23.血で血を洗え生徒たち
午後、サクラは休憩スペースのベンチに座っていた。
「Eか……」
首にかけたタオルで汗を拭いつつ、手首のリミッターの画面を見下ろす。
表示されているのは大きく『E』というアルファベットと、その下には『1500』の数字。
「生徒ランク?」
「あ、ハルちゃん」
足元に刺した影に顔を上げると、こちらを覗き込むハルと目が合った。
保健委員の仕事をしてきたのか、小脇にファイルを抱えている。
「私たち一年はみんなまだEだね。昇格試験も来月だし……」
目下、最条学園の生徒の目標は生徒ランクの昇格である。
生徒ランクは学園都市の生徒に設けられた階級で、A~Eの五段階に設定されている。
高ランクほど企業やプロ事務所からの注目度や毎月の支給金も上がるので、ランクが高いほど様々な恩恵を受けられる。
逆に、上げられず学園都市を去るものも多い。
「次の昇格試験は五月でしたっけ?」
「うん。その次は九月で、そのまた次は一月だね。それまでに参加資格を満たしておかないと」
昇格試験の参加資格は、各ランクごとに設定されたレート――サクラのリミッターに表示された『1500』という数字によって決められる。
サクラたち新入生が次に受けるDランク昇格試験には、1600以上のレートが必要となる。
そしてレートを上げるために必要なのが、今日から始まる『学内戦』である。
「あ、そろそろ試合ですね」
「もしかして早速?」
「はい。さっきマッチングしたので……行ってきます!」
サクラは手を振ってその場を後にすると、がんばー、という応援を背に受けた。
学内戦は同ランク内でランダムな組み合わせで行われる試合だ。
事前にリミッターを通して対戦相手と開始日時が通達される。
試合が行われるのは『仮想試験場』と呼ばれる施設。
広大な敷地と膨大な施設を誇る最条学園と言えど、多くの生徒が戦うスペースを確保出来るわけではない。
そんな事情から過去学園都市に籍を置いていた人物の使う空間のクオリアを利用して作られたのがここ、仮想試験場である。
「わ、もう人がいっぱい」
真っ白な研究所じみた外観の中に足を踏み入れると、広々とした吹き抜けロビーが出迎えた。
中央に設置された巨大なスクリーンには画面分割で現在行われている試合の映像が流されている。
並べられたテーブルや椅子では単純に試合を楽しむ者、参考にする者、野次を飛ばす者――様々な生徒たちが活気を形作っている。
どうやって試合を始めればいいのだったか――とサクラが頼りなさげにあたりを見回していると。
「あ……あら」
「あ、アンジュちゃん! それと、」
「メイドとお呼びください、天澄さま」
ロビー脇の通路から出てきたアンジュと付き人のメイドにばったり出くわした。
アンジュは何やら動揺した様子で赤い前髪を弄り回している。
「あなたも学内戦かしら?」
「はい! でも参加方法が良くわからなくて」
「そう……ねえちょっとメイド」
アンジュはメイドに何やら耳打ちする。
するとメイドは深々とお辞儀し、
「申し訳ございません。このメイド、大変多忙なので本日はこれにて失礼させていただきます」
「えっ? あ、はい。お構いなく……?」
足早に去ろうとするメイドはアンジュに向かってウィンクを飛ばす。
アンジュはしっしっと手で追い払った後、小さくため息をついた。
「さ、さあ着いてきなさい」
赤くウェーブした髪をなびかせ、アンジュは踵をロビーの奥へ歩いていく。
サクラは後に続きつつ「アンジュちゃんの髪、すっごくいい匂いしますね!」と口にすると、高貴なお嬢様は盛大に壁へ頭をぶつけた。
「わわ、大丈夫ですか?」
「あああああなた何を勝手に嗅いでいるんですの!!」
「いやだって目の前にアンジュちゃんの髪がふわって」
「だからって言います普通!?」
顔を真っ赤に染めてぎゃんぎゃん吠えると周囲の視線が集まる。
それに気づいたアンジュはごほんと咳払いを落とし、サクラをジト目で睨みつける。
「……覚えてなさいよ」
「ご、ごめんなさーい……」
さておき、案内されたのはロビーの奥。
今は亡き電話ボックスに似た透明なブースが並び、その中にはATMに似た端末が収まっている。
サクラがおそるおそる中に入ると、一瞬だけわずかに周囲の景色が歪む。
「画面にリミッターを当てれば受付完了ですわ」
「やってみます!」
言われた通りにしてみると、画面上で円形のゲージが時計回りに色を変えていく。
一周すると受付が終了するのだろう。
それを後ろから見守るアンジュは呆れたように手を腰に当て、
「というか先生から説明があったでしょう。もしかして聞いてませんでしたの?」
「あはは……実は昨夜あまり眠れてなくて」
キリエとダンジョン調査したりSIGNを交換した興奮で眠れなかったとは口が裂けても言えない。
恥ずかしい。
「睡眠は大事ですわよ。寝る前にストレッチしてみるとか、ラベンダーのアロマなんかも効果的があると――――」
「……えへへ」
恥じらったように笑うサクラに、アンジュは怪訝な顔をする。
「どうしましたの?」
「アンジュちゃん、なんだか優しいから。嬉しくなっちゃいました」
「あ、」
言葉を詰まらせ赤くなるアンジュ。
何かをこらえるようにぷるぷると震えると、意を決したように声を上げた。
「あなたが! 友達になってと……言ったからでしょう……。わたくしだってあなたのことは、その……嫌いじゃないですし」
徐々にしぼんでいく言葉。
下がっていく視線。
しかし何も返答がないことを不思議に思って無理やり顔を上げると、当のサクラは目を見開いて固まっていた。
「ちょっと、あなた? 何を黙ってますの」
「……! あ、あはは! びっくりしちゃいました……」
サクラは何かを考え込むように少し押し黙ると、ぱっと笑顔を上げる。
そこにはさっきの動揺は含まれていなかった。
「嬉しいです! アンジュちゃんと友達になれて! 困ったことがあったらいつでも言ってくださいね」
「ふ、ふん。あなたに頼るなんて……」
と言いかけたところでアンジュの口が閉じる。
その心中では以前メイドに口添えされたことが巡っていた。
『まずツンツンするのやめてみましょうよ(笑) そんなんじゃ一生仲良くなれませんよ(笑)』
なぜか半笑いだったのが気になるものの、一理ある。
しかし山茶花アンジュは腐っても名家のお嬢様であり、プライドも人一倍立派である。
なので葛藤の結果、
「……頼ることもなくなくはないかもしれないような気がしますわ」
「ど、どっちなんでしょう……? あ、そう言えばアンジュちゃんの試合はもう終わったんですか?」
その問いにアンジュはリミッターを操作すると、戦績リストを表示した。
一番上の欄、今日の日付には”WIN”と記載されている。
まるで当然のように、彼女は勝っていた。
アンジュはびしっとサクラに向けて指を差す。
「あなたは仮にも! 一度だけとはいえ! わたくしに勝ったのですから。誰にも負けないようにね」
その発破に、心の奥から力が湧いてくる。
もちろん負けるつもりはなかったが――他ならぬアンジュにここまで言われては、勝つ以外ありえないだろう。
『認証が完了しました。転送を開始します』
端末から合成音声が響くと、サクラの足元に光が満ちる。
アンジュの方を向くと、彼女は無言で頷いた。
サクラも頷き返すと、視界が光に満ち――気づくとそこは別の場所。
吹き抜ける青空と、周囲にはフェンス。
学校の屋上だ。
そして正面にはサクラと同じく転送されてきた対戦相手が佇んでいた。
「あっ! 取り巻きさん!」
「もう取り巻きじゃねーよッ!」
激昂する対戦相手は取り巻き――以前アンジュを見限り攻撃しようとしたクラスメイトだった。