17.メイビー・ファーストステップ
「君たちが迷い込んだのは”ポケット”だ」
次の日、サクラはミズキとの一件を報告しに生徒会室を訪れていた。
一件と言うのはもちろん二人でダンジョンへと入ったときのことである。
「ポケット……? 錯羅回廊じゃないんですか?」
サクラが不思議そうに訊ねると、生徒会長のキリエは首を横に振った。
「いや、錯羅回廊で間違いない。その一部と言えばいいのかな」
「たまにクオリア使いが錯羅回廊に引きずり込まれることがあるみたいなの。その際、引きずり込まれた者の心やクオリアを反映した空間が形作られる。それをポケットと呼んでいるのよ」
言葉に迷ったキリエを引き継ぎ、ココが続けた。
彼女の言う通り、あの空間は引きずり込まれたミズキに関連しているように思えた。
水を使うモンスターに、水浸しの住宅街。
住宅街はミズキの故郷を模したもので、水は彼女の能力である水のクオリアに由来するものだろう。
「たまにってことは、前にも誰かが引きずり込まれたことがあるんですか?」
「ああ。何度か助けたこともある。だが……おそらく助けられなかった者もいる」
「おそらく?」
その不明瞭な言い方が引っかかる。
サクラの投げた問いに、キリエは珍しく眉間に皺を寄せると、
「これは推測でしかないんだが、助けられなかった者……つまり引きずり込まれた誰かがポケットのモンスターに殺されてしまうと、その人は存在ごと消えてしまうようなんだ」
「存在ごとって、どういうことですか」
キリエはこれ以上ないくらい苦い顔をした。
言いたくない。口に出すことすらはばかられる。そんな想いがありありと浮かんでいる。
だがそんな躊躇いを振り切って、キリエは口を開く、
「……ただ命を落とすだけでなく、その人が存在していたという痕跡ごと……例えば書類上などのデータや他人の記憶からも消えてしまう。存在が消えるというのはそういうことだよ」
「……っ」
思わず息を呑んだ。
もしあの時ミズキを助けられなければ、ミズキが死んだことすら誰にも気づかれずに終わっていたということになる。
だが、それだとひとつ不自然なことがあった。
「でも、痕跡ごと消えてしまうなら、消えたことすら気づけないんじゃないですか?」
「ええ、だから推測なの。例えば名簿に不自然な空白が生まれていたり、リミッターの識別番号がひとつ飛んでいたり……そんな痕跡をもとに私たちはそう結論を出した」
キリエたちは沈痛な面持ちで口をつぐむ。
助けられなかったこと。それに気づけなかったこと。
そんなことを知らない方が良かったとさえ思ったのではないだろうか。
それでも彼女たちは錯羅回廊の調査を続けている。あの異空間の謎を解き明かすために。
「本当は君が私たちに連絡せず独断先行したことを叱らなければならないんだけどね」
「あ……それはその、ごめんなさい」
「いや、仕方ない。迅速な対応で助かったくらいだよ」
”ポケット”の件は、まるで神隠しだ。
知らないうちに引きずり込まれ、誰にも知らず殺されて、そして忘れられる。
気づけなければそこで終わり。
サクラはいつのまにか手を強く握りしめていた。
ひとりでも多く助けたい。そして錯羅回廊の調査がこの現象を止めることに繋がるとしたら。
「……あたし決めました。生徒会に入らせてください」
キリエたちが目を見開く。
生徒会に入ること。それはつまり、錯羅回廊の調査メンバーになることを意味する。
サクラはきっと最初から決めていた。
ただひとかけらの勇気だけが足りなかった。
力が足りないからふさわしくない――そんな考えは間違っていたのだ。
力が足りずとも戦わなければならない時がある。そのことを昨日の戦いで知った。
少なくともミズキを背にして戦っているときは、そんなことを考えている余裕は無かったのだから。
「……いいのか?」
「はい! まだまだ未熟ですけど、誰かを助けられるなら。あたしはそのためにこのクオリアを使いたいです」
そうか、とキリエは安堵したように息を吐く。
ココの方へ視線をやると、『本当にいいの?』と言いたげな眼差し。
無表情だが、気持ちは伝わってくる。案じてくれているのがわかる。
サクラは笑顔で頷いた……が、その直後。
「よし、それではさっそく今日の午後に全校集会で発表しよう! 生徒会相談窓口・天澄サクラのお披露目だ!」
「ええーっ!?」
サクラが驚きの叫びを上げると同時。
ココは思わず額に手を当てた。
* * *
講堂の舞台袖で緊張に震える少女がいた。
天澄サクラである。
「肩ガチガチじゃない」
「ひぅ!」
背後から肩に触れた手の感触に思わず飛び上がりそうになる。
おそるおそる振り向くと呆れた表情のココが立っていた。
「大丈夫?」
「ぜ、ぜんぜん平気です! ……えへへ、たくさんの人の前に出るのは慣れてなくて」
「そ。まあ慣れてないうちはそうかもね」
「最条先輩はあんなに堂々としてて、やっぱりすごいですね」
サクラの視線の先、壇上ではキリエが今回の生徒会役員増員について話している。
その演説は明朗で、笑みすら浮かべて語り続けていた。
「――――つまり相談窓口というのは生徒たちの悩みを生徒会へ通しやすくするためのものだ。特に一年生は――――」
「アレを比較対象にするのはやめておいた方がいいわ。自信満々マシーンだから」
「マシーンって」
少し笑ってしまう。
キリエとココはきっと気の置けない関係なのだろうな、と少し羨ましく思う。
よく考えると推しの選手と同じ肩書きを背負うことになってしまったが、そのことについて深く考えるとおかしくなってしまいそうだ。
「それでは今回生徒会に加入する子を紹介しよう。天澄サクラさんだ」
キリエが差し出した手がこちらを向いた。
その赤い瞳と視線が交差する。
サクラはごくりと生唾を飲み込み、壇上へと歩いていく。
暗い舞台袖から照明に照らされたステージへ。
降り注ぐ眩しさに目を眇めると、立ち並ぶ生徒たちの声が聞こえてくる。
『あの子って確かネイティブの……』『あれが噂の?』
やはり、サクラの素性は知られている。
入学式の時の針のむしろ状態を思い出した。
壇上のキリエは頷くと、入れ替わるように舞台袖へと歩いていく。
サクラはおそるおそる卓上のスタンドマイクに触れる。
大丈夫だ。台本は覚えてきた。その通りに話せば問題ない。
意を決して震えそうになる声を引き締めて口に出した。
「ご紹介に……あずかりました、天澄サクラです。今日から生徒会役員としてみなさんのために――――」
『生徒会? あの”がっかりネイティブ”が?』
どこからか聞こえてくる潜めた声にぎくりとした。
良い受け取り方はされないだろうとは思っていた。
だが、じくじくと疼く胸の痛みは避けられない。
壇上が広く感じる。
周囲には誰もいない。
『いやー冗談きついわ』『あれって入学式の日に全くクオリア使えなかったって聞いたんだけど』
『ウソやば、なんでこの学園入って来れたの?』『ネイティブってだけで贔屓されてるんじゃない?』
サクラはアンジュに勝利し、この学園で学ぶ権利を得た。
だがそれは全ての生徒に周知されているわけではない。
最初に貼られているレッテルは、そう簡単には剥がれない。
(――――どうしよう、台本飛んだ……!?)
頭が真っ白になっていく。
何を言えばいいのかわからない。
何を言うべきだったのかわからない。
身体の震えがどんどん増していく。
『そう言えば後輩が言ってたわ、なんか模擬戦でも勝ててないって』
『あーじゃあやっぱりネイティブだから選ばれたんだ、なら私らでも良くない? アハハ――――』
ドン、と全てを黙らせる力強い足音。
サクラが驚いて横を見ると、ココがすぐ近くにいた。
ココはスタンドマイクをサクラからひったくると、
「そこの金髪と……そこの二人。あとはそこの」
生徒の集団から数人を順番に指差していく。それはおそらく、サクラに対して陰口を言っていた生徒なのだろう。
いつのまにか講堂は静まり返っていた。
声を上げれば殺される。誇張抜きにそれほどの恐怖が場を支配していた。
「名前は出さないであげる。だけど私のクオリアは知ってるわよね。やろうと思えばあなたたちの全てをここで詳らかにすることだってできるのよ」
短く悲鳴が上がった。
ココの力は思念のクオリア。
念話や読心、果ては催眠や洗脳まで精神に関する事なら何でもござれの能力だ。
それを使えば、確かに他人の思考や記憶まで何もかもを知ることができるだろう。
ココはサクラを一瞥すると、講堂に集まった生徒たちを睨み殺す勢いで見下ろす。
「この子は人のために必死になって戦える子よ。他人を妬んでぐだぐだ言ってるあなたたちよりよっぽど適任だわ」
とん、とマイクを置くと、ココは歩き去っていく。
すると彼女とすれ違って、今度はキリエが舞台袖から歩いてきた。
「……生徒会役員は私が選定している。その形式に不安や不満を抱く者もいるだろうが……どうか私とこの子を信じてもらえないだろうか」
静かな声だった。
マイクを通さない肉声だったが、静まり返った講堂には充分すぎるほど響き渡る。
サクラは生徒たちを見渡す。ほとんどの者は複雑そうな面持ちだった。
だがその中に知っている顔を見つけた。ハルとミズキだ。
ハルは心配そうに見守ってくれている。
ミズキは笑って手を振った。
どちらもサクラが助けた少女たちだ。
(あたしにはまだ力が足りない。それはわかってた。でも、そんなあたしにもできることがあるはず)
力のあるなしではない。
あの時、サクラが戦ったからこそ二人を助けられたのだ。
いつのまにか震えは止まっていた。
「あたしは……確かにまだまだ未熟です」
クオリアを使い始めてから一週間程度。
経験でも知識でも劣っている。
「でも、だからこそ誰かに寄り添うことができるんじゃないかって思います。なのでこれからのあたしに、どうかご期待ください!」
そこまで言いきってお辞儀をすると、サクラは足早に壇上を去った。
薄暗い舞台袖では申し訳なさそうに俯くココが待っていた。
「ごめんなさい天澄さん、割り込んだばかりかあんなことまで……きゃっ!」
突然抱き着いてきたサクラに、思わずココは声を上げる。
サクラの肩は震えていて、温かいものが染み込んでくるような感覚があった。
その眼の端からは大粒の涙が次から次へと流れ出る。
「……ありがとう……ございます……っ!」
嬉しかった。
あの時本当に頭が真っ白になって、どうしていいかわからなくなった。
だからココたちが庇ってくれたのが本当に本当に、心から嬉しくて仕方なかった。
黄泉川ココ。
冷たい表面の中に、温かな心を持つ少女。
良かった、と心の中で呟く。
こんなにも心優しい人が先輩で本当に良かった、と。
「随分と懐かれたみたいだね、ココ。羨ましいよ」
いつの間にか舞台袖に来ていたキリエがからかうように笑う。
「どっちがよ……」
「どっちもさ。フフ」
「……私だって嬉しいのよ。衒いなく接してくれる子って本当に珍しいから」
ココは困ったように上を向きながら、サクラが泣き止むまで頭を撫で続けてくれた。
* * *
その日の夜。
自室に帰ったサクラは、まだ明るさを失わない学園都市の街並みをベランダから見下ろす。
今日はなんだかとても疲れた。
いや、ここのところずっと疲れていたのかもしれない。
生徒会のこともそうだが、ミズキのことも合わさって。
「本当に入っちゃったんだ……生徒会」
入ったからにはそれ相応の責任が求められる。
あの生徒たちが言っていたことは間違いではない。
自分はまだまだ未熟。生徒会という肩書きにふさわしくなれるよう努力しなければ。
キリエのようになるという目標への道のりはまだおぼろげだ。
目の前には未だ見慣れない街並みが広がって、時々どこへ行けばいいかわからなくなる。
みんなは違うのだろうか。自分だけそうなのだろうか。
「人を助ける。強くなる。そうしたら……」
がむしゃらに走って行けば、きっとどこかへたどり着くだろう。
ハルは努力するしかないと言った。だったらそうしてみるのが良いのかもしれない。
今は道の先が見えなくても、走っていればいつか景色が広がるかもしれないから。
黄泉川ココ
備考:最近『後輩との接し方』という本を買った。