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170.あとのまつり


 死者が出なかったのは奇跡だった。


《怪獣による被害は大きいものの、建物などは修復のクオリアの力が使われているから今はもう元通りだ》 

《怪我人こそ大勢いるものの、治癒能力ですぐに治る程度だったそうだ》


 サクラはとある施設の待合室で、少し前にキリエから届いたSIGNのチャットを見返していた。

 学園都市すべての人間を眠りに落とし、巨大な怪獣を召喚して全てを破壊しようとしたLIBERTYの計画は阻止された。

 最条学園生徒会……サクラたちの手によって。


《もしかしたら、彼女たちにも躊躇いがあったのかもしれないな》

《その意志が怪獣に伝わり、攻撃が人へ向きづらくなっていた……と考えるのはいささかロマンチストすぎるだろうか?》


 サクラの口元がわずかに緩む。

 自分も、そうだといいなと思った。


 あの事件から一週間が経とうとしていた。

 あれほどの事態が起きたというのに、学園都市は元の日常を取り戻しつつある。

 というのもほとんどの人からすれば目が覚めた時には全てが終わっていたので、実際の被害としてはほぼ皆無だったのだ。

 

 しかし罪が無かったことになるわけではない。

 赤夜(あかしや)ネム、そしてLIBERTYの四人はここ……能力者収容所に留置されることになった。

 罪を犯したクオリア使いが収容される施設だ。

 

「……そろそろかな」


 そう呟いた瞬間、タイミングよく首から下げた端末が振動する。

 その画面には、『天澄サクラさん 8番面会室にお入りください』と表示されていた。



 * * *



 人生はまさかの連続であり、例えばサクラも様々な激戦を繰り広げてきたが、学園都市に来る前はまさかそんなことになるなんて夢にも思っていなかった。

 そしてその『まさか』のひとつが――――


「……会えて良かったです。ダイアちゃん」

   

「ああ……」


 面会だ。

 ダイアは上下灰色のスウェットに身を包んでおり、アイドルをやっていたころの煌めくような存在感はなりを潜めている。

 しかしやはりこの状態でも、身に纏うオーラは一般人とは一線を画していた。 


「本当は四人全員に会いたかったんですけど……」


「まあ、そこまで時間を取らせるのも悪いからな。ここで話した内容はみんなに伝えておくよ」


「みなさんの様子はどうですか」 


「身体は元気だと思う。治癒も受けられたしな……罪の意識でかなり落ち込んでいるが」


 それはダイアも同じなのだろう、目の下にはうっすらと隈が刻まれていた。

 元から痩せていた体形は、さらに細くなってしまったように見える。

 起こした事件が事件なので当然の報いなのかもしれないが、サクラは胸を痛ませずにはいられなかった。


「赤夜ネムは……」


「昨日会ってきました。疲れた様子でしたが、早めに出られることになったらしいです。ダイアちゃんたちの証言のおかげですね」


「いや、もとはと言えば私たちが赤夜ネムを利用したのが発端だ。彼女にそもそも罪は無い……本当に悪いことをした」


 ダイアは沈痛な面持ちで俯いた。

 夢のクオリアの使い手、ネムはダイアたちの手によって半ば操られた。

 学園都市の人間全てを夢の世界に落とし、この街を滅亡させる計画の片棒を担がされたのだ。


「私たちは覚醒器(かくせいき)……という器具を使っていた。ライブなんかで使っていた、メガホンみたいな機材があっただろう」 


 頷くサクラ。

 確かにLIBERTYのMVやライブではそのメガホン型の器具をマイク代わりに使っていることが多かった。


「あれに通した声には聞いた者の持つ特定の意志を先鋭化させるという機能があった。例えば毎日の訓練が辛い、もうやめてしまいたい……という意志を強め、本当にキューズを辞めさせてしまうみたいにな。私たちは覚醒器を使うことでこの街の人間が持つ後ろ向きな感情を増幅させ、赤夜ネムが作り出した『理想が叶う夢の世界』へ落ちやすくしていた」


 LIBERTYの歌は至る所で流れていた。

 あちこちでライブを行い、宣伝のPVなども多く打たれていて、おそらくはこの街の人間でLIBERTYの歌を聞いたことが無い者はいなかったのではないだろうか。


「赤夜ネムにも使った。彼女の意志を増幅し、夢の世界を構築するまでに至らせたんだ……」


 クオリアは意志の力だ。

 意志が強くなれば、能力を行使できる規模も大きくなる。

 ひとつの世界を創り出せるほどの力は、覚醒器によって促されたことによるものだったのだ。


 しかし、サクラにはわからないことがある。


「ちょっと待ってください。その……覚醒器って、どこから手に入れたものなんですか?」


 その問いに、ダイアは少し逡巡した後、重い口調で語り始めた。


「……私たちには後ろ盾がいた。私たちはその人物のことを”プロデューサー”と呼んでいた。覚醒器はそのプロデューサーから贈られてきたものだ」


「プロデューサー……?」


「無力な私たちはあの人に助力を求めるしか無かった……だが、責任は私たちのものだ。どれだけかかっても償うつもりだよ」


 今回の計画は私たちが自分の意志で実行したものなんだから。

 ダイアはそう結んだ。


(…………本当にそうなのかな)


 ずっと疑問だった。

 学園都市を滅ぼすなど、どんな理由があっても実際に実行へ移すものだろうかと。

 もちろん彼女たちの持っていた絶望はサクラには知りえない。

 しかし、もっと他にやりようがあったはずなのだ。

 その引っかかりを解消するため、サクラは問いを投げかける。


「あの、ダイアちゃん。ダイアちゃんたちはどうしてアイドルを始めたんですか?」


「ああ……それは私たちみんなアイドルが好きだったのと……競技で傷つく人が居るっていう訴えが、アイドルとして知名度を上げればみんなが受け入れてくれるんじゃないかと思ってたんだ。今から考えれば幼い計画かもしれないけどな」

 

「もうひとつ、いいですか」


 ごくり、と生唾を吞み込む。

 まず立場を作り、主張を聞いてもらいやすくする。

 その考えはわかる。

 だが、やはり繋がらない。

 

 学園都市を襲うという凶行に至るほどの原動力になるとは、少なくともサクラには思えない。

 もちろん人には人の感じ方がある。彼女らにとってはそれほどの事だった――そう捉えることもできるだろう。

 しかしサクラの引っ掛かりは、次の質問で確信へと至ることになる。


「学園都市を襲撃する……その計画に至るほどの憎しみはどこから……?」


「それは……私たちは、お姉さんを奪った学園都市が憎くて……いや、あれ……」


 そこでダイアは視線を彷徨わせ始める。

 まるで落とし物を探しているかのように、瞳孔が不安定に揺れていた。


「いや、違う……確かにお姉さんがいなくなったのは悲しかったけど……あれ……?」


「ご、ごめんなさい。混乱させたかったわけじゃなくて……」


「あ、ああ……」 


 嫌な予感は当たっていた。

 おそらく彼女たちは、プロデューサーとの接触から道を狂わされていたのではないだろうか。

 具体的には、そう――覚醒器とやらがダイアたちにも使われていたとすれば。

 その心の奥に燻る喪失の悲しみを捻じ曲げられ、増幅されたとすれば……。

 

「悪かった、サクラ」


 その声にはっと我に返る。

 目を向ければ、ダイアが頭を下げていた。


「夏休みにこの学園都市に来てから、私たちは様々な作戦を遂行してきた。サクラは私を許せないと思う」


「…………」


 そんなことない、とは言えなかった。

 エリの件。そしてハルがアンノウン――その中身だったダイアに襲われ傷を負ったことは、簡単に許せることではない。

 だが、そんな抑えきれない憎悪の中に、一筋の疑問が生まれた。

 

「……ちょっと待ってください。夏休み?」


「ああ。私たちLIBERTYが学園都市に来たのは夏休みに入ってからだ」


 おかしい。

 そんなはずはない。

 だって、何故なら…………。


「エリ、ちゃんが……死んだのは、終業式の日なんです。あれは、あのアンノウンは……あなただったんじゃないんですか?」


「な……!?」


 驚愕したダイアはすぐさま口元を抑え、何やら考え込むと、すぐに顔を上げる。

 彼女もまた疑問と焦燥に駆られているようだった。


「……その件に関しては『自分がやったことにしろ』との指令があったんだ。思えばあれだけが意図のわからない指令だった……」


 背筋がぞっとした。

 サクラがアンノウンに初めて出会ったのは五月、錯羅回廊でのことだ。

 

 もちろんダイアが嘘をついているという可能性もある。

 ”プロデューサー”が学園都市の人間だとしたら、夏休み以前に人知れず入都させる――そんな手続きが不可能というわけではない。


 しかし、この街には読心能力を持った者が何人もいる。

 それこそサクラの先輩であるココにかかれば今の無防備なダイアたちの心を読むことなど朝飯前だ。

 つまり、嘘を吐くリスクは限りなく大きい。


「だとしたら……」 


 五月。

 錯羅回廊に出現し、サクラを殺害しようとし。

 

 七月。

 エリの来歴を学園都市じゅうに明かし、最終的にエリの命を奪う手引きをした、あのアンノウンは。


「いったい誰だったの……?」


 ”プロデューサー”か。

 それともその人物に連なる誰かか。

  

 学園都市を襲った危機は去った。

 しかし――その跡には、さらなる巨大な謎と陰謀の気配が横たわっていた。


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