174.あの日の真実
ハルとの出会いを思い返してノスタルジックに浸るサクラは保健室を訪れていた。
メイドと別れてから学園へととんぼ返りしてきたのである。
とにかくハルと話さなければならない。
その一心で扉を開くと、
「なんだお前か。柚見坂ならいねーぞ」
PCで何やら作業中の養護教諭……新子に出迎えられた。
新子と何やら話していたらしい他の学年の保健委員は会釈して入れ違いに出て行った。
「そう……ですか」
「あからさまにがっかりするなよ。ちょっと用事で席をはずしてるだけだ――お前らほんと仲いいよな」
「いや、それは」
仲は良かった。はずなのだ。
今は自信をもって頷くことはできないが。
口ごもったサクラに怪訝な表情をした新子だったが、簡素なパイプ椅子に体重を預けると懐かしむように天井を見上げた。
「お前と初めて顔を合わせたのは入学式の日の夜だったか。あれは驚いたな」
入学式の夜。
サクラが初めて錯羅回廊に入った日であり、先に迷い込んでしまったらしいハルを助けるために文字通り血みどろの戦いを繰り広げることになった日だ。
捨て身の戦法で何とかモンスターを倒したものの、サクラもまた倒れてしまった。
あの時キリエとココが助けに来てくれなかったら今頃死んでしまっていただろう。
学園の保健室に搬送されたサクラは、その時治癒してくれた新子に深い感謝をしている。
だが――次に新子が口走った内容に。
サクラはこれ以上ないほどの動揺を味わうことになる。
「あの日は柚見坂とも初対面だったんだが、驚かされたな。今にも死にそうな重傷を負ったお前をあっという間に治癒しちまった。すごい新入生が入って来たもんだと思ったね――――」
「え?」
サクラの零した声に、新子はハッと我に返った。
明らかに失言をしてしまった、といった反応。
「……いや、すまん。口止めされてたんだ。お前が申し訳なく思うかもしれないから黙っていてと……」
やってしまった、と深い後悔を滲ませる溜め息を落とす新子。
あの日サクラが負った命に関わる負傷を治してくれたのがハルだった。
その事実に、頭をぶん殴られたような衝撃を覚えた。
確かに当時のサクラが命を助けられたと知れば、後悔と不甲斐なさに押しつぶされていたかもしれない。
それくらいあの頃は他人からの施しを拒絶していた。
「何が……あったんですか」
聞きたい。
サクラの真剣な眼差しに観念したのか、新子は電子たばこを取り出して一息吸い込んだ。
「…………あの夜は運ばれてきたお前と柚見坂に最低限の処置をしながら、私は大病院に搬送する手続きを始めようとしていた。深夜だったこともあって他の保健委員は呼び出せなかったからな。だが、伝手のある病院に連絡しようとした時だった。勢いよく柚見坂が起き上がったかと思うと、お前の惨状を目の当たりにして『私が治します』と言いだしたんだ」
あの時、ハルはモンスターから傷を負わされていた。
しかし度合いとしては軽傷。すぐに目を覚ましてもおかしくはない。
意識を取り戻してすぐに治癒を施そうとするハルの行動は、サクラには納得できることだった。
彼女は自分の力に自覚的で、いつも傷つく人を治そうと懸命だったから。
「無理だと言ったんだが聞かなくてな。あいつの力を始めて見たのはその時だ。お前の傷をみるみる回復させていった。しかし相応の負担がかかっていたみたいで、あいつはすぐにぶっ倒れちまったんだ。その後の柚見坂の処置は私が済ませたが……あの時は本当に驚かされた」
「……………………」
言葉を失った。
ハルはあの時からずっと自分を助けてくれていた。
助けたつもりで助けられていた。
心配をかけてしまっているとは思っていたが――ああ。
思った以上に、ハルは自分のことを想っていてくれたらしい、とサクラは納得した。
(やっぱり好きだ)
優しく、あたたかく、陽だまりのような彼女のことが好きだ。
改めてそう思う。
そして自分のするべきこともなんとなく理解した。
「新子先生、戻りまし…………」
その時、ドアを開いて現れたのは件の柚見坂ハル。
驚きに目を見開き、サクラを見つめている。
お互いに言葉を発せなくて――たっぷり数秒の時間をかけて、サクラはやっと唇を開く。
「ハルちゃん、あの……聞いてほしい話があるんです」
「…………」
ハルはさっと目を逸らした。
だが、この場を後にすることはない。
サクラは少しだけ安心して続ける。
「ずっと心配をかけてしまってごめんなさい。あたしが悪かったです。無茶をして、それで目的を果たしたとしても……ハルちゃんを悲しませたら意味がないですよね。だから」
ずっと考えていた。
自分は弱い。
弱いから無茶をする。
それは仕方のないことだと思っていた。
しかし、いつまでもそんな自分ではいられない。
ハルが安心して見ていられる自分であるためには、強くあらねばならない。
今までたくさんの死闘を経験した今なら、もっと違う戦い方ができるかもしれない。
「学内戦。そして、そのあとのCランク昇格試験。あたしは……出来る限り無傷で勝ち抜きます」
「絶対無傷、とは言わないんだね」
「そ、それは……やっぱり周りの皆さんは強いですし……」
自信を持ち切れずにしどろもどろになるサクラ。
そんな頼りない姿を見て、ハルはふっと表情の硬さを幾分か和らげた。
まだ笑顔とは言えない程度ではあったが。
「……じゃあ見てるよ。ちゃんと見てるから……心配させないでね」
「は、はい! あと、それが終わったらちょっとお話が……」
「うん、わかった」
元通りとはいかない。
しかし、久しぶりに話せた。気持ちが通じた。
そんな気がして――どっと身体から力が抜ける。
「で、いつまで保健室を良い雰囲気にするつもりなんだ?」
新子から素朴な疑問が飛んできて、サクラたちは二人して赤面してしまうのだった。
* * *
サクラは次の学内戦でDランクの生徒たちとレートを競うことになる。
Dランクはもっとも人数の多いランクであることから『魔境』とも呼ばれている。
経験に富んだ上級生たちも数多く在籍しており、一朝一夕では上がれない。
Dランクに甘んじて安定を求めた者や、あと一歩のところでCランク昇格を逃した者もいて、その実力はピンキリだ。
そんな強敵ぞろいの中、サクラは勝ち続けなくてはならない。
一年生最初の学内戦で昇格したサクラは彼女らに比べて経験の数では圧倒的に劣っている。
だが。
「……あたしだって、いろいろな戦いをくぐり抜けてきた」
経験の濃さでは自分も負けていない。
それだけは間違いなく、サクラの血肉になっている。
仮想試験場のロビー。
その隅に設置された端末を操作し、試合の認証を終える。
今日は今シーズンの学内戦、その初試合。
「ハルちゃん、見ててくださいね」
光に包まれたサクラは、戦いへと身を投じて行った。