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152/208

152.Heaven


 ぞっとするほどに静まり返る街の中、四人の人影が歩いていた。

 みな一様に全身を近未来的なボディスーツで覆っており顔は判別がつかない。

 しかしその正体は人気アイドルグループ『LIBERTY』であり――この事態を引き起こした張本人たちでもある。


「”夢”は?」


「発動してる。学園都市の人間はみんなぐっすりだ」


 ダイアが手で合図をすると、傍らのエマが虚空に指で円を描く。

 するとその円――否、穴からぼろぼろと棒状の何かが数本零れ落ちた。

 それはボールペンのような細長いアンプルで、内部は透明な薬液で満たされている。インスリン注射器を思わせる代物だ。


「集まったねえ、クオリア使いからせこせこ『採取』した甲斐があったってもんよ」


「パラレロ、不謹慎よ」


「へーい」


 通り魔のような真似をしてまで街中のクオリア使いから採取した細胞……そこから生成された数々の薬液がここに集められた。

 さらにエマが虚空から取り出したのは小さめのクーラーボックスのような箱だ。蓋を開けると底は非常に浅く、いくつもの穴が空いている。ちょうどアンプルが収まる深さだ。

 ダイアはそこに一本ずつアンプルを差し込んでいく。


「ほ、本当にこれで作動するのかな」


「プロデューサーが言うにはな。ぶっつけ本番ってのは不安だけど、まあダメだったら私が責任取るよ」


 不安げなエマに、ダイアが顔を向ける。

 その顔はヘルメットに覆われて見えないが、


(きっと笑ってるんだろうな。いつもみたいに)


 三人が見守る中、ダイアは全ての穴にアンプルをセットし終えた。

 同時に箱全体が淡く輝き始め、ひとりでに浮かび上がり始めた。

 この場の全員がじっと見上げる中、ダイアはぽつりとつぶやく。


「あのさ。今まで、」


「聞きたくない」


 ヒストの冷たい声が割り込んだ。

 しばし呆けていたダイアだが、音も無く肩を揺らして笑う。


「……だよな。じゃあこの場所もそろそろ危ないし、とりあえず解散!」


 その宣言と同時、四人は別々の方向へ走り去った。

 箱は輝きを増し、その高度をどんどん上げていく。

 そのまま地上およそ40メートルほどに達したところで、ぴたりと止まった。


 途端、箱が蠢く。

 無機物から有機的なゲル状の塊に変貌し、ぐにゃぐにゃとその輪郭を崩し、みるみる肥大化していく。

 まず形成されたのは脚だった。太く強靭で、まるで太古に生きた恐竜にも見える。

 次は胴体。両腕。頭部。体表面はごつごつとしていて、しかし爬虫類のようでもある。

 その巨体は見る者が見ればこう表現しただろう――怪獣、と。


 ズン、と一歩。

 それだけで踏み込んだ道路が割れ、立ち並ぶ自動車が1メートルも跳ねた。

 

「――――――――ガアアアアアァァァァ!!」


 眠る街に咆哮が轟く。

 そしてその口内が赤く輝くと――膨大な熱線を吐き出した。

 大地が抉れる。建物が吹き飛ぶ。大気が焼ける。

 それは破壊だった。破壊そのものだった。

 

 現実に現れた怪獣が、学園都市を滅ぼそうとしていた。

 フィクションと違う点を挙げるとするなら――今この街に、ヒーローは現れていない。



 * * *



 あたしは正直言って頭が良くない。

 深く考えようとするほど頭の中がごちゃごちゃしてくるし、一学期の期末だっていくつも赤点を取った。

 最条学園にいられるのだって先天的にクオリアに覚醒してたから――ネイティブだったから入試をスキップさせてくれただけ。

 

 だけどこんなあたしにもわかることがある。

 それは、今のあたしが現状から逃げているということだ。


「ねえサクラ、最近学園の近くにオープンしたカフェが気になってるんだ。一緒に行かない?」


「いいですね! あたしもエリちゃんと行きたいです!」


「ちょっとサクラ、あなたはわたくしの恋人でしょう。どうして空木さんを優先しますの?」


 朝の教室で繰り広げられる何の変哲もない会話。

 みんな、この状況を当たり前に受け止めている。

 おかしいのは世界とあたしだけ。

 

「サクラちゃんおはよう。先週出されてた宿題やって来た?」 


 宿題なんて知らない。

 あたしの知る最条学園にはそんなものありはしない。

 この世界にはクオリアが存在しないらしい。さっき気づいたが、あたし含め誰もリミッターを着用していない。

 この学園も名前が『最条学園』であるだけで、どこにでもある平凡な高校になっている。そもそもここは学園都市なんだろうか。

 私に備わっているはずのクオリアも、その気配を完全に消失してしまっている。 


 それにハルちゃんの態度もおかしい。

 ハルちゃんはあたしに怒ってたはず。こんなふうに何食わぬ顔で話しかけては来ない。

 あの時生じた軋轢も、無かったことになっているらしい。


「あ……ハルちゃん。えっと……あはは。やってきてないかもです」


 動揺から返答が頼りなく揺れると、それを目ざとく聞きつけたエリちゃんとアンジュちゃんがきらりと目を光らせた。


「じゃあ私が見せてあげる。私たちは友達だから遠慮なく頼っていいよ」


「それを言うならわたくしの宿題の方がぜーったい出来が良いですわ!」


 ばちばちと火花を散らす二人にハルちゃんがくすくすと笑って『いつもと変わらず賑やかだね』と零した。

 変わらない? そんなはずはない。この世界はおかしい。

 だけど、あたしはこの光景を幸せだと思っている。

 この世界はきっと誰も傷つかない。あたしが誰かを傷つけることもない。


 あたしはずっと自分が許せなかった。

 今もそれは変わらない。そのはずだった。

 しかし今のあたしは間違いなく逃げている。目の前の問題から目を逸らしている。

 そんなあたし自身が許せないという気持ちは、今も胸を焦がし続けている。


 だけど、無理だ。

 どれだけ幸せでも、普段のあたしなら跳ねのけられたと思う。

 こんなのは間違ってるって叫べたと思う。

 

「でも、無理だよ」


 ぽつりと落とした呟きに、「サクラちゃん?」と覗き込んでくるハルちゃんへ向けて「何でもないですよ」と笑った。たぶん笑えたと思う。

 そう、無理なのだ。

 エリちゃんが生きて、目の前で楽しそうに笑っている。

 それだけはどうしても否定できない。

 間違ってるなんて言えない。

 あたしにそんな権利はない。


 エリちゃんを救えなかったあたしには。

 この幻想から逃れることなどできはしない。



 * * *



 訓練の無い日というのは久しぶりで、若干の座りの悪さがあった。

 それでもエリちゃんやアンジュちゃん、ハルちゃんと過ごす放課後は楽しくて(アンジュちゃんは少し不満そうだったけど)明日からもこんな日々が待っていると考えるだけで自然に頬が緩む。


「……ふふ」


 自室のベッドに座り、今日撮った写真を見つめる。

 喫茶店で注文したカフェオレのタンブラーを手に持ち、めいめい笑顔を浮かべている。

 あたしもみんなも楽しそう。


「今日みたいな日が明日も明後日も、その次も……ずっと続けばいいのにな」


 自宅に帰ってから生徒会の腕章が無くなっていることに気づいた。

 クオリアが無いこの世界では、あたしが生徒会に入ることもないからだろう。

 それでいいのかもしれない。


 錯羅回廊なんてわけのわからない場所は無くなった方がいい。

 ここは安全だ。誰かが傷つくことも無く、不幸になることも無い。

 他人と自分を比べたり比べられたりすることも無い。

 完璧な世界。夢のような世界。

 

『それでいいって、本気で思ってるんですか?』


「ひゃあ!?」 


 飛びあがった。

 誰もいないはずの部屋に、誰かの声が響く。

 

「な、なにこれ……?」


 いつの間にか目の前に虹色の陽炎が揺れていた。

 輪郭は曖昧だけど、人型に見える。

 背丈はあたしと同じくらいで、ベッドに座っているあたしを見下ろしている――ような気がした。


『この世界の日常はいつか途切れますよ。ここは偽りのモラトリアム……いや、それにも劣るかもしれませんね。後で処分するものを入れておくシンクのネットみたいな感じかも』


「何を言って……」


『またわからないふり?』


 その声は聞いたことが無いはずなのに、どこか馴染みがあって――しかし受け入れ難い響きを持っていた。

 

『はっきり言っていいですか』


「…………」


『黙ってるなら続けますね。現実は今、大変なことになってます。このままだとたくさんの人が死んじゃうんですけど、いいんですか?』


 どくん、と心臓が脈打つ。

 彼女の口にしたその状況は信じがたいものだった。

 だが嘘だと切り捨てるにはあまりにもこの状況は異様だ。


『もっと言うとですね――この状況をどうにかできるのは、あなただけ』


「あたし……だけ?」


『そう。そもそもこの世界でまともなのは君くらいですからね。例外もいるみたいですけど。つまりどういうことかというと、あなたが動かないと全員不幸な目にあっちゃうってことです』


「あたしのせいで……」

 

 陽炎が揺れる。

 今にも消えそうだ。

 こうしてあたしに干渉できてること自体、かなり無理をした結果なのかもしれない。

 だけど。


「……無理ですよ」 


『ん?』


「あなたの言ってることはわかります。わかってるんです。でも」


 目の前がぼやける。

 脳裏に浮かぶのはエリの笑顔だった。

 死んで、世界から存在ごと消えたあの子はこの世界で生きている。

 どれだけおかしな世界でもそれを否定することはできない。


 両手で顔を覆う。

 頼りない手だ。自分の視界を塞ぐくらいしかできない、弱い手。


「できません……あたしにこの世界を壊すなんて」


 消え入るような声でそう言うと、陽炎があからさまに失望したのを感じた。


『ふーん、そう。なるほどね。そうやって何かのせいにして逃げるんですか。そういうの――あなたが一番嫌いなことだったんじゃないかと思ってたんですけどね。自分の力で親友を傷つけたことを呪い続けたあなたにとって』


「…………っ」


 反論できなかった。

 そうだ。今のあたしは逃げている。

 現実から目を背けている。

 

 だけど、どうすればいいのだろう。

 この世界を否定する勇気がどうしても湧いてこない。


『あれ、そろそろ時間切れみたいですね』


 陽炎が揺らめく。

 薄れていく。

 今にも消えてしまいそうで――あたしは、早くいなくなってくれ、なんて考えてしまう。


『まあ、心配しなくていいですよ。限界が来たらあたしがあなたに成り代わってどうにかしますから』


「成り代わって……?」


 代わって、ではないのか。

 言い回しに違和感を覚えたが、その意味はすぐに語られる。


『言葉通りですよ。あたしがあなたの身体の主導権を得て事態を収拾する――きっとみんな救われます。良かったですね。ただその場合あなたは二度とあなたという存在を取り戻せなくなりますけど』 


「何を……」


『あたしならもっとうまくやれます。あなたの周りの子たちを篭絡して、絡めとって、甘い毒牙で突き刺して――あたし無しじゃいられなくしてあげられる。それが嫌なら、明日を生きていたいなら』


 自分で頑張ってください。

 そう言い残して、陽炎は跡形も無く消え去った。

 その瞬間緊張が解けたのかどっと疲れが襲ってくる。


「はあ……」


 力尽きてベッドに横たわると身体の重さを感じる。

 この世界は、長くは続かない。

 それにこのまま過ごしていてもあの陽炎にあたし自身を乗っ取られる。


「う…………うううううぅぅぅぅぅ!!」


 布団に身体をうずめてうめき声を上げる。

 だけど、そんなことで世界は変わらない。

 夢のような日常は崩れたりしない。


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