171.二律背反
例の騒動からしばらく経って。
最条学園にも元の活気が戻りつつあった。
LIBERTYの影響で向上心を減退させられていた者たちも調子を取り戻している。
そんな中、サクラが気にしていたのは退学届けを出した生徒たち……具体的にはクラスメイトの韮蜂ハイジたちのことだったのだが。
「夏休み以降に退学届を出した子たちについてだが、実は届け出を保留にしていてね」
「えっ、そうだったんですか?」
学園長室を訪れたサクラは驚きに目を剥く。
アンティーク調の家具で纏められた、落ち着いた雰囲気の部屋だ。
そんな格調高い空気の中にも馴染む学園長……キリエの祖母でありながら外見はサクラと同じくらいという驚異的な若さを誇る彼女は金髪のツインテールを揺らして頷いた。
「まあ、さすがに不自然さを感じてね……。事件当日、容易く眠らされた私が言うのもなんだけど、あの後退学届を出して実家に帰った子たちに連絡をしておいたんだ。まだ学園都市でキューズを続けたいか――という意志を確認するために」
「それじゃあみんな帰って来られるんですね……!」
喜色を顔中に散りばめたサクラだったが、学園長は沈痛な面持ちで首を横に振る。
「……一部の子は帰って来なかったよ。一度辞めたことをもう一度始めるのは、相応の意志力が必要とされるからね……」
「そう、ですか」
「いや、君が気に病むことはない。悪いのは異変に対処できなかった私だ」
「いえ……それは違います。本当に悪いのはLIBERTYの……みなさん、ですから」
サクラの脳裏に浮かぶのはダイアの顔。
そして打ち上げに混ぜてくれた時の、ヒストやパラレロ、エマの笑顔。
彼女たちは許されないことをした。しかし、サクラが彼女たちに救われたのもまた事実。
LIBERTYを悪だと断じながら、割り切れない気持ちが心の奥底に溜まっていた。
「……そうか。まあとりあえず、君たち生徒会のおかげで学園都市の危機は去った。ありがとう」
「い、いえいえ! 当然のことですから!」
「君たちは錯羅回廊の調査も頑張ってくれてるし、本来なら休みをあげたいところなんだけどね」
「そんなわけには! 錯羅回廊もいつおかしくなるかわかりませんし、それに――――学内戦も近いですから」
そう。
最近はおかしな事件にかかりきりだったが、サクラは最条学園の生徒である。
四か月に一度開催される、生徒ランク昇格試験への参加資格を得るための試練……学内戦が目前に迫っていた。
* * *
学内戦が目前に迫っている――とはいうものの、サクラの頭の中は二つの問題でいっぱいいっぱいになっていた。
まずひとつは、クラスメイトでありサクラと合わせて一年生では二人きりのDランク生徒、山茶花アンジュのことである。
良き友人であり対等なライバルだと思っていた彼女の本心を、サクラは知ってしまった。
『だ~~り~~~~~~ん♡♡♡』
脳裏に蘇る甘ったるい猫なで声と喜色満面のアンジュの姿を、かぶりを振って振り払う。
先日のLIBERTY事件でのことだ。サクラを含めた学園都市のほとんどの人間は『夢の世界』に閉じ込められた。
そこはそれぞれの抱く願望が叶う世界。
その世界でのアンジュは、サクラと付き合っていることになっていた。
つまりアンジュはサクラと付き合いたい、彼女にしたいという願望を抱えているということ。
勘違いだと思いたいが、彼女お付きのメイドもそう明言していたからまず間違いはないだろう。
「あ~~~~どうしよ~~~~!」
渡り廊下でうずくまるサクラ。
周りの生徒から視線を感じるが、それを気にしている余裕は残念ながら無い。
事件の対処に当たっていた際はそれどころではなかったので蓋をしていたが、一件落着した今となってはそうもいかない
相手の気持ちを一方的に知っているというのがこれほど困るとは思わなかった。
不可抗力だったとはいえ、これではアンジュの心を勝手に覗いたようなものだ。
(迷惑とかじゃないんだけど……嬉しくないわけじゃ、ないんだけど……)
あれほど素敵な女の子が好きになってくれたのだ。
困惑こそすれ嫌悪を抱くことはない。
しかしそれでも困ってしまう理由がある。
何故ならサクラにはすでに――――
「あ…………」
「ハル、ちゃん……」
かすかな声は、サクラがよく聞いてきたもの。
なにやら大量の資料が挟まったファイルの束を運んでいる少女は、柚見坂ハル。
サクラが学園都市に来て初めて友達になった子だ。
「あ、あのっ」
「…………」
慌てて声をかけてみるも、ハルは露骨に視線を逸らして早足で歩いていってしまう。
何とか追いかけようとするも、立ち上がろうとした拍子にバランスを崩して顔を床に打ち付けてしまった。
「い、いたい……」
アーマーがあるので物理的に痛いわけではない。
痛いのは心だ。
ハルは、サクラの想い人。
つまりアンジュの気持ちを受け入れられない理由であり――もうひとつの問題そのもの。
今現在、サクラはハルと仲たがいをしているのだ。
* * *
発端は新学期に入ってすぐのころ。
異空間に引きずり込まれたサクラはそこでモンスターと戦い、重傷を負った。
その傷は保健委員のハルが治してくれたのだが、これまで何度も激しい傷を負い続けた上にその事情を話せなかったことが積み重なり、ハルを怒らせてしまったのだ。
――――サクラちゃんが酷い怪我をして倒れるたびに胸が張り裂けそうになるんだよ。それなのに心配もさせてくれないんだね。
それから謝る機会を逸したままLIBERTY事件が起き、そこでもサクラは傷を負った。
すぐに学園の保健室に搬送され、幸い軽傷だったこともありこれまたすぐに治癒された。
だが、治してくれた当のハルは、泣きそうな顔でベッドに横たわるサクラを見下ろしていた。
『……どうしてサクラちゃんが傷つかなくちゃいけないんだろ』
『ハルちゃん……それは、戦える人が他にいなくて……』
LIBERTY事件の時、夢の世界に落とされなかったのは黄泉川ココただ一人という状況だった。
その夢の主を倒したサクラはいち早く抜け出し、ココに加勢した。
後から他の生徒会メンバーも合流してくれたとは言え、その時は自分しか戦えないと思っていたのだ。
だが――――
『それは違うでしょ……?』
『え……』
『他にいなかったとか、そんなの関係ない。サクラちゃんは自分が戦えるなら率先して戦うじゃない。誰かを助けるためなら自分の身を顧みずに行っちゃうじゃない』
『……それ、は』
『わたしが治さなかったら死んでたような大怪我は何度もあったよね。もしかして……わたしがいるせい?』
普段のハルからは考えられないほどに鋭い声色だった。
悲しませてしまった。そして、怒らせてしまった。
いつもあれだけ穏やかでのんびり屋のハルが、下唇を噛みしめて、涙をいっぱいに溜めてサクラを見据えている。
『わたしが治すからサクラちゃんは無茶するの? どれだけ怪我しても、どうせ治るから……って?』
『そんな、あたし……は……』
何も言えなかった。
そんなことない、と叫ぼうとした口は震えて動かない。
そうかもしれない、と思ってしまったからだ。
本来なら後遺症が残るような怪我を何度も負った。
戦っているときは無我夢中で、後先なんて考えなくて――しかし。
その『後先考えない』というスタンスを支えていたのはハルの存在なのではないか。
そう問われれば、サクラは否定しきれない。
『違うって言わないんだ』
『は、ハルちゃん……! そんな、あたしは!』
『だったら……私はサクラちゃんを、もう治さない』
どれだけ痛い想いをしても、どれだけ深い傷を負っても、絶対に。
そう残して、ハルは保健室を去った。




