164.フェザーズ
争いが嫌い。
争いは怖い。
今よりずっと小さい頃からそうだった。
喧嘩なんて見たくないし、格闘技の試合中継も無理。
バトル系の漫画やアニメも苦手。
テレビで見る芸人さんの強めのツッコミも駄目なくらい。
私のそんな性格を知ると、周りの人たちは決まってこう言う。
『気にしすぎ』
『別にいいじゃん、あれくらい』
私がおかしいのかな。
たぶんそうなんだと思う。
両親も『気が弱すぎて心配』としきりに口にしていたから。
でも”あの人”は私を否定しなかった。
『――ちゃんはとっても優しいんだね』
『そういう気持ちは後から手に入れようとしても難しいから……大切にしてくれるとお姉さん嬉しいな』
幼馴染たちも私と似た考えを持っていた。
そんな私たちがアイドルにのめり込むのは必然だったのかもしれない。
まあ、人気投票とかはやっぱり苦手だったけど。
でもお姉さんは急に私たちのもとを離れて学園都市に行ってしまった。
クオリアを使って戦う選手……キューズになるのだと言って。
私はお姉さんが”戦う人”になってしまうのも離れ離れになることも嫌で嫌で仕方が無くて……それでもお姉さんが決めたことを止めることは出来なくて。
結局何とか自分の中で納得させて、応援すると決めた。
だけどお姉さんは。
変わり果てた姿で帰って来て――その後、彼女と言葉を交わすことは二度と無かった。
* * *
目を開ける。
落ちている。
(とんでもない膂力……! ココ先輩とどっちが強いかしら!)
カナの背中から生えた黒翼が風に打ち付けられてはためいている。
先ほどの攻撃はとっさに展開した翼でガードした。仮に間に合わっていなければ一撃でブレイクしていたかもしれない。
助かりはしたものの防いだ翼はひしゃげてその役割を成せそうにない。
カナは一度翼を消すと、再び生やし直して力強く羽ばたいた。
カナのクオリアで生み出す翼は身体の一部ではなく、改めて生成し直せば無傷の状態に戻ってくれる。
「ふうっ……」
滞空し、体勢を立て直す。
花鶏カナが持つ翼のクオリアは背中から生やした翼で自由飛行を可能にする。それ以外にも羽根の一枚一枚を自在に操作し、攻撃や感知など様々な用途に使える異能だ。
カナは今しがた自分が立っていたビルの屋上を見据える。
エマ――竜のクオリアがもたらした腕力でカナを吹っ飛ばした少女と目が合った。
途端、その口元が赤く発光すると、巨大な火球を連射し始める。
「ちょ、いきなり竜っぽいことを!」
火球は目を見張る速度だ。100メートル以上は離れているというのに瞬きの間にこちらへ届く。
だが翼のクオリアは機動力においてはピカイチの能力。
カナは黒翼を力強く羽ばたかせると一気に加速し、火球の射線上から逃れる。
あの程度の攻撃なら見てからでも避けられる――と胸を撫で下ろしかけた時だった。
「こっちですよ」
「は?」
その声は背後から聞こえた。
勢いよく振り向くと、いつの間にか回り込んでいたエマがその小さな口を目いっぱい広げていた。
(まさか、最後に撃った火球に隠れて接近したって言うの!? なんてスピード……!)
間に合わない。
とっさに翼で身体を守るが、その上から膨大な火炎が浴びせかけられた。
「ぐっ……!!」
夜空に紅炎が広がる。黒い煙に包まれて、翼の少女が落下していく。
エマは口の端に残った炎をふっと吐き捨て、一瞬迷ったあと追いかけるように降下を始めた。
とどめを刺すためではなく、このまま地面へ落下させてはカナが死んでしまうと考えたからだ。
二人の距離が縮まっていく。
エマは手を伸ばして無防備なカナを掴もうとして――――
「バーカ」
瞼が開く。
カナはすぐさま身体を一回転させると、直上のエマのみぞおち目がけて文字通りのハイキックを直撃させた。
「か……っ!?」
「敵の心配なんて――――」
怯んだ隙にエマの着ている軍服風衣装の胸倉を掴むと、そばにそびえるガラス張りのビルの壁面へと全力で放り投げた。
一面を占めるガラスに巨大な亀裂が走り、エマの肺の空気がまるごと吐き出される。
「――――してんじゃないわよテロリスト!」
攻撃の手は緩まない。
カナの黒翼から無数の羽根がエマへ向かって殺到する。
全方位からの包み込むような弾幕。エマは寸前のところで火炎を吹いて蹴散らす――つもりだった。
「や、焼けない……!?」
黒い羽根の大群は灼熱の炎をものともせず突っ切ってくる。
いや、ぷすぷすと煙を上げてはいるのだが――その勢いは止まらず、衣装に刺さってビルの壁面に縫い留めた。
「クオリアは使用者の意識次第でいくらでも強化や改良ができる」
エマの目の前にゆっくりと降りてきたカナは天使のような幼い笑みを浮かべる。
だがその口調には悪意がたっぷりとまぶされていた。
「カナちゃんの翼は耐火耐熱性能ばっちり完備してんの。あんたのトロ火くらいじゃ燃やせないんですぅー」
翼のクオリアは汎用性の高い便利な能力だ。
しかし突き詰めていくと決め手に欠ける、というのが習得者であるカナの見解だった。
飛行が可能なのは戦闘において大きなアドバンテージだが、竜のクオリアのように他にも飛べる能力はあるし、黄泉川ココのようにフィジカルだけで空中ジャンプをかましてくるような化け物相手にその優位性は機能しない。
(……結局のところ翼での攻撃以外に手札が無いのが問題なのよね)
だから『翼』をひたすらに磨いた。
耐久性を高め、強靭に鍛え上げ。
常識に囚われず、本来の形からも抜け出して、『翼』という型を破った。
その結果、カナはどこに出しても恥ずかしくない強さを得た。
カナの人気はSNSでの活動や見た目だけによるものではない。
だがその強さの片鱗を食らったエマは――目に涙を浮かべていた。
「だ、騙したんですね! 不意打ちなんてひどいです!」
「……いや、酷いのはあんたらの所業でしょうよ」
「それは……そうなんですけど……」
語尾がどんどんしぼんでいく。
反論の言葉が見つからないらしい。
何というか、場違いだ。
この気弱さ。そして倫理観に欠けるというわけでもない――軽犯罪すら起こしたことが無いのではないだろうか。
ゴミのポイ捨てなんて考えたことも無い、みたいな。
だからこそ腹が立つ。
その可愛らしさで、アイドルをやっていて……こんなテロなんて起こさずに愛想を振りまいて生きていれば良かったのではないかと思ってしまう。
そうすれば誰も傷つくことは無かっただろうに。
「悪いけどカナちゃんあんたらの事情聞いてあげるほど優しくないから。話は全部終わった後、面会室でいくらでも聞かせてもらうわ」
「……私たちに」
「ん?」
か細い声にカナが首をかしげた直後、ブチィ! と羽根の戒めを無理やり引きちぎり、エマが突進を敢行する。
「私たちに後なんて……ありませんよ!」
かぱ、と開かれた口中に渦巻く火炎が見え――カナはとっさに黒翼で全身を包む。
直後、深紅の炎が空を焼く。
まともに炎を食らったものの、やはり翼を燃やすことはできない。だがエマは間髪入れず、翼ごとカナを蹴り飛ばした。
「ぐっ……!?」
翼の上からの打撃だったこともあり、痛みは無い。
しかし確かな衝撃と振動が身体の芯まで伝わる。
吹っ飛ばされている。このままだとどこかに激突することを悟ったカナは翼を広げて急停止した。
「……わ、私たちは……!」
追撃が来ないと思ったら、頭上から必死な叫び声が聞こえてきた。
優位を取っているはずなのに、咽び喘いでいるような。
「この作戦を人生最後のライブにするんです! だから、だから……お願いだから邪魔しないでください!」
エマの肌が脈動する。
よく見れば全身そこかしこの血管が盛り上がり、不気味に脈打っていた。
カナの脳裏に不安がよぎる。
エマに異能をもたらしたあの薬液は……安全だと言えるのか?
(……そんなわけない。クオリアは適性が無ければ覚醒しない。もしあの薬液が無害なものだとしたら、とっくに普及しているはず)
あの薬液はおそらく以前に起きた通り魔事件での被害者から作り出されたものだろう。
採取した細胞から何らかの手段でクオリアの元になる要素を抽出したのだ。
薬液を注入するだけで、今エマが振るっているように十全の力を発揮できる。
それはつまり、好きなクオリアを誰にでも付与できるということ。
一般に普及していれば――それが良い方向かは別として――クオリア興業が次のステージに進むことは間違いない。
だがそんな都合のいいものが何のリスクも無しに使えるのだろうか。
「あなた……それ……苦しいんじゃないの」
その問いに、エマははっと目を見開いたかと思うと、ふにゃりと笑う。
「や、やっぱり優しいんですね。でも……っく……でも……! 仲間のためにも引くわけにはいかないんです!」
「…………そう」
強い使命感に引きずられ、視野が狭くなっている。
そんな人を、カナは他に知っている。
止められなかった結果どうなってしまうのかも。
「悪いけど。一から十まで個人的な感情で、あなたを止めることに決めたわ」
エマを救う。
引き返せなくなる前に。
取り返しがつかなくなる前に。
翼の少女は、この戦いを終わらせる。




