25.デート(真)
ここ最近はなかなかに忙しかった。
ミズキとのあれこれや生徒会への加入、アンジュの取り巻きのことや、学内戦の開始。
充実していたと言って差し支えないだろう。
しかし充実していた分、他の何かが抜け落ちていて。
「むー……」
「あ、あの、ハルちゃーん? おかげんいかがですかーなんて、あはは」
「それを言うならご機嫌じゃない~……?」
午前授業の合間、ハルはぷくーと頬を膨らませてそっぽを向いていた。
ありていに言えば、拗ねていた。
今日の朝からずっとだ。前触れなく、いきなり。
普段は陽だまりのような温かい笑顔を向けてくれる彼女だが、今日に限っては目も合わせてくれない。
亜麻色の髪も赤いリボンもどこかくすんでいるように見えた。
「ハルちゃん、もしかして嫌なことありました? もしそうなら、あたしで良ければ聞かせてください」
気遣わし気な表情。
ハルは横目でそれを伺うと、仕方ないなあと言わんばかりに苦笑した。
「……デート。忘れてない?」
「あ」
そうだった、と口元を手で押さえる。
先日デートと言う名の訓練を終えた際、生徒会への加入を悩んでいたサクラにハルが言ったのだ。
『サクラちゃんが生徒会のことに答えを出せたら――ほんとのデート、しよっか』
聞いた時にはそれはもうどきどきしたものだが、ここ最近は忙殺されてすっかり頭から抜け落ちていた。
だが、どうして今になって言及してきたのだろうか。
「ちょっと前までは気にしてなかったんだけどね~。ゆうべ寝る前にふと『あれ、サクラちゃんから全然デートの話が出てないぞ。もしかして忘れられてる?』って思って……」
「あう」
ぐうの音も出ない。
見守ってくれていることに友人に甘え、完全に他のことに夢中になっていたのである。
ハルは小さく息をつくと、自嘲気味に笑う。
「……ごめんね、サクラちゃんから誘う義務なんてないのはわかってるんだ。でもなー、ちょっとなー、って感じだよね。ほら、サクラちゃんも楽しみにしてくれてたみたいだったし、ね。ちょっと期待しちゃってたんだ~」
「うぐっ」
罪悪感に痛む胸を押さえる。
ハルはこう言ってくれているが、サクラの抱えている問題が片付いたら、という条件だった以上はサクラから誘うべきだった気がした。
あまりの不甲斐なさに舌を噛み切りそうになりながら、サクラは奮起する。
「……よし! じゃあハルちゃん、次のお休みの日はデートしましょう!」
「いいの? もう忙しくない?」
「大丈夫です! もし世界が滅びそうでも優先しますからっ!」
「そっか。ふふふ、やったぜ」
嬉しそうに笑うハル。
とりあえず機嫌は直ったらしい――いや、サクラからこの言葉を引き出すためにそう振る舞っていた可能性もあるが。
(今度から気をつけなきゃ……)
今日の訓練が終わったらスケジュールアプリでも入れておこうと胸に秘め、その話は終わり。
そして、あっという間に当日がやってくる。
* * *
待ち合わせ、10時ちょうどに駅前。
現在時刻、9時58分。
サクラ、未だ待ち合わせ場所に到着できず。
「ぜえ……ぜえ……」
サクラは走っていた。
必死に走っていた。
そして疲労困憊でもあった。
寝坊したわけではない。
準備に手間取ったわけではない。
むしろサクラは早すぎるくらいの時間に家を出た。
「今日に限って、なんで……!」
例えば重い荷物を持った老婦人。
例えば道に迷った中学生。
例えば親とはぐれてしまった子ども。
そんな人々と遭遇し、そのたび律儀に助けに行った結果がこれである。
「ああもうあたしのバカ!」
もう間に合わない。
本気で走ってギリギリといったところだが、公共の場における全力疾走は禁止されている。
クオリアによる肉体強化が施された脚力での全力疾走中に人とぶつかった場合、怪我では済まないからだ。
リミッターを着けている同士なら痛いで済むだろうが、この学園都市にいるのはクオリア使いだけではない。
逸る気持ちを必死で抑えてサクラは走り続け、そして。
現在時刻は10時3分。
「あ、サクラちゃんおはよう~。すごい汗だね」
「はぁっ、はぁっ、ごめんなさい遅刻し……わぷ」
駅前に到着するなり下げようとした顔をハンカチで拭われる。
ふわりと花のような香りがして、力が抜けた。
「今日はどうしたの? 心配しちゃった」
「ごめんなさい……」
「ふむ」
ハルは小さな顎に手を当てて少し考え込むと、
「そうだなあ、朝は早く出たけど道中困ってる人を助けてたら時間が無くなってた……とか~?」
「ええ!? もしかして見てたんですか!?」
目を見開いて驚くサクラに、ハルは心底楽しそうにくすくすと笑う。
「あ、やっぱりそうなんだ。ほら、サクラちゃんの性格上うっかり遅刻は無いでしょう? むしろ遅刻しないように早起きするんじゃないかな。それでも遅れるってことは、たぶん困ってる人を放っておけなかったとかかな~って」
「うう……ハルちゃんのこと優先するって言ったのに……もう煮たり焼いたりしちゃって下さい」
「いいのいいの。四捨五入したら遅刻してないようなものだし、それに……人助けはサクラちゃんのいいところだと思うから」
陽だまりのような笑顔を正面から浴びる。
まぶしくて目を眇めそうになるが、ちゃんと見ていたくもあって。
本当に良くないことをした、と思いつつも、また同じことがあったら同じように見過ごせないだろうとも思ってしまう。
それでも、この子を悲しませることはしたくないなと思った。
「それにしても……ほうほう」
サクラの全身を舐めるように見つめるハル。
今日のサクラはTシャツとブルゾンにデニムを合わせた恰好だ。
昨夜寝る前に二時間悩んで決めた。
「な、なんですか」
「なんだかんだ私服バージョンは初めてだと思って。うん、かわいいね。すごく似合ってるよ」
サクラの顔が一瞬で朱に染まる。
私服を褒められたのは初めてだった。
「お、赤くなったー」
「か、からかわないでくださいよ! こういうの慣れてなくて、ちょっと……恥ずかしいです」
「からかってないよーかわいいなあ。それで……私は? どうどう」
その場でくるりと回ってみせる。
ハルの私服は白いワンピースに緑のニットを合わせたものだ。
ゆったりとした印象で、清楚な雰囲気がハルにぴったりだと思った。
「すっごく綺麗です」
「おお……そう言われると買ったかいがあったね。これ、サクラちゃんとのデートのために買った服なんだよ」
「うぐっ!」
思わず胸を押さえるサクラ。
今の一言は中々の衝撃だった。
サクラのために。つまりそれだけハルも楽しみにしていてくれたということで。
「恐ろしい子ですね、ハルちゃん……!」
「ふふ。ほら行こう。今日はまだ始まったばかりだよ」
手を引かれて駅構内に。
前途多難の始まりだったが、今日のデートにサクラの胸は高鳴りっぱなしだった。