202.All kinds of things
理事長は――最条アラヤは酩酊感のようなものを覚えていた。
理由は推測できる。錯羅回廊と混ざり、そこに貯蔵された全てのクオリアを手中に収めているからだ。
その負担により凄まじい勢いで脳細胞が破壊されようとしているのと、肉体の恒常性を保つ永遠のクオリアが拮抗している。
(特に負担になるわけではないが……少し思考力が落ちているな)
そして、全てのクオリアを使えるようになったと言えども本当に全てのクオリアを十全に扱えるわけでもない。
クオリアには無数の種類があり、それぞれを把握するだけでも労力を要する。
その上、クオリアの使用難度にも差がある。
練度が無くともある程度のポテンシャルを発揮できるものがあれば、たゆまぬ修練を積んで始めて真価を発揮できるものもある。
例を挙げるなら黄泉川ココの持つ思念のクオリアは後者に位置する。
今のアラヤでは簡単な読心程度しかできないだろう。
曖昧な概念を扱う能力は満足には使えない。
だからアラヤは選択する。
イメージしやすく、そして威力の高いものを。
サクラの持つ可能性は未知数だ。
(天澄サクラ。錯羅回廊の、言わば化身とも呼べる存在)
彼女は錯羅回廊そのものとして生まれた。
人間の集合的無意識が人の形を取った存在。
だから錯羅回廊を出入りした時の反動がない。
だから錯羅回廊への出入り口を自由に作れる。
だから雷と命、二つの力を問題なく扱える。
それでも今のサクラはただの人間と変わらない。
しかし、だからと言ってアラヤは油断しない。
統一化が始まった今、障害となるのはサクラだけだ。
ならば念入りに彼女を仕留めれば良い。
* * *
「炎」
端的な呟きと共に、アラヤのかざした手から紅蓮の炎が放たれる。
炎のクオリア。合同合宿でサクラが出会った人見知りの少女、火村カガリの能力だった。
サクラは同じように手から雷を照射し、相殺した。
だが、吹き散らした炎の向こう。
アラヤの姿が消えている――動揺の中、足元に影が差したのを確認したサクラはとっさに天井へ向く。
「張力」
張力のクオリア。地下闘技場で戦った飛多アキラの持つ指定した物体に強烈な張力を付与する能力。
その力を使い大気に張力を付与し、空中を蹴って急降下してくるアラヤ。
距離に余裕はない。迎撃が間に合わない。
サクラは何とか後ろに跳び、落ちてきた拳を躱す。
だが、
「増幅」
サクラの思考に空白が生まれる。
知らないクオリアだ。LIBERTY事件の際、アリスが戦ったヒストがアンプルによって付与した能力。
増幅という名から内容を予測する。
アラヤは何を『増幅』したのか――その答えは、
「…………ん」
「えっ?」
何も起こらなかった。
着地したアラヤは不満げに手を開閉している。
「やはり自分の肉体に作用する使い方は無理か。変われないというのはやはり不便だな」
アラヤが行使しようとしたのは身体能力の増幅。
しかし、身体そのものに手を加えるのは永遠のクオリアが許さなかったらしい。
アラヤはもともと研究畑の人間だった。
リミッターなどを開発したのも彼女だ。
クオリアを研究し、果ては永遠のクオリアを抹消する方法が見つかればと続けてきたものだったが――全てのクオリアを得た今、彼女の心中には不思議な高揚が渦巻いていた。
(この無数に存在する選択肢をどう使うのが最善か……ああ、私は今『試してみたい』と思っている!)
アラヤの右手に突如として冷気が生じる。
氷のクオリア。合同合宿で出会った氷室リッカの能力。
何度も相手取った能力に心理的ガードを上げたサクラに向かって、膨大な冷気が放出される。
「くっ……だけどこのくらい……!」
凍り付いていく体表を、サクラはすかさず電熱で溶かしていく。
威力自体は大したものではない。リッカが好んで使っていた氷の槍などなら防御もしくは迎撃する必要に駆られただろうが、この程度なら――――と。
反撃に転じようとしていたサクラの視界に炎が映る。
冷気を放ったアラヤの手に、今度は再び紅蓮の炎が渦巻いている。
「冷却された空間に、超高温の炎を浴びせたらどうなると思う?」
「…………ッ! 雷の――――」
「遅い」
莫大な火炎が放たれる。
雷の矢は間に合わない。
冷却された状態から急激に熱されたことで――――空気は瞬間的に膨張する。
それは紛れも無く、極大の『爆発』だった。
「が……っ!!」
圧倒的な自然現象が少女の身体を叩く。
熱と、圧力。その二つがサクラを紙屑のように吹き飛ばし、この空間を作り出す枝葉の壁に叩きつけた。
「はは、いいね! 他のクオリアも試したい……ああ、なんだこれ、こんなに楽しいのはいつ振りだ!?」
アラヤが快哉を上げる中、倒れたサクラの身体からは煙が上がっていた。
あちこちが焼けただれて目も当てられない惨状だが――その傷はすぐに治癒される。
ぱちり、と瞼を開いたサクラは纏雷を発動し、跳び上がった。
枝葉の壁を蹴って飛び回り、雷爪を発動すると――アラヤの背後から一息に振るう。
「…………っ」
高電圧の刃が、小さな背中を切り裂いた。
間違いなく手ごたえはあった。その証拠にスーツの背中は無惨に裂けている。
だが――その向こうに見える素肌には傷ひとつ刻まれていなかった。
「…………ッ!」
「ははっ、わかっただろう!? 私を傷つけることなどできない! 最初から勝負になんてなっていないのさ!」
永遠。
それは絶対の力。
傷を負ってもすぐさま治癒してしまうなどという次元ではなく、最初からダメージが通らない。
「さて、次だ。鏡に――――」
アラヤが生成したのはいくつもの小型の鏡。
それらは統率された動きで飛び回り、サクラの周囲を回遊する。
囲まれた。サクラが身構える中、アラヤはすぐさま攻撃に移る。
「――――光だ」
無数のレーザーが発射される。
光線は鏡に命中し、反射を繰り返す。速度を上げていく。
乱舞する光線たちはあらゆる方向からサクラを襲い――――その身体を執拗に貫いた。
* * *
現実世界にはモンスターが溢れていた。
虹色のオーロラから現れる頻度はだんだんと増し、学園都市は混迷を極めていた。
「うわあああぁぁぁ!」
「な、なんだあいつ!?」
何もないところからいきなり姿を現した巨大な鋼鉄のサソリが道路を我が物顔で進軍していく。
鋭い尻尾が、巨大な鋏が、あちこちを破壊する。
重機のごとき迫力を持つその前に、ひとりの少女が立っていた。
「衛星!」
六つのサッカーボール大の岩塊がサソリの顔面に直撃する。
多くの脚に支えられるサソリだったが、ぐらりと体勢を崩すと、そのまま横転した。
「みなさん、この先に避難所がありますわ! ここはわたくしが食い止めますので、焦らず向かってください!」
叫んだ少女――山茶花アンジュの前で、サソリが起き上がりつつある。
学園都市を襲う未曽有の災害。アンジュはひたすらに戦いながらも、とあるクラスメイトの顔を頭に浮かべていた。
(サクラ……無事ですわよね)
あちこちで戦いが起こる。
異能を宿す少女たちは、この街を守るために力を尽くしていた。




