203.逃げたんだ
全てのクオリアから繰り出される攻撃が苛烈さを増していく。
サクラの実力では、捌ききることが出来ない。
「次は射出+貫通!」
「………………!!」
数メートル離れたところで人差し指を突き出すアラヤ。
その指先から不可視の攻撃が放たれ、サクラへ向かって突き進む。
サクラの返し手は雷の矢。向かってくる見えない槍に、雷を完全に合わせる。
だが――防げない。貫通のクオリアによって、雷の矢はたやすく貫かれ、そのままサクラの鳩尾に風穴を開けた。
「かはっ」
よろけるサクラの口の端から赤黒い血が滴り落ちる。
だが、全身から深緑の光が弾けると、今しがた負った傷が完全に治癒されていた。
「ははっ、すごいじゃないか! どんなダメージもすぐさま回復してしまう……雷のクオリアにそんな能力は無いはずだろう!?」
「あなたが使い捨てた”あの子”から貰った『命』です! あなたが傷を負わないように、あたしにも攻撃は通じません!」
これはハッタリだ。
サクラは命のクオリアそのものを譲り受けたわけではない。
あくまでもアンノウンから命を譲渡された結果、おまけでついていた生命力が残っていただけ。
つまり、治癒には限りがある。
キリエとの戦い。
そしてアラヤから受けたダメージによって、その生命力は残りいくばくもない状態まで削られていた。
「私と違って君は疲労するだろう。その力だって無限ではない。そうだ、私たちは違う人間なんだ。相互理解などできやしない」
「それでもあたしはあなたを……!」
「止める、かい? 具体的にどうするというんだ。私を殺すことが出来ればこの事態も収まるかもしれないが――――そもそもどうやって私を倒す? 私が何百年もの時間をかけても為せなかったことを、君が?」
言葉に詰まる。
確かに、永遠のクオリアを攻略する糸口は見つからない。
あらゆる干渉を受け付けない相手を倒す方法がサクラには思いつかない。
おそらく、出力の問題ではないのだ。『変わらない』という概念を突破しなければ、アラヤに勝てない。
「私たちは常にクオリアの素質を持った者を探し続けてきた。心を揺さぶられた時に生じる精神波……クオリア覚醒の予兆をキャッチし、学園都市にスカウトする。そうして発展を繰り返して来たんだ」
攻撃をやめたアラヤは両腕を広げ、語り始める。
「ある時、とてつもない規模の精神波を捉えた。同時に錯羅回廊の扉が開き、その上活性化を始めた。おそらく君が初めてクオリアを発動した時だ」
「…………っ」
それはきっと。
親友を傷つけ、サクラが部屋にこもり切りになる要因となったあの出来事だ。
「この興味深い世界を研究すれば、きっと私の地獄も終えられる。そう考えて錯羅回廊と密接にリンクしていた君を学園都市に招いた!」
アラヤが地面を踏み込み、一息にサクラの懐へと入り込む。
反応が間に合わない。サクラが動く前に、その腹にアラヤの手が当てられる。
直後、そこから無数の斬撃がサクラを襲う。
幾重にも切り刻まれた胴体から鮮血が散った。
「君の心を揺らせば錯羅回廊も揺らぐ。だから数々の刺客を送った。柚見坂ハルは――君を依存させ、絶望させるためだけに作り出した架空の人物だった! 想定とは違うルートになってしまったが――結果的に錯羅回廊は大きく揺らぎ、最深部までの扉を開けたんだ!」
「――――――――ッ!」
胴体を治癒しながら、眼前で起きた爆発を飛び退って躱す。
サクラは強く歯を食いしばっていた。
怒りはある。ただそれ以上に悲しかった。
使い捨てにされたアンノウン。そしてデザイナーズベビー。それに、そこまでの凶行に至るほどに巨大なアラヤの寂寞も、何もかもが悲しかった。
「…………あなたは逃げたんだ」
「何?」
だから言わずにはいられなかった。
「それだけ長く生きていたなら、きっとたくさんの人と出会ってきたはず。なのにあなたは誰も信用しなかった。誰にも頼らなかった。別れが恐ろしいからって、みんなを遠ざけた。そうでしょう」
「……お前に何がわかるっていうんだ?」
「わかりますよ。誰かと関わるのを恐れて被害者ぶって、どんどん自分を孤独に追い込んでいく。……あたしと同じです」
そう口にした瞬間、計り知れない殺気が膨らんだ。
先ほどまでアラヤが浮かべていた笑みは影も形も無くなっていた。
その手が、サクラに向かって翳される。
「空間――――」
「……!」
アラヤがぐっと手を捻る。
同時にサクラは横に跳ぶ。直後、左腕がねじ切られた。
空間歪曲。空間のクオリアの力。
痛みに顔をしかめながらも治癒を施す。
欠損部位の治癒は負担が大きく、ここで残されていた生命力が使い切られた。
だが、その欠落に身を浸す間もなく――――眼前にアラヤが迫っている。
「反転」
アラヤの手がサクラの左胸に触れる。
ひやりとした悪寒を感じた、その時。
サクラの全身が破裂した。先ほどまでとは比べ物にならない量の出血があたりを赤黒く彩った。
「逆鱗に触れなければ、こうしたつまらない決着をせずに済んだのに」
反転のクオリア。
その能力によってサクラの血液が逆流した。
血だまりに沈む少女は、ぴくりとも動かない。
* * *
大樹のウロに手を引っ掛けて、膂力で身体を跳ね上げる。
垂直に伸びる大樹を、まるで壁を走るかのような速度で駆けあがっていくのは一人の少女。
黄泉川ココだ。
「急がないと……!」
この先にあるのは錯羅回廊の最深部。
天澄サクラが、この事件の黒幕である最条アラヤと戦っている。
デザイナーズベビーとの戦いで負った傷をおして、さらにココは登っていく。
道中に倒れていたキリエは、後輩たち……アリスとカナに任せておいた。
どこからモンスターが湧いてくるかわからない以上、あそこに置いておけない。
(それにしても……本当に勝ってしまうなんて)
洋館が吹き飛んでいることから相当な激戦であったことは想像に難くないが、いったいどのような手でキリエを倒したのか。
それは全てが終わった後に聞いてみよう。
今はできる限り早くサクラを助けに行かなければ。
アラヤの計画や錯羅回廊の仕組みについては先ほどキリエから聞いた。
人類の意志を統一などと――許してはおけない。
そんな計画に加担したキリエにも腹が立ったが、説教は後だ。
そうしてしばらく駆け上っていると、木の幹の先端、枝葉が広がり作り出す球状の空間が見えてきた。
きっとあそこが最深部だ。一気に跳び上がって入り口にたどり着くと、ココは目の当たりにする。
無傷で立っている理事長。
そして、血だまりに沈む、愛すべき後輩の姿を。




