161.デストロイヤー
別に私は善人ってわけじゃない。
あの子のようにみんなを幸せにしたいとか笑顔にしたいとか、そんな大それたことは考えてない。
だけど、こんな私にも――例えば困っている人がいたら手を貸そうと思ったり、不幸な目にあっている人がいたら胸を痛めたりとか、そんな人並みの良心くらいは備わっている。
そのせいで生き辛いことも多いけど。
だけどこうも思うのだ。
こんな私を慕ってくれるあの子がいる。
ならば私は私を肯定できると。
黄泉川ココとして生まれ、黄泉川ココとして育ってきたこれまでの全てが煌めいて見えるのだと。
* * *
パラレロは油断をしない。
LIBERTYの活動における営業で企業などに売り込むときは入念に下調べをしてから臨む。
初めて使用する会場には、前日から現場入りしてステージや観客席、控室等々を細かく精査しておく。
だからこそ満身創痍のココが相手でも、容赦なく畳みかける。
ココが叩き込まれたビルを、上下に挟み込むような調子で両手をかざす。
「そー……れっ!」
ぱん、と乾いた音を立てて両手を合わせる。
するとビルに異変が生じた。
「なに……!?」
ビル内で驚愕するココの頬に汗の雫が伝う。
建物全体が揺れている。
ぱらぱらと天井から粉塵が流れ落ちてきた――その直後。
15階建てのビルが上から下に向かって潰れていく。
ぐしゃぐしゃと、まるで蛇腹を折りたたむように――しかしそれは畳むことを目的とされた立体ではなく、ただの建造物だ。
重力のクオリアによって凄まじい圧力が襲い掛かっている。
およそ数秒でビルは轟音と共に押し潰された。
「んー、逃げられたか」
完全にビルが潰れる直前、窓から小さな影が飛び出すのを目視した。
(判断が早い。さすがは最条学園の副会長サマだな)
さてここからどう処理していくか、とタカをくくっていると。
パラレロの顔のすぐ横を、砲弾のような速度で瓦礫が通過した。
「……は?」
ドン! と着弾した地点を振り返ると、瓦礫はすでに砕け散ったあとだった。
いくら派手にビルを壊したからってここまで破片が飛んでくるのか? しかも都合よく自分の居る場所にだけ。
そう考えて、嫌な予感に従ってビルの方を見ると――そこには。
「おいおいおい嘘だろ!」
無数の瓦礫がこちらへ向かってくる。
まるで大勢の弓兵が一斉に矢を放ったかのような光景だ。
しかし今回の場合弓兵は一人。黄泉川ココただ一人が、自分と一緒に投げ出された大量の瓦礫をパラレロ目がけて投擲しているのだ。
それらすべて、命中すればタダでは済まない速度。
しかしパラレロは焦りを奥に引っ込めて、広げた両手を前に向かって突き出す。
「だが私には通用しないぜ!」
パラレロは自分の周囲に重力場を発生させる。
飛来した瓦礫は近づくそばから壁にでもぶつかったかのように急降下し、地面で玉砕した。
「あっぶなかったぁ……さて、あいつはどこに落ちたかなっと」
「私はここよ」
足音がした。
気がついたらココが前方に着地していた。
ぶわ、と嫌な汗が噴き出す。
(……待てよ、まさかあそこから跳んできたのか? この一瞬で?)
自分は何を焦っている?
重力のクオリアという強力な異能を得た。
向こうは消耗しきっているだろう。その上さっきの瓦礫流星群――相当に体力を費やしたに違いない。
それなのに、どうして気圧されている。
「……なんだよお前、わけわかんないぞ。ほんとに人間かよ」
「当たり前でしょう。これでも学園都市十二年目なのよ。毎日毎日バカみたいに訓練を繰り返してればそれなりに強くはなれるの」
口調こそ冷静だが、その息づかいは荒い。
間違いなく疲労困憊だ。
もし軽く突き飛ばされたりすればそのまましばらく立ち上がれなくなりそうな有様で、しかし確かな足取りで近づいてくる。
「……どうしてそんなに頑張るんだよ。意味わかんないぞ。努力なんて報われるかわかんないし、逆に馬鹿にされたり……理解されなかったりもするだろうに」
「知らないわよ。私にとって訓練なんてただのルーティーンだもの。朝起きて顔を洗ったり、ごはんを食べたり、学校に行ったり、お風呂に入ったり、スキンケアしたり――そういうのと変わらない」
照れ隠しや謙遜ではなくただの事実としてココは述べる。
焦がれるほどの理想や夢のためにそうしているわけではなく、ただそうすることが当たり前になっているだけ。
ただ、最初は違った。
「……まあ、私のクオリアは厄介なものだから、学園都市に来て何年間かは完璧にコントロールするために必死こいて努力したけど。その時に習慣づいたってことよ」
思念のクオリア。
人間の心をいかようにもできるその力が周囲に与える影響は大きかった。
その力そのものではなく、思念のクオリアが持つ脅威は大勢から疎まれるものだった。
友だちは離れていった。ココの力を知っている者は誰も近寄らなくなった。
信頼を預けるべき教師だってその笑顔の裏に嫌悪と畏怖を隠していたし、それくらいはクオリアを使わずとも肌で感じた。
だから力を磨いた。
自分は安全なのだと。
あなたたちに危害を加えるようなものではないのだと。
(まあ、特に意味は無かったんだけど)
当時は悲しかったが、特に気にしていない。
もともとそこまで人当たりの良い方ではなかったし、今では理解者もいてくれる。
だから、いい。
「……そうか」
パラレロはそこで軽薄な態度を潜め、奥歯を噛みしめた。
悔しそうに、悲しそうに。
「だとしても、私たちだって引けない。あの人を殺した学園都市を許せない!」
轟音が響いた。
瞬間、ココを中心に道路が陥没した。
凄まじい重力場が働き、範囲内の全てを押し潰さんと荒れ狂っている。
だが――――その結果、目を剥いたのはパラレロのほうだった。
「な……おい待てよ、どういうことなんだお前……なんで倒れない!?」
パラレロが発生させたのは範囲内の物体の重さを数百倍にする重力場だ。
例えクオリア使いだとしても、立っていられないどころか潰れて死にかねない。
だが、ココは立っていた。肩で息をしながら、二本の足で。
「……なんで? 愚問ね」
ズン、と低く重い足音がした。
ココが前に一歩踏み出した音だ。
「私は最条学園生徒会副会長。そして学園都市で二番目に強いキューズなのよ。これくらい出来ないで、どうして他の子に示しが付けられるの」
少しずつその足取りは確かなものになっていく。
一歩ずつ、一歩ずつ。確かに距離を詰めて、今にも走り出しそうだ。
パラレロは身体の芯から震えあがるほどの恐怖を生まれて初めて感じた。
(――――こいつは止まらない)
十二年醸成されたクオリアによる肉体強化は常軌を逸した倍率に達している。
重力場では潰すことができない。
パラレロはすぐに冷静さを取り戻し、対処法を探し出す。
重くしても無駄なら、逆にすればいい。
「なら空の果てまで飛んでいけ!」
重力場の性質を切り替える。
重くするのではなく、軽くする。
放っておいても浮かび上がってしまうほどに。
「…………!」
ココは目を見開く。
パラレロの目論見通り、ココの身体はゆっくりと浮遊を始めた。
物理的に足がかりが無く、抵抗ができない。
元から軽い少女の身体はなすすべなく浮かんで、際限なく高度を上げていく――普通なら。
「がッ!?」
突如起きた衝撃。
胸元を巨大なハンマーでぶん殴られたかのような――事実胸部装甲に亀裂が走っている。
(な、んだ……? なにが起きた!?)
混乱する思考ではクオリアを扱えない。それが強力で複雑なものならなおさらだ。
ココを空へと打ちあげようとしていた重力場は消滅した。
「拳圧」
着地したココは静かに述べる。
拳を振るったことで生まれた空気の砲弾でパラレロを穿ったのだと。
圧倒的なフィジカルが可能にする、素手による超高威力遠距離攻撃。
その華奢な肢体には鬼神のごとき剛力が宿っている。
「あなたたちがどんなつもりか、何を背負っているのか、そんなことはどうでもいい。興味も無い」
そこまで寄り添おうとは思わない。
ああ、しかし――サクラなら、こんな相手も理解したいと歩み寄るのだろうが。
「私はただあなたたちを倒す。計画を止めて、しかるべき報いを受けてもらう」
「……勝った気か?」
地を這うかのような低い声だった。
パラレロと相対した当初のおちゃらけた印象を完全に払拭するほどに情念の籠った声。
「こんなことが間違ってるなんてほんとはわかってるのさ。それでも私たちには叶えたい夢がある。手足が千切れたって、心臓が破裂したって、首が飛んだって――な」
重力場がパラレロを中心に広がっていく。
凄まじい重圧にココは顔をしかめ、周囲の地面は砕け、建物は崩れ去る。
昂るパラレロの感情に呼応して、クオリアがその出力を上げているのだ。
「だからお前に負けるわけにはいかないんだ!」
重力が切り替わる。
先ほどと同じ、方向は上向きに。
ココの足が大地を離れ――さきほどと同じように拳圧で対抗しようと拳を握る。
だが、それよりも早くパラレロがさらなる重力を発生させた。
「ああああああああッ!」
重力の中心は、黄泉川ココ。
建物が破壊されたことで周囲に散らばった無数の瓦礫がココへと殺到しまとわりつく。
ゴッ、ゴッ、と激突するたびに鈍い音が響き――いつしかそれは空中に浮かぶ巨大な惑星の形を作った。
「はあ、はあ……これで……どうだ」
頭が痛い。
リミッター無しでの無理なクオリア行使がパラレロの肉体に負担をかけているのだ。
それでもパラレロは力を維持し続ける。
こうして瓦礫に閉じ込めただけではダメだ。このまま圧死させるために、重力をどんどん強くしていく。
ぎちぎち、がりがりと瓦礫同士がこすれ合いながら惑星の中心へと身じろぎをする。
最悪でもあの怪獣が全てを破壊し尽くすまで留めることさえできれば――と。
自らの身を粉にする覚悟を決めた瞬間。
惑星が爆発した。
「…………は」
ココは何事も無かったかのように着地する。
あの状況では拳を振るうどころか、それこそ身じろぎだって難しかったはずだ。
膂力のみであの惑星を脱出したとでもいうのか。
疲労困憊で、戦うことすら難しいはずなのに。
「使い始めにしては悪くない。だけどやっぱり細部のコントロールが甘いわ。付け焼刃の力と練り上げられた力なら後者が勝つに決まってる」
「……それが努力ってやつか」
「そう。生きていくなら一生ついて回るやつよ――まあ、こんな大それた事件を起こしたあなたたちにはわかってるでしょうけれど」
激しい頭痛の中、それでも最後のあがきとして重力場を発生させる。
しかしココは涼しい顔でこちらへと歩いてくる。
すごいな、と心の底からの感嘆が溢れ出た。
「頼みがあるんだけど、いいかな」
「内容による」
「はは……あのさ、できれば痛くしないでくんない?」
「無理よ」
ゴッ。
見えない速度の拳がパラレロの顔面を打ち抜き、遅れて鈍い音がした。
ぐらりと身体が傾ぎ、そのまま倒れる。すでに限界が近かったらしいボディスーツはその亀裂を広げ、粉々に砕け散った。
「目いっぱい手加減してもこれだもの」
敵を倒し、ココはその場にゆっくりと座り込む。
身体中痛くて、両手はもうずたぼろだった。
「休みたい……」
普段から凛とした振る舞いを崩さない黄泉川ココ。
しかし、さすがに今日に限っては弱音のひとつも吐きたくなってしまった。