167.リフレクション
増幅のクオリア。
ありとあらゆるものを増幅させることができる能力。
あらゆるというのは誇張ではなく――例えば体積。
最初に見せた地形変化は、指定した部分の体積を増幅させることによる攻撃だ。
そして、指定した物体の重量や速度にも増幅を適用できる。
アリスの鏡を破れたのは、速度に加えてインパクトの瞬間に拳の重量を増幅することで爆発的に威力を上昇させたからだ。
「――――ってところかな、たぶん…………」
ケーキの売店に叩き込まれたアリスはぼんやりと考察を巡らせていた。
がたん、と傾いた看板が落下し、店の傍らに倒れた。
アリスの鏡反射は、実のところ攻撃をそのまま跳ね返しているわけではない。
実際の鏡反射のプロセスは三つ。
①鏡で受け止める。
②受け止めた物体の質量や威力を解析・処理する。
③処理が終了次第受けた攻撃の威力を消失させ、それ以上の威力を持った同じ性質を持つ攻撃を放つ。
これら三つの工程をほぼ一瞬で行っていることから跳ね返しているように見える。
反射しきれないパターンは、②の解析・処理が間に合わなかった場合だ。
つまり圧倒的な質量を持った物体を受け止めた場合や、処理しきれないほどの威力を持った攻撃は跳ね返せない――ただ、処理できた分だけは威力を減衰できる。
その甲斐あって五体満足で済んだ。
代償としてアーマーは割れかけているが。
(いっつつ……これ鎖骨も折れてるね)
激痛に顔をしかめながら砕けたショーケースを押しのけて立ち上がる。
これが営業中ならクリームまみれだったかも、なんて思う。
あのヒストという少女はおそらく他に人が居ようと気にせず戦っただろうが。
「ねえ、もーちょっと加減とかしてくれない? 痛いんだけど」
ほこりを払いながら近づいてくるアリスの姿に、ヒストはあからさまに顔をしかめた。
あれで無事だったのか、などと言いたげに。
「下手に手加減して反射されたら終わりでしょう」
「あはは、そりゃそうだ」
笑うアリスは、長い息をつく。
本音を言えば戦いたくない。
今すぐ自室に戻ってベッドに潜ってだらだらと朝まで眠りたい。
そもそもこんな深夜に起こされて本気で戦うなんて勘弁してほしい。
ここに来たのだって半ば成り行きで、目を覚ましたと思ったらカナからの鬼電でしぶしぶ出動することになってしまっただけ。
「――――誰かのために戦うなんてバカらしい」
過去のアリスは他人を助けるために力を尽くしていた。
だが他人を信じ他人のために奮闘して、その結果裏切られたアリスはその行いを肯定しない。
そんな行動原理で動く人を見ると一言言ってやりたくなる。その典型例であるサクラ相手にも随分といらないお節介を焼いた。
今でも自分の考えが間違っているとは思わない。しかし、
「だけどね。そんなことのために頑張るお人よしは守らなきゃって思うんだよ。あの子たちだけに戦わせちゃダメだって心が叫ぶんだよ。だから銀鏡は戦うんだ」
アリスは自身の周囲に四枚の鏡を展開する。
普段の彼女ならこの数倍の鏡を操ることができるだろう。
だが今はそうできない事情があった。
(……やっぱり。アーマーが無いから……)
先ほどアリスの反射を貫いたヒストの拳は、その甲から流れる血で赤く染まっていた。
クオリアを使った戦闘がエンタメの枠に収まっているのはリミッターに搭載されたクオリアを抑制する機能と装着者が受けるダメージを緩和するアーマーがあるからだ。
しかしヒストたちはもともとクオリア使いではなく、当然リミッターを装着していない。
だから自分の攻撃の威力に身体が耐えきれていないのだ。
そしてヒストの耐久力の無さはアリスにも影響がある。いつもの感覚で容赦なく攻撃すれば命を奪ってしまう可能性が高い。
「……そんな信念で立ち塞がるなら今すぐ消えなさい!」
ヒストが大地を蹴る。
今回増幅を掛けたのは身体能力。
曖昧な概念だが、認識さえできれば増幅することは可能だ。
あまり曖昧なものを対象にすると使用者にも予想できなかった結果が起きる場合もあるので下手な使い方はできないが――ヒストは先ほどの攻撃で感覚を掴むことに成功した。
向かってくる拳に対し、アリスは真横に飛んで回避した。
直後、攻撃の余波で爆風が巻き起こり、着弾した床が砕き割れる。
「はっ、攻撃を避けるなんていつ振りだろ」
返す刀で照明の光を鏡で反射し、四本のレーザーとして放つ。
だが、
「反射倍率10!」
その宣言の瞬間、ヒストの体表が光沢を放ち、レーザーを反射する。
反射角までは制御できないのだろう、レーザーはそれぞれあらぬ方向に飛んで壁や天井に焦げ跡を作った。
「それ銀鏡の専売特許なんですけど……!」
「これでレーザーは通用しない。知ってるわよ、あなたは”それ”以外の攻撃パターンが無いってね――身体増幅20」
さらに速度が上がる。
動いた、と感じた時には腹部に強烈な蹴りが叩き込まれていた。
「か……っ」
めり込んだのもつかの間、アリスは弾丸のように吹き飛ばされ、支柱に激突する。
間髪入れずにヒストはさらなる増幅をかける。
「速度・重量増幅20!」
床を蹴りだす。周囲に深い亀裂が広がる。
ふらふらと立ち上がるアリスに爆風を伴う速度で肉薄し、全力の拳を顔面に叩き込んだ。
身体能力と速度、そして拳の重量に20倍の増幅を掛けた渾身の一撃。
いくらアーマーが残っていると言えども生身の人間では肉塊どころか原形も残らないはず。
だが。
「どう、して……?」
何も起こっていない。
これだけの威力だ、命中した瞬間地下通路一帯が砕けてもおかしくはない。
だというのに、一切の破壊がそこには無かった。
手応えすらも無い。拳が直撃した瞬間、運動エネルギーがまるごと消し去られてしまったかのように。
目の前のアリスは、口の端に垂れた血を指で拭う。
「さっき思いついたんだけど上手くいったね。……複眼鏡」
よく見ればヒストの拳はうっすらとした鏡に阻まれている。
それは昆虫の複眼のごとく、微細な鏡が大量に集まって形成されていた。
「一枚の鏡で処理しきれないならいっぱい集めて並列処理すればいいってわけだよ……あ、ちょこっとだけ反射するね」
ドンッ! と見えない衝撃にヒストは吹き飛ばされる。
何とか着地するが、その拍子に力の抜けた膝ががくんと折れた。
急激な増幅に身体がついていかないのだ。
リミッターはクオリア使用者が力を使い過ぎないようセーブする機能がある。
しかしヒストはリミッターを持っておらず、必然的にクオリアのアクセルはベタ踏みになってしまう。
生身では急激な速度や重量の変化についていけるはずもない。
「増幅のクオリアは理解した。そろそろ終わらせよっか」
ぱちん、と指を鳴らすとその身体が無数の鏡面に覆われていく。
まるで新たなテクスチャがかぶさっていくように、体形を含めた外見までもが変化する。
「その、姿は…………!」
「鏡振。相手の姿と能力をコピーする」
アリスの姿は顎辺りでまっすぐ切りそろえられたボブカットに眼鏡、切れ長の瞳、そして軍服のようなステージ衣装までもが屈み合わせのようにヒストとそっくり同じになっていた。
鏡振の発動には条件がある。
対象の姿を知り、動作全般の細かな癖を知り、そして所持しているクオリアを把握せねばならない。
その度合いには個人差があるが――キリエの再来とも呼ばれる類い稀なるクオリア使い、アリスはこの短時間で発動条件を達成するに至った。
「銀鏡たちのことをよーく調べてきたみたいだね。でもこの技については知らなかったでしょう?」
「……そうよ。知っていたら真っ先に潰していたもの」
「だよねえ。でも知らなくても仕方ないと思うよ。だってこの技に成功したの初めてだもん」
ヒストは苦虫を噛み潰したような表情で押し黙る。
よりによってこのタイミングで新たな技を手にするのか。
増幅のクオリアをコピーされた以上勝ち目は薄い。
仮に勝ち筋があるとするならリミッターの有無による出力の差だが、心身ともに疲弊したこの状況では厳しいと言わざるを得ないだろう。
薬液の効果時間もそろそろ切れるころだ。
ならば。
(私への反動を度外視し、限界以上の出力で押し切るしかない……!)
ふらつく足を何とか動かす。
立ち上がる。
脳裏に浮かぶのは仲間の顔だった。
負けるわけにはいかない。
どちらにせよ、自分たちに明日は無い。
「増幅倍率ひゃ……!」
「増幅倍率10。せーの、」
ヒストの叫びを遮るように宣言したアリスはすう、と息を吸いこむ。
驚愕したヒストの顔が見える。
あの顔はよく知っている。
(…………自分の身をなげうってでも誰かを助けようとしてるひとの顔だ)
そんなことはさせない。
自己犠牲で助けられたって、助けられた方は辛いだけだ。
だから――ずっと考えていた。
鏡のクオリアでは、どうしても深く傷つけてしまう。
肉弾戦で打ち勝ったとしても、クオリアによる肉体強化が施されたアリスの打撃は、アーマーの無いヒストの身体を容易く破壊してしまう。
ミラーリングを使ったのはそのためだ。
できるだけ傷つけずに戦闘を終わらせるには――そう。
触れずに気絶させるのがいいだろう。
「あっ!!!!!!!!!!!!!!」
増幅された大音声が爆発する。
地下通路という閉ざされた空間で大声は反響し――ヒストに激しいショックをもたらした。
「――――――っ、ぁ――――」
か細い声を漏らし、ヒストが床に倒れ伏す。
同時にアリスもミラーリングを解除して、頼りない足取りで近づいていく。
彼女の身体からはクオリアの気配が消えている。
首元に指を当ててみると、脈がある。呼吸も問題なく続いている。
「はー……」
アリスは大きなため息を落としてその場に座り込む。
気が抜けた途端どっと疲れが来て、しばらく動けそうにない。
いや、動きたくない。
「あー。みんながんばれー」
顔も知らない誰かではなく。
身近な仲間のために戦った少女は、人知れずエールを送るのだった。