208.桜の季節に、あなたを
光が弾ける。
錯羅回廊の崩壊は防がれた。
サクラとココ、二人の力によって。
「何とか……なったわね……」
がくり、と倒れ込みそうになるココの肩を支える。
サクラもまた疲労困憊だったが、局所的に宿った命のクオリアによってある程度の活力は戻っていたことが幸いした。
「ありがとうございます。先輩のおかげでみんなを助けられました」
「まだよ。錯羅回廊は未だ現実と混ざり合ったまま……学園都市は混乱の中にある。私は対処に向かわないと」
「――――――――」
サクラは、ここで事態を知る。
錯羅回廊には今、異変が起きている。
現実へとモンスターが溢れ出し、クオリア使いたちがその対処に当たっている。
アラヤが消えたことで錯羅回廊の核も戻っている。異変は時間が経てば収まるだろうが……。
(あたしにできること……)
思えば、全ての原因は錯羅回廊にある。
アラヤの言葉を信じるならば、ゲートを開けたのはサクラだ。
サクラが感情を爆発させたことで、現実と錯羅回廊という名の異空間は地続きとなった。
そのせいで消えた者も多い。
ポケットに飲まれ、誰の記憶からも消えてしまった人々が存在する。
錯羅回廊と繋がった今ならわかる。彼女たちは、錯羅回廊に取り込まれて一体となってしまったのだ。
空木エリも含め――――もう二度と戻らない。
ならば。やるべきことは。
「サクラ?」
押し黙ったサクラを、ココが怪訝そうに覗き込む。
サクラは……血に汚れながらも美しさを失わない横顔に、胸が締め付けられる心地がした。
それでも今はしまっておくと決めて、口を開く。
「ココ先輩。あたしはまだ、帰れません」
「え?」
突然だった。
サクラが、ココを突き飛ばす。
その先には虹色の渦が生じていて、ココは足を取られてしまう。
ゆっくりと、だが確実に身体が沈んでいく。
「な……何をしているの!? あなたも帰るのよ、一緒に!」
「やるべきことがあるんです」
ココに背を向け、復活した核に触れる。
太陽のように温かく、身に馴染む。
「あたしはこれから錯羅回廊の扉を完全に閉じます。誰も入って来られないように、何も出て行かないように。あ、安心してください。みんなのクオリアは使えるままですから。ただ、物理的な干渉が出来なくなるだけです」
「だったら終わるまで待ってる。一緒に帰りましょう……!」
ココは必死に手を伸ばす。
しかしサクラは首を横に振った。
彼女は寂しそうに笑っていた。
「閉じるだけじゃダメなんです。閉じた扉が完全に癒着して、もう二度と開かなくなるまであたしが塞いでおかないと……それがどれくらいかかるのか、あたしにもわからなくて」
だから、先に帰っててください。
小さく笑うサクラに、ココの喉が震える。
止められない。止まる気がない。そのことを悟って、涙が一筋流れた。
「サクラ、私は、あなたを……!」
「あたしを助けてくれてありがとうございました、ココ先輩。大好きです」
手を振る後輩の姿が最後に見えて。
全てが白んだ。
いつの間にかココは学園の中庭に立ち尽くしていた。
虹色のオーロラは無い。
あちこちから慌てた声が聞こえるが、戦いが急に終わりを迎えたことによるものだろう。
そのうちすぐに収束する。
ここには平穏が訪れようとしていた。
「私は……どうしてこんなところに?」
今さっきまで狂おしいほど何かを求めていた気がするのに、思い出せない。
どうして自分はこんな場所にいるのだろう。
何かを止めようとして、それで……。
「とにかく事態を収拾しに向かいましょう」
生徒会の役目は変わらない。
役員たちに連絡を取り、連携を取って事に当たる。
キリエ。アリス。カナ。そして――――そして?
もう一人いたような気がする。
「……………………っ」
首を振って欠落を振り払う。
ココは走り出す。
天澄サクラのいない世界で。
* * *
半年が過ぎた。
あの事件は――錯羅回廊が閉じたことにより、原因不明、経緯不明の謎の事件として処理された。
何かが起こったはずなのに、何が起きたのか誰も覚えていない。
破壊された街も、修復のクオリアが使われていたことによりその日のうちに元に戻った。
学園都市は何事も無かったかのように息づいている。
「卒業生の皆様におかれましては――――」
神経質そうな教頭が長話を続けている。
今日は卒業式。最条キリエや黄泉川ココが最条学園を去る日。
元生徒会のキリエとココは壇上の脇に陣取り、卒業生と在校生を見下ろしていた。
「なぁ、ココ」
「式典の最中よ」
咎めるココに、キリエはなおも続ける。
「ずっと何かを忘れている気がするんだ。とても大切なものだったはずなのに、どうしてなんだろう……」
「……………………」
同感だ。
あの事件の日からずっと、心の中に大きな穴が空いたようだった。
「――――それでは卒業生代表、前へ」
「……! はい」
キリエがらしくないぎこちなさでマイクへ向かう。
ゆっくりとした歩みを見つめる。
その時だった。
「…………あ」
開いた窓から花びらが舞い込んできた。
それに気づいたのはココだけだった。
控えめな、薄いピンクのひとひら。
「桜…………」
口にすると同時に、脳裏にぱちりと弾けるものがあった。
感じた瞬間、ココは駆け出していた。
「ココ!?」
「黄泉川さん!?」
動揺したキリエや教員たちの声を振り切り、ココは壇上から飛び降りる。
生徒の波を掻き分け、ひた走る。
思念のクオリア――――ココの能力が、懐かしい精神波をキャッチした。
いや、もしかすると、ただ単に『そんな気がした』だけだったのかもしれない。
「はぁ、はぁっ……!」
走る。息が上がる。
普段ならこれくらいで息は切れない。
激しく脈打つ鼓動が、ココから酸素を奪っていた。
それでも走る。
講堂を出て、廊下を走り、たどり着いたのは生徒会室。
毎日のように通い詰めた、彼女たちの本拠地。
扉を開ける。
そこには、久々に見る顔があった。
たった半年なのに、無限にも思える時間を経て、そこにいた。
「サクラ」
「えっ、あれ、ココ先輩!? どうしてここに……」
驚いて目を見開く後輩に歩み寄る。
制服はあちこちボロボロだ。顔についた泥のような汚れを指で拭ってやる。
「どうしてここに、は私のセリフよ……! あんな別れをしておいて……こんな……」
「……先輩、泣いてるんですか?」
「怒ってるのよ!」
「ご、ごめんなさい!」
ココは、サクラのブラウスの袖口をつまむ。
幻じゃない。生きている。
「こっちはどんな気持ちで待ってたと思ってるの。数十年くらいは覚悟してたのよ」
「い、いや……うーん、ごめんなさい……」
「いいわ。帰って来てくれたし。もう、いい」
サクラの首に腕を回す。
ぎゅっと、優しく抱きしめる。
とくとくと刻む鼓動が心地よかった。
「おかえり」
「ただいま、先輩」
天澄サクラは学園に帰還した。
彼女を強く育ててくれた錯羅回廊は閉じ、これからまた、新しい歩みを始める。
身体を鍛え、心を育て、ライバルと共に切磋琢磨し合う――――これまでと変わらない競争の日々が。
桜の到来と共に、始まる。
ここまでお付き合いいただいてありがとうございます。
『サクラ・クオリア』はここで完結です。
もう少しいろいろと書きたいことはあったのですが、長々と続けるのも良くないかなと思い最初から考えていたラストまで走り切りました。
楽しかったです!
機会があればまた!




