163.ファフニール
リミッター。
クオリア使いが例外なく着用を強制される腕輪型のデバイスだ。
外見としては腕時計に近く、円盤型の液晶画面が取り付けられている。
着用者のバイタル情報の表示・送信や学園都市専用通貨の使用や管理 、学内戦のマッチング情報やレーティングの管理など、その機能は多岐にわたる。
しかし、その本質はクオリアの制御にある。
リミッターは着用者のクオリアを大幅に弱体化する。
クオリアは非常に強力で、制限なしでは使用者も周囲の人間も危険に晒されてしまうからだ。
そしてクオリアの弱体化と同時に着用者が受けるダメージを緩和する不可視の障壁、『アーマー』を展開する。
これにより、人知を超えた異能であるクオリアが蔓延る学園都市でもある程度の治安が保たれるうえ、クオリアを使った戦闘がスポーツとして成り立っているのだ。
そんな学園都市での生活とは切っても切り離せないリミッターだが――実は隠された機能が存在する。
円盤型の液晶画面を180度ジャスト回転させた状態で、着用者の声紋によって発動するそれは――『限定解除』。
リミッターによるクオリアの制限を、ごく短時間だけ解除する機能。
「天の万象。地の空想。薄明に散りし星の影」
キリエが静かに解除コードを呟いた瞬間、その全身から圧倒的な光の奔流が溢れ出す。
付近に目撃者がいればその目は潰れてしまっていただろう輝きの中、キリエの身体からは煌めく粒子が舞い散り、光の波動がビリビリと空間を揺らしていた。
「出ろ。光の巨人」
その呼び声に呼応したかのように、周囲に溢れる光が巨大な人型を形成する。
圧倒的な巨躯は怪獣の何倍以上にも上り、頭頂部からは学園都市が一望できそうなほどのスケールだ。
巨人は音も無く手の中に光の槍を生み出し、祈りを捧げるように掲げる。その動きはキリエに連動していた。
怪獣は沈黙していた。
まるで神を仰ぐかのように巨人を見上げ、大口を開けたまま。
それはクオリアの塊である存在であることからキリエの圧倒的な力に何らかの干渉を受けた結果か。
それともただ畏れているのか。それはもはやわからない。
「誰が相手でも、どんな状況であっても……学園都市は私が守る」
手を降ろす。
同時に巨人が槍を怪獣の脳天から突き刺し――膨大な光の柱が立ち上り、怪獣の全身を塵一つ残さず消し去った。
光が消えると、限定解除もまた終了していた。
怪獣が立っていた道路には深い穴がぽっかりと大口を開けていて、キリエの一撃の威力を物語っていた。
「……初めて使ったが……相当にきつい、な……」
全身の神経が悲鳴を上げている。
キリエは、自身を浮遊させている光の足場が消えかけていることに気づいたので、何とか形を保ちつつ高度を下げ、地面に降り立った。
途端に身体の重さを感じ、その場に横たわる。
「あとは……みんなを信じよう」
今は少しでも休んで不慮の事態に備えるべきだ。
学園都市最強の選手は最大の脅威を打倒し、静かに目を閉じた。
* * *
「SNSやってるとさ、知らない奴に面倒な絡まれ方されることがよくあるじゃん」
「はい……?」
少し時間が戻ってビルの屋上ヘリポート。
秋風が吹きすさぶ中、二人の少女が対峙していた。
「いや、参考程度に聞いておきたいのよ。最近大人気のアイドルちゃんたちってSNSをどう運用してるのかなって」
花鶏カナ。
最条学園の生徒会役員である彼女は、スマホを片手に語り掛ける。
対峙しているもう一人の少女――アイドルグループ『LIBERTY』のエマはどぎまぎしながらも、必死に返答を考える。
「ええと……みなさんいい人ばかりで、『頑張ってねー』とか『応援してる』とか、優しい言葉をかけてくれますよ? それに、厳しい言葉でもひとつの意見として大事にしていきたいですし……」
「いい子っ!」
メカニカルなボディスーツのマスク越しに飛んできた返答に、カナは思わず口元を抑える。
エマのことはそれなりに知っている。
今は全身ボディスーツに隠れてはいるが、清楚で良い子で深窓の令嬢と言われたら信じてしまうようなビジュアル――――そんな人間がこの世にいて良いのかとカナは戦慄した。
普段猫を被りすぎてマトリョーシカと化しているカナにはわかる。
こいつは天然ものだ、と。
「あ、あのう……花鶏カナさん、ですよね」
「そうよ。知ってるの?」
「も、もちろんです! 実はファンでして、えへへ……SNSの投稿とかよくチェックしてて、自撮りとかもこっそり保存しちゃってたり……」
「かわいいっ!!」
「ふえぇ!?」
何なんだ、と天を仰ぐカナ。
これが戦意を削ぐ作戦ならあまりにも凶悪だ――いや、これを打算無しにやっている方が恐ろしいのだが。
カナは可愛いものが好きだ。
可愛ければなんでも好きだ。
ぬいぐるみだろうが、アクセサリーだろうが、コスメだろうが、動物だろうが人間だろうがなんだって。
その中でも自分のことがなによりも好きだ。『カナってばビジュ良すぎ……』と毎日鏡の前でため息をついている。
だからこそ、こんなかわいい女の子と戦わなければならないのが心の底から残念だ。
「……カナのファンであることに免じて、今投降すれば悪いようにはしないわ」
静かに差し出された温情。
瞬間、エマはゆっくりと俯き、首元のボタンを操作するとボディスーツを解除した。
「そ……それは……できま、せん」
エマは怯えていた。
かすかに、しかし確かにその身体が震えている。
だがその瞳は。
逸らすことなく、揺らぐことも無く、まっすぐにカナを見据える。
腰の後ろからアンプルを取り出すと自分の首筋に突き付けた。
「私たちはただ、みんなを救いたいんです」
ピストンが押される。
薬液が注入される。
どうしてわざわざボディスーツを脱いだのか――と思えば、その答えはすぐに表れた。
「わ、私はダイアちゃんみたいに武器の扱いが得意じゃないんです。だから……”こっち”に頼ります」
その頭から二本の角が生えた。
体表の一部を鱗が覆っていく。
空色に塗られたネイルが鋭く伸びる。
最後に背中から翼が生えた。
「その姿は……」
「……竜のクオリア、だそうです」
こわごわと呟いた口の中に鋭い牙が見えた。
その姿はまさに竜人。
(聞いたことがある。机上では最強の一角に数えられるクオリアだって)
どのクオリアが一番強いのか、というのはこの界隈で頻繁に語られるテーマだ。
強さを競うクオリア興業においては避けられない話題ではある。
それは一般のファンだけではなく、選手側や研究者といったクオリアを扱う側でも語り草になっている。
いわく、最強のキューズは最条キリエなんだから彼女の持つ光のクオリアが最強に決まっている。
いわく、世界の法則に干渉できる時間・空間のクオリアがもっとも優れている。
いわく、いや法則がどうのとか言い出したらそんなもんどのクオリアだってそうだろうがよ、等々――――喧々諤々。
研究者の間ならともかく、雑談のネタに使うには荒れやすすぎるのでSNSや掲示板などでは半ばタブーとされている議題である。
さておき、その議論の中でたびたび話題に上がるのが竜のクオリアである。
クオリアに共通する肉体強化に上乗せして、竜の強靭な身体能力が手に入る。
さらに翼による飛行能力や自然現象を操る力など、その能力は多岐にわたる。
しかし竜のクオリアが机上でしか語られないのはなぜかと言うと、それはひとえに優秀な使い手がこれまでの歴史上ひとりとして現れていないからだ。
どこかの大会で優勝したとか、Aランクに昇格したとか、プロになったとか――そういった輝かしい実績を得た”竜”が存在しなかったのだ。
そんな風評を知っているカナは、全身に意識を張り巡らせる。
(さて、どう来る)
見る限り相手のエマという少女はあの薬液によってクオリアを外付けしている。
ならば必然、使い慣れていない。
そしてクオリアというのは例外なく一朝一夕で使いこなせるものではない。
クオリアにはれっきとした格差が存在する。
強いクオリアも弱いクオリアも、間違いなくある。
例えばサクラの持つ雷のクオリアに代表される自然現象を操る類いのクオリアは、おおむね強力だ。
しかし。
キューズの試合はクオリアの強さでは決まらない。
弱いクオリアだろうと鍛え抜いた選手が勝利を握る。そういう世界だ。
例えば黄泉川ココの思念のクオリアなどは格下相手には圧倒的な強さを誇るが、ある程度以上の精神耐性を持つ相手には能力があまり通らなくなる。
だがそれでも彼女の序列は二位だ。
よってあのエマは普通に考えれば強いわけがない。
しかしカナは一切の油断をしない。
こんなことで油断しているようでは生徒会役員は務まらないし、トップ層ではやっていけない。
彼女の人気は外見だけではなく、確かな実力に支えられている。
「――――――――か、は…………!?」
そのはずだった。
繰り返しになるが油断は無かった。
エマから視線を離すことなく、集中も切らさなかった。
なのに、真正面から突撃してきたエマの突きが直撃して――――カナは気づけばビルの屋上から投げ出されていた。