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204.天澄サクラ


 黄泉川ココは愕然とした。

 錯羅回廊の最深部。枝葉によって作り出された球状の空間で、サクラが血まみれで倒れている。


「おや、君も来たのか。悪いが邪魔はさせないよ」


 そうアラヤが告げた瞬間、ココの目の前……最深部の入り口に見えない何かが出現した。

 ココはすぐに足を踏み入れようとする――が、進めない。

 見えない壁のようなものに阻まれている。


「なにこれ……固くも無い、柔らかくも無い、熱いわけでも冷たいわけでもないのに……どうして通れないの!?」


 ココは学園都市イチの腕力でその壁を殴りつける。

 しかしそこに触れた瞬間、運動エネルギーが瞬く間にゼロになってしまう。

 押しても引いても、その壁を越えることは叶わない。

 時折光の加減で見える”歪み”を確認する限り、この球状空間の周囲を完全に覆っているらしい。


「断絶のクオリアの力でこの空間を包み込んだ。物理的干渉は叶わないよ」


 アラヤとココにはすでにお互いの声は聞こえない。

 後はもう、アラヤはこの場所でじっと待っているだけでいい。

 錯羅回廊が彼女の身に完全に馴染んだときが、この世界が終わる瞬間だ。


「サクラ……っ」


 夥しい枝で作り上げられた床にへたり込む。

 ココを襲うのは無力感だった。

 目の前で倒れ、今にも命を終わらせようとしている後輩に、手を差し伸べることさえしてやれない。

 鍛え上げた力が役に立たない。


 何のためにここまで来た。

 何のために磨いた力だ。

 何のための――――先輩か。


「…………まだ、よ」 


 顔を上げる。

 折れるな。頭を回せ。

 サクラのために。


(何か……何か……私にできることを……)


 本当に手は無いのか。

 第一にサクラの命を救う。そして第二に理事長を倒す。

 そこで、ココの脳裏にキリエと交わした会話が頭をよぎった。


 錯羅回廊は全人類の意識から生まれた空間。

 そしてこの場所にはすべてのクオリアが満ちている。

 ならば――――


「……………………」


 左手首に巻かれた武骨なリミッターにそっと触れる。

 硬質な感触。あからさまに頑丈そうだ。実際、個人の力で破壊することは難しい。

 簡単に破壊できる代物なら、この学園都市の秩序は異能力者(クオリア使い)によって瞬く間に崩れてしまうからだ。


 だが、限られたごく少数の――高い実力を持つクオリア使いは違う。

 その一人であるココは、きわめて強力な膂力によってリミッターを破壊することが可能だ。

 実際、LIBERTY事件の際はリミッターを破壊して事態を収拾するつもりだった。


 倒れたサクラを見る。

 彼女のリミッターも、いつの間にか無くなってしまっている。

 キリエとの戦闘で破壊したのだろうと推測した。入学式の夜も、そうだったから。

 自分の身を犠牲にしてリミッターを破壊する――そんな選択肢を取れてしまう子だから。


 リミッターを破壊すれば、学園都市追放は免れない。

 サクラの行く末がどうなるのかわからない。

 だからこそ。


「……私で良ければ道連れになってあげる。サクラ」


 リミッターを掴む右手に意識を向ける。

 ひとつ息を吐き、渾身の力で――――頑強な拘束具を引きちぎった。

 バラバラと残骸が床に落ちる。

 同時に、計り知れない力が解放されたのを感じた。


「思念のクオリアを……全開に……ッ!!」


 脳細胞が弾ける。

 ニューロンが焼け付く。

 黄泉川ココの異能が、錯羅回廊を媒介に広がっていく。 

 そう、この空間を構成する人類の心へと。

  

 ココの瞳が輝く。

 目から、鼻から、だらだらと血が垂れ流される。

 

 脳から錯羅回廊を伝い、思考のネットワークが広がっていく。

 接続先は絞る。学園都市に存在するクオリア使いに。

 その中でも接続しやすい、サクラと関わりを持った者たちに。

 そのネットワークは一人の少女へ向かって集約される。

 錯羅回廊の化身である、天澄サクラへと。


「サクラ……お願い……!」


 目の前が霞む。

 一瞬でも気を抜けば気を失う。

 いいや、そのまま絶命してしまうのではないかと思えるほどの苦痛がココを襲っていた。

 流れ出る血を拭いもせず、力の行使は止めない。


 本当に苦しいのはサクラの方だ。

 これまで彼女は失うばかりだった。

 悲しみに暮れるサクラを目にするたび、ココの心は嫌になるほど軋んだ。

 誰かのために懸命に戦えるあの子が、こんなところで命を落とすなどあってはならないのだから。

 


 * * *



 学園都市の各地では、人々が呆然自失になる現象が相次いでいた。

 彼女らが知る由も無かったが、それは意思統一が進んでいる証拠だった。

 その中の一人――サクラのライバルである山茶花アンジュもまた、戦闘のさなか、突如として虚空を見つめて停止していた。


「お嬢様!?」


 メイドが驚愕に目を見開く。

 今も鋼鉄の甲殻に身を包んだボール型のカナブンが大挙して押し寄せてきている。

 立ち尽くしていては命が危ない。

 

 離れた場所で都民の誘導に動いていたメイドが慌ててアンジュの元へと駆ける。

 だが、間に合わない。

 カナブンの群れがアンジュを襲う――その直前。


「…………サクラ?」


 アンジュは突然意識を取り戻し、巨大な岩をハンマーのように叩きつけ、カナブンの群れを蹴散らした。

 どうして今、サクラの名前を口にしたのか彼女にはわからない。

 だが、ここにいない彼女の存在を強く感じた。


 同じく、学園都市の各地で多くのクオリア使いが顔を上げた。

 ネットワークを繋ぐ――と言っても、それは平常時と対して変化があるわけではない。

 もともと人類の意識は錯羅回廊を通して繋がっている。

 ココが行っているのはその意識や力の流れに指向性を持たせるようなもの。

 

 だから気づくものはいなかった。

 クラスメイトや。

 生徒会役員や。

 先輩や。

 他校の生徒や。

 プロなど――サクラが関わってきた者たちも、明確に変化に気づくことはない。

 

 だがその時、彼女たちの頭に浮かんだのは。

 いつも誰かのために戦ってきた、ひとりの少女の姿だった。



 * * *



「さて、確実に始末してしまうか。天澄サクラに危害を加えても錯羅回廊が揺らがないことは確認済みだ」 


 アラヤの掲げる手から紫電が生じ、空中に集まっていく。

 生み出されるは巨大な雷の矢。サクラの十八番。

 単純にして強力。取り回しの良さに優れるこの技を、アラヤはトドメの一撃に選んだ。


「……君ならもしかしたら傷のひとつくらいは付けられると期待していたんだけどね。まあ高望みか」


 じゃあね、と。

 小さくつぶやくとともに紫電が射出される。

 着弾までは一瞬だった。

 轟音。爆風。そして視界を白熱させるほどの電流が巻き起こり、あたりに飛び散っていく。

 もはや虫の息だったサクラにこの一撃を耐えきることはできない。

 アラヤはそう考えていた。


「…………?」


 立ち上る白煙の中でゆらりと立ち上がる影。

 アラヤが眉根を寄せていると、一条の雷がその顔目がけて放たれた。


「なっ!?」


 あまりの弾速に、アラヤは動けない。

 声を上げたのも、頬を掠めた雷が通り過ぎて遥か背後の壁に激突してからだった。

 しかし、だとしても問題は無い。永遠のクオリアによって、アラヤに傷をつけることは叶わないのだから。


 本来ならば、だが。


「――――――――」


 雷が掠めた頬に触れる。

 そこに、確かな痛みを感じた。

 熱した鉄の棒を擦ったような痛みだった。

 その傷は瞬く間に元に戻る。

 しかしアラヤは動揺していた。当然だ。

 これまで数百年もの間、傷ひとつつかなかった彼女がダメージを負ったのだから。


「…………なんなんだ、お前」


 切り裂かれた白煙が晴れる。

 そこには、少女が立っていた。

 その周囲には六つの岩塊が――山茶花アンジュの十八番、”衛星”が旋回しており、それらがアラヤの雷の矢を防いだことは疑いようもない。

 全身からは淡い虹色の光が溢れ出しており、致命傷だったはずの傷が完全に治癒されていた。

 少女ははっきりと答える。


「最条学園一年、天澄(あずみ)サクラ。みんなのために戦うキューズです」


 憎いとさえ思っていたこの力を、誰かのために使うことが出来る。 

 サクラにとって、そのことが一番うれしかった。


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