159.オンステージ
お姉さんはどうして死んだんだろう。
どうして死ななければならなかったんだろう。
目も眩むほど高いドームの天井を見つめて、そんなことを思う。
私たちみたいな年下の子にも優しく接してくれたお姉さん。
笑顔以外の表情を、たぶん見たことが無い。それくらい温かい人柄で、一緒に居て安心できる人だった。
私たちがどんなにはしゃぎまわっても見守ってくれていた。
ボール遊びをしていて近所のおばあちゃんの鉢植えを割っちゃったときには私たちの前に立って謝ってくれた。お姉さんは何も悪くないのに。
『もし私が優しく見えるんだとしたら、それは■■ちゃんが優しいからだと思うな』
お姉さんは私にとって――ううん、私たちにとって尊敬の対象だった。
こんな人になりたいっていつも思ってた。
だからずっと一緒に居てほしくて……でも、ある日お姉さんは学園都市に向かうことになった。
クオリアの素質があるみたいだから、キューズになるのだと言っていた。
別れは辛かったけどお姉さんのために一生懸命送り出した。
送別パーティも開いた。できる限り楽しく学園都市に向かってほしかったから。
最後は私たち四人が泣いてしまったけど、お姉さんも泣きながら笑っていた。
『いつか私が帰ってきたら、また遊んでね』
そう言ってこの町を出て行ったお姉さん。
私たちは決めた。
お姉さんが遠く離れた場所でも一人ぼっちにならないように――有名になろうと。
私たちの声を届かせて、お姉さんを応援しようと。
だから私たちはアイドルに――――いや。
違う。
私たちがアイドルを始めたのは。
たったひとつの目的のためだ。
* * *
纏雷による全速力でもってたどり着いたドーム。
セントラル・スタジアム――その会場に足を踏み入れると同時、照明が一斉に空間を照らした。
「……っ」
眩しさに目を眇める。
真っ白な光の向こう、会場の中央にはひとつの人影があった。
メカニカルなボディスーツに身を包んだ人物だ。
錯羅回廊やエリの件、通り魔事件で暗躍していた謎の少女。
アンノウンと呼ばれた何者かが佇んでいた。
上がった息を整える。
だが、走ったのとは別の理由で心臓の鼓動は治まらない。
少しだけ迷う。ここでそれを確かめてしまえば心に乱れが生じる懸念があった。
しかし、
「LIBERTYのひとですか」
広い空間にサクラのか細い声が反響する。
その真実を知っていながら、確かめないという選択肢は選べなかった。
サクラにとっては最近知ったばかりのアイドルグループであり、同時にどん底の自分を救ってくれた少女たちだ。
もし叶うなら、ネムの語った真実が嘘であってくれと願うばかり。
だがここは現実だ。
血も涙もない”現実的”な法則が支配する世界。
アンノウンは静かに喉元へと指を当て、わずかに圧迫する。
すると炭酸が抜けるような噴出音の後、ヘルメットが展開して中身を覗かせた。
「こんな形で……再会したくは無かったな」
「…………あたしもです」
ウルフカットが広がる。中性的な整った顔を無表情に固めている少女は――――ダイア。
LIBERTYのリーダーであり、メンバーで最もサクラとの交流が深く、その言葉には幾度も助けられた。
サクラは思わず奥歯を噛みしめる。
「どうしてこんなことをしたんですか。目的は何なんですか」
「学園都市を滅ぼし、キューズ興業を潰す。これで満足か?」
心臓が鼓動を早める。
スケールの大きさに頭がついていかない。
そんな大それたことをしでかすまでに至った理由がサクラには想像できなかった。
「ダイアちゃんはそんなことするような人じゃ……」
「残念だが私はそんなことをするんだ。他人の心をわかったような気になるなよ」
ダイアは冷たく言い放つと、首元に触れてヘルメットを再装着した。
もう彼女の気持ちを読み取ることは叶わない。
間違っていたのだろうか。
これまでの暗躍と今回の事件を考えると、ダイアは本当は悪人で、サクラに見せていた顔は全て嘘だった。
そういうことなのだろうか。
「前に錯羅回廊であたしを殺そうとしたのは、ダイアちゃんですか」
「……そうだ」
「エリちゃんがポケットで消えるよう誘導したのも」
「そうだ」
「ハルちゃんを襲ったのも」
「そう。全て私だよ、サクラ」
まるで機械のようにダイアは答える。
信じたくなかった。
サクラにとって宿敵、仇とも言える相手がダイアだなんて――しかしその現実から逃げることは許されない。
「通り魔事件は他のメンバーに攪乱してもらって私が本命の柚見坂ハルを仕留めた。その後お前が追ってきたことには驚いたけどな」
ドン、とスタジアムが揺れる。
遠くで怪獣とキリエが繰り広げている戦いの余波が伝わってきているのだ。
「できることなら怪獣が学園都市を破壊し尽くすまで錯羅回廊に引きこもっていたいところだったが――同じ空間にいないと消滅してしまうそうだからな。それに距離を空け過ぎても駄目らしい」
愛や希望を語る歌を歌っていたその口が滔々と語る。
サクラはぐちゃぐちゃになりそうな頭を何とか鎮めて、長く息を吐いた。
「なら、今ここであたしが――ううん、あたしたちがLIBERTYを止めます」
「…………本当なら眠っている間に終わらせたかったんだけどな」
ダイアはどこからか刃渡り15センチほどのナイフと、アサルトライフルを取り出す。
それぞれ右手と左手に握りしめると変則的な二刀流が完成した。
通り魔事件の際、錯羅回廊の謎の階層で戦った時と似た装備だ。
だがそこに感じる気迫はまるで違う。
(あの時のダイアちゃんは逃げることが目的だった。でも今は…………)
自分を殺すために刃を握っているのだと、嫌でも理解させられる。
「どちらにしろクオリア使いも全滅させるつもりだったんだ。今ここでお前を仕留めても結果は変わらない!」
スーツに走るラインが赤く光を放つ。
戦闘態勢に移行した――サクラが構えようとしたその直前、目の前にダイアが肉薄している。
右手のナイフの刀身が鈍く輝き、その切っ先は心臓へと向かう。
「……っ!」
とっさに身体をひねり、直撃は回避する。
しかしナイフはサクラを守るはずのアーマーを素通りし、脇腹のあたりを切り裂いた。
熱の塊のような痛みを押し殺しつつ全身から放電してダイアを追い払う。
「はあ、はあ……そのナイフは……」
放電を飛び退って回避したダイアが着地する。
ナイフを振り、付着した血を払った。
「クオリアを無効化する特殊な素材で作られてるそうだ。確か――そう、『消滅のクオリア』の力を元にしているんだったか」
「は、」
腹の底から妙な息が漏れる。
消滅のクオリア。
それはエリの持つクオリアだったはずだ。
どうしてその異能が武器に転用されている?
――――空木エリ――別名、検体番号Q00002は『デザイナーズベビー』と言うべき存在です。
――――事前に用意した理想の人間の設計図の通りに”製造”された人造人間ってわけですー。
以前アンノウンが明かしたエリの真実。
そのことを考えれば、消滅のクオリア自体を作り出す技術は残っていたということなのだろうか。
アンノウンの……ダイアの持つ武器はそれに由来するものなのかもしれない。
(エリちゃん……)
彼女の力が悪事に使われている。
そのことに憤りを覚えたのもつかの間、ダイアのアサルトライフルが火を噴いた。
「ぐっ!」
とっさに磁力で弾道を逸らそうと試みる。
だが何発も放たれた弾丸はサクラの敷いた磁力を打ち消しながら突き進む。
ドッ、と衝撃があった。
右の太ももから激しい痛みを感じた途端、がくんと力が抜ける。
じわじわとジャージのズボンに赤黒いシミが広がり始めた。
弾は貫通している。しかし足を撃たれてしまってはまともに動くことも叶わない。
「悪いな。正直こういう物騒なものは使い慣れていなくてね――実戦も初めてなくらいだ」
ダイアの攻撃に対してアーマーが全く機能していない。
あのナイフと弾丸はクオリアに由来する全てのものを完全に無効化してしまうらしい。
そう考えると弾丸が貫通したのはラッキーだったとも言える。体内に埋まってしまっては一切のクオリアが使えなくなる恐れすらあるのだ。
「こんなことを言うのもなんだが諦めてくれないか? 個人的にサクラとは戦いたくないんだよ」
「諦める……?」
最近、その言葉を何度も聞いた。
病魔との戦いを諦めようとしたリッカ。
競技に打ち込むことを諦めたクラスメイトたち。
夢を叶えることで他の全てを諦めさせるネムの世界。
サクラも折れそうになった。
エリが死んだときには本当に足を止めそうになって、生きることすらも諦めかけていた。
「それだけは……聞けませんよ」
ゆらり、と立ち上がる。
がくがくと震える脚に雷を流し、そこから全身へと行き渡らせていく。
纏雷――電流によって筋肉を駆動させる技。意志によって身体を奮い立たせる力。
諦めた瞬間動けなくなってしまう。しかし諦めなければいつまでも動き続けていられる。
「ここに来たのがあたしで良かった」
「なに?」
「ダイアちゃんには感謝してるんです。あなたがいなければ、あたしはきっと前に進めなかった」
あの暑い夏の日。
偶然ダイアに出会って元気づけられたからこそ今のサクラがある。
LIBERTYの歌に勇気をもらって、サクラは悲しみに暮れることをしなくなった。
「だから、あたしがダイアちゃんを止めます。みんなを助けてダイアちゃんも助ける。それが今のあたしの夢です」
そう言い放ったサクラに対し、ダイアは音がするほどに奥歯を噛みしめる。
「……夢だとか、目標だとか、希望だとか。そんなものがあるから折れた時に立ち上がれなくなるんだ!」
ヘルメットごしにも伝わってくる、怨嗟のような叫び声。
怒りと悲しみがこれほどまでに詰め込まれた声を、サクラは初めて聞いたかもしれない。
しかし、だからこそ。
やはり彼女を止めるべきだと、決意を新たにする。
こんな悲しみに満ちた凶行は止めなければならない。
サクラは雷を迸らせ、再び戦闘態勢に入った。




