、やっぱりまずは相手に好意を持ってるって知ってもらわないとダメだから、頑張って普通に話してみるところから始めればいいんじゃないかな?』
存外まともなことを言う。
アンジュはいつのまにか聴覚に集中していた。
だがその代償として、手が止まり口まで空きっぱなしなその姿を、メイドは微妙な顔で眺めている。
『やっぱり素直に行くのが一番じゃないですかー、つんでれ?とか今時流行らないし』
「はぐぅあ」
質問者は自分ではないのに痛いところを突かれたような気がして思わず胸を押さえる。
……確かに、出会った時からサクラに対して態度がきつかったかもしれない。
そんな主人を見かねたのか、メイドは配信を閉じると冷たい目で流し見した。
「私も同意見ですね。お嬢様のお気持ちもわからないではないですが、そもそも――――」
メイドはもったいぶるように溜める。
アンジュがごくりと前のめりに聞こうとしているのを確認すると、再び口を開く。
「最初の”ツン”の段階で嫌われたら元も子もないと思いませんか?」
どしゃーん。
と、脳天に落雷を食らった気分だった。
確かにそうだ。どれだけ好意を持っていても、それが相手に伝わらなければ意味がない。
そして秘めた好意が伝わらず、辛辣な態度だけが印象に残っては敬遠されるだけ。
ショックでふらふらと食器を持って流し台に向かう主人を見つつ、メイドはもう一度配信を開く。
「しめしめ」
わざわざ相談メールを送って正解だったと、メイドは内心でほくそ笑む。
まさかここまでうまくいくとは思わなかったが。
つんつんでれつんでれつんつん、と適当な調子で口ずさみながら、メイドはSNSのタイムラインをスクロールした。
* * *
いつものように朝練を終えたサクラは校舎への道のりを歩いていた。
その足取りはいつもより少し軽やかだ。
「ふんふんふーん」
最近、ほんのわずかではあるが、生徒からの”相談”が来始めた。相談窓口という役職が成果を発揮し始めているのだ。
人の役に立ちたいサクラとしては、頼ってくれるのが嬉しい。今のところ相談と言っても雑用レベルの内容なので、生徒会の先輩たちには話を上げておらず、全て自分で解決している。
もうすぐ始まる昇格試験に向けた学内戦や訓練もおおむね順調で、このままならキリエの言った目標通り最速で生徒ランクを上げることも夢ではない。
この学園に来てから初めてと言ってもいい順風満帆感を目いっぱい享受していると、甲高い声が後頭部にぶつかった。
「ご、ごきげんようー!」
まず初めに首をひねった。
こんな挨拶をしてくる人は知り合いにいない。
そして、こんな情けなく裏返った声を出す人も知らない。
つまり、このおかしな挨拶は自分に向けられたものではない。
さすが学園都市、変わった人もいるんだなあとのんきに歩く。
すると凄まじい足音が近づいて来て、結構な握力で肩が掴まれた。
「ごきげんようと言ってますのよサクラさん……!」
「誰……ええアンジュちゃん!?」
振り向くと、そこには赤毛を乱したアンジュが息を切らしていた。
浮かべているのは笑顔だが、顔が真っ赤の上に青筋を立てているので般若のように見えなくもない。
「お、おはようございますアンジュちゃん。アンジュちゃんが話しかけてくるなんて珍しいですね?」
サクラの言う通り、アンジュから声をかけることは少ない。
いつもは話しかける内容を考えたりタイミングを計ったりしていることばかりで、結局遠くから見つめているだけで終わりがちだからだ。
しかし今日は違う。山茶花アンジュは覚悟を決めた。
素直になれないままでは、何も変わらないのだ!
「あなたと……その、少しでも一緒にいたかったから……」
あくまでも淑やかに。
しかし行動は積極的に――アンジュはサクラの腕に抱き着く。
華奢な身体から確かな柔らかさが伝わり、サクラは身体を硬直させる。
「どっどどどどういう風の吹き回しで」
「……私、いままであなたにかなり辛辣な態度を取っていたでしょう? 少し改めようと思ったのですわ」
もしかして、とサクラは思い至る。
アンジュは以前取り巻きから愛想を尽かされた。
その理由のひとつが、彼女の傲慢な態度だったのだ。
(そっか、だからアンジュちゃんは急にこんな振る舞いを……)
アンジュにそんなつもりはさらさらなく、単にサクラに好かれたいがための行動なのだが。
勘違いに気づかない当人はかぶりを振って、
「アンジュちゃん、いいんですよ」
「え?」
「今のアンジュちゃんも可愛くて素敵ですけど、いつものアンジュちゃんだってあたしは好きですから!」
「す、好き!?」
瞬間湯沸かし器のようにアンジュの顔が熱を帯びる。
慌てるお嬢様にサクラは気づかず、言葉を選びながら口説きも同然のフォローを続ける。
「厳しいけどストレートなところはアンジュちゃんのいいところですし、それにこの前の学内戦の時、いろいろと優しく教えてくれたじゃないですか」
ね! と笑いかけると、アンジュは俯いてぷるぷる震える。
まずいことを言ってしまっただろうか、とサクラが覗き込もうとすると。
「じゃっ! じゃあ、わたくしは行きますので!」
腕を振りほどくと、赤毛を振り乱して凄いスピードで駆けて行く。
これで勝ったと思わないことですわよー、よー、よー……とエコーが残る中、その背中を呆然と見送ったサクラは。
「アンジュちゃんって面白いなあ……」
すれ違いは解消せず。
二人の距離は未だ縮みそうになかった。
ひそかに一部始終をその辺の木陰から眺めていたメイドは笑いすぎて地面を悶え転がっていた。