196.光の背を追ってきたから
「い、意味が……わからないです。人類の統一?」
キリエが口にした最条アラヤの計画。
それは集合的無意識が具現した空間である錯羅回廊を使って、人類の意識をひとつにまとめるというものだった。
結果、全ての人間が同じ人物になる。
全員が同じ人格を持ち、同じ能力を持ち、同じ意識を持つ。
「そうすれば、私は一人ではなくなる。もう孤独におびえて日々を過ごす必要もないんだ」
サクラにはわからなかった。
どうしてそこまでキリエは追い詰められてしまったのか。
デザイナーズベビーだからか。
誰一人として並ぶ者のない”最強”だからか。
その孤独を理解してくれる者が誰もいなかったからか。
サクラにはわからない。
それらはキリエをそこまで追い詰めるものだったのか。
(…………ああ)
わからないのは当然だ。
だって自分たちは他人だから。
キリエの抱える痛みを、サクラが感じる方法は無い。
仮に、本当に人類の意識が統一されれば、また話は違うのだろうが。
サクラにはわからない。
わからないことだらけだ。
だが、少なくとも理解できることがあった。
「意識の統一をすれば、キリエさんは……ううん、あたしたちは本当にひとりきりになっちゃいますよ」
全ての人間が同じになる。
意識は統一され、相互不理解はこの世から消える。
しかし――それは同時に、他者理解という概念も無くなってしまう。他者がいなくなるのだから。
世界に自分しかいなくなれば、それは今までと変わらない。
「あたしにだってわかることです、キリエさんが理解していないはずがない。違いますか」
「…………黙れッ!」
何かを振り払うようにキリエが手を振ると、無数の光の粒が突風を伴ってサクラへと向かう。
光の風。知っている。キリエの試合は、何度も見た。
サクラは五指から雷を放射し、雷爪で持って迎え撃つ。
だが、極小の光の粒はひとつひとつが凄まじい威力を持っていた。
雷爪で弾こうとした瞬間、雷はたやすく砕かれ、輝く散弾がサクラの全身を穿つ。
「ぐっ……!」
血しぶきを散らしながら床を転がる。
アーマーがない今、どの攻撃も致命傷に繋がる。
クオリアによる肉体強化が働いていることで身体の耐久度もある程度は上がっているが、キリエの光の前ではさすがに頼りない。
「そんな弱みを誰に見せられるというんだ。みんなが勝手に私に憧れて、勝手に私を神格視するから、私は強い自分でいなければならなかった!」
キリエの手に光の剣が出現する。
わずかに振るうと、切っ先が触れた壁が一切の抵抗なく、豆腐のように切り込みを入れられた。
恐ろしい切れ味の剣がサクラへと矛先を向ける。
「私にはもう、縋れる相手がおばあさましかいないんだ!」
振り下ろされる刃に対し、サクラは磁力を発動させる。
その対象は床。足裏と反発させ、凄まじい瞬発力で飛び退る。
鼻先すれすれを光が通り、前髪数ミリを持って行った。
急激な加速に、なんとか着地するサクラ。
しかしキリエの攻勢は止まらない。磁力を用いたサクラの速さと同等以上の速度で迫り、さらに光剣を振るう。
「雷爪!」
避けきれない。そう判断したサクラは再び発動した雷爪にて迎え撃つ。
受けられなくとも、威力を減衰させる目的だ。
だが――その目論見は見事に裏切られることになる。
「え……!?」
雷が光を受け止めた途端、剣が粉々に弾け飛んだ。
眼前に無数の光の粒子が舞い散る中、サクラの思考に一瞬の空白が生まれる。
こんなはずはない。キリエの攻撃が簡単に防げるわけがない――困惑に支配されていたのは、おそらくゼロコンマ一秒にも満たない時間。
だが、その隙間に。
粒子たちのそれぞれが一瞬で小型の光剣へと姿を変える。
気づいた時には、いくつもの切っ先がサクラに照準を定めていた。
キリエは光の剣をインパクトの瞬間分解したのだ。
正面から能力を叩きつけるだけではない、老獪な搦め手。サクラには予測できない。
(磁力……は、間に合わない!)
スピードで避けるのが、おそらくは最適解。
しかしこの猶予の無い状況でサクラにその解を導き出すのは不可能だった。
そもそも磁力には繊細なクオリアコントロールが必要になる。
よってこの狭い空間で無数の光剣の乱撃を的確に回避するのは非現実的。
だからサクラがとった行動は。
全身から渾身の雷を放出することだった。
「うああああーっ!」
凄まじい出力の雷が吹き荒れ、襲い来る光剣と衝突する。
その切れ味を防ぐことは叶わない。瞬間的に生み出された雷のドームを、剣の群れはいともたやすく突破する。
しかし、サクラのクオリアはパワーの上限だけならプロと比較しても驚嘆するほどのもの。
キリエの技と言えども簡単には貫けず、例外なく軌道が逸らされる。
「ぐっ……」
だが、それは命中までも避けられたことにはならない。
幾重もの光の斬撃は、サクラの柔肌のあちこちを切り裂いた。
血しぶきが舞う。それでも、また凌げた。
キリエにとっては戯れのような攻撃だろうが、また生き残ることができた。
(…………やっぱり変)
しかしサクラの内に生まれた疑問は膨らむばかりだ。
確かにキリエは今まで戦ってきたどの相手よりも強い。
だが、サクラを本気で打倒する気なら――殺すつもりがあるのなら。
もっと大規模な攻撃ですり潰すような勝利をもぎ取る方が簡単なはずだ。
それこそこの禍々しい洋館ごと吹き飛ばしてしまうような一撃だって放てるキューズなのだ。
学園都市を滅ぼすために生み出されたあの”怪獣”だって単独で倒して見せたのだから。
もしかしたら、という推測はできる。
しかしその推測が正しいのなら、サクラは――――
「……幻滅します」
「何?」
キリエの表情が明確な怒りの形に歪む。
怖い。彼女から発せられる不可視の圧力で今にも後ずさってしまいそうになる。
しかしサクラは怯むことなく雷が迸る指先を突き付けた。
「本当に苦しいなら立ち向かえばいい。あなたは逃げたんです。みんなでひとつになるなんて台無しの方法に縋って、戦うことをやめた!」
ああ、これは身勝手な怒りだ。
一方的な憧れと期待を押し付けて腹を立てる、人間として最下層の行いだ。
それでもサクラは知っている。
まだまだ経験は乏しいというほかないが――――表舞台で活躍する人間の、義務と責任を。
夢と希望を振りまくキューズとしての役割を。
「簡単に言うな! 君に……お前に、私の何が……っ」
「簡単に言いますよ!」
雷の矢が放たれる。
キリエは身じろぎすることなく目の前に光の障壁を作り出し、それを受け止める。
わずかの間拮抗し、矢は弾け飛んだ。
(…………出力が上がっている…………)
元より高い威力を持つサクラのクオリア。
それが今、更なる高ぶりを見せている。
「だってあたしはこうやって最強と向き合ってる、戦ってる」
雷の矢がさらに並ぶ。
数十本の穂先がキリエへと切っ先を向ける。
対するキリエは手を挙げる。
音も無く、三ケタに達する数の光の矢が出現した。
その余波で、さらに周囲の壁や天井が破壊されていく。
そこでキリエは気づいた。
挙げた手の指先が震えている。
「あたしにできることが…………あなたにできないはずないでしょう!」
雷と光が放たれる。
数は光が上回る。
威力でも光の方が上。
サクラの技はキリエの模倣でしかない。
出力でもコントロールでも劣る以上、サクラの弾幕は食い破られる結末しかありえない。
そのはずだった。
だが――――キリエの想像を、現実が越える。
「くっ……うう……!」
苦悶の表情を浮かべるサクラ。
驚くべきことに――雷と光、双方の威力は同等だった。
ぶつかるたびに両方が砕け、周囲に破壊を撒き散らしていく。
それでも数で劣る。だからサクラは矢が撃ち落とされる端から新たな矢を放つ。
間違いなく重い負担をこうむっている。
威力は落とせない。コントロールも手を抜けない。
その上で、数を用意し続ける。
脳に万力をかけられているかのような激痛が、その強さを増していく。
しかし、それくらいはキリエにも可能だ。
威力を落とさず、コントロールを保ち、数を用意し続ける。
キリエには特に負担にならない。
だが、新たな矢を追加する速度ではサクラに劣っていた。
「この……っ! どうして諦めない!」
苛立ったようなその問いに、サクラは笑みを浮かべてみせる。
強がりではない。ただ単に、彼女にとってその問いは笑ってしまうような愚問だったのだ。
「あははっ……諦める? ないですよ。ありえない」
最条キリエはこれ以上ないほど格上の相手。
力が劣っていることなど戦う前からわかりきっていた。
だから、戦いの中で実力差を見せつけられようと、どれだけ劣勢に追い込まれようと。
そんなことで折れるわけがない。
格上マッチとは――賭けるだけ得をする戦いだ。
負けてもともと。勝てば大金星。
そんな戦いで諦める理由などあるだろうか?
少なくとも、サクラには思いつかなかった。
「あなたが諦めているのなら、あたしが諦めなければその分距離が縮む! あなたに追いつける! なら諦めてる暇なんて一秒だってありません!」
「……………………ッ!?」
サクラは止まらない。
いや、むしろその勢いを増していく。
荒れ狂う雷と光が周囲に破壊の嵐を撒き散らし――舞台たる洋館を、吹き飛ばした。




