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15.再度開く錯羅への扉


 南校舎の屋上に、直径3メートルほどの球状の水塊が浮かんでいた。

 その中で漂うミズキは口の端から盛れる小さな泡の連なりをじっと見つめる。

 弧を描く水面を透過した光が揺らぎ、瞬く。スイミングスクールに通っていたころ、時折水に潜ってこの光景を眺めるのが好きだった。どんな宝石箱よりもきれいに見えたから。

 そのことを周りに理解を得られない中、唯一同意してくれたのは総谷アケミ先生だった。

 

(あー……)


 しょっくー、と呟いた声は水中では音にならず。泡となって浮かび、弾けて消える。

 このままこうしていたら死んじゃうのかな、なんてぼんやり考えていた時だった。


「がぼっがぼごぼぼぼぼばぁ!!」

 

(!!?!!?!?)


 突然侵入してきた誰かの顔に仰天したミズキが思わずクオリアを解除すると、水塊は弾けて跡形もなく消えた。

 ミズキが器用に着地すると、目の前には息を切らせたサクラが四つん這いになっていた。


「な、なにやってるの? やめといた方がいいよ、地上でスキューバするの」


「ふぇふ……げっほ! げほげほっ!」


 人語を失っている。

 まあまあ深刻そうなのでしばらく背中をさすってやると、ようやく人並みの呼吸ができるようになったらしく、ふらふらと立ち上がった。


「げほっ、最初ミズキちゃんが溺れてると思ったんですけど、すぐに呼吸できてるって気づいて……」


「うん」


 確かに水塊の中に入ってから少なくとも数分は経っていた。

 いくらクオリアで身体が強化されていると言えども、そこまでの時間を平然と無呼吸で過ごせるほどの肺活量は無い。


「じゃあ中で息できるタイプの水なんだって思って顔を突っ込んだら……溺れました……」


「ええ……無いよ息できるタイプの水……」


 自分で出した水の中ならしばらく呼吸ができるのが水のクオリア使用者の特権だが、裏を返せば水は水なので他者が呼吸することはできない。

 

「勘違いさせちゃってごめん。でも、どうしてサクラがここに?」


「ミズキちゃんが泣きそうな顔をしてたから」


 その強い眼差しに、思わず言葉を失う。

 この子は少し話したくらいのクラスメイトのために、教室を飛び出して来てくれたのだ。

 ささくれだった心が少しだけ鎮まるのを感じる。


「……そっか」


 ミズキはぽつりと呟くとその場に座り込む。

 サクラも少し迷って隣に腰を下ろした。


「お互い、補習サボっちゃったね」


「どうしましょう、勢いで飛び出してきちゃったけど先生怒ってますよね」


「あとで謝らなきゃね。……あのさ、聞いてくれる?」


 見上げると雲一つない青空。

 ミズキの横顔は、まるで昔持っていたおもちゃの宝石箱を開けるような、慈しみと寂寥が混ざり合ったような色を帯びていた。

 そんな不思議な色合いを見つめながら、サクラはこくりと頷く。

 

「さんきゅ。アケミちゃんと私は昔近所に住んでてね……昔? あー……昔って言ってもそんなに昔じゃなくて、アケミちゃんが就職するまでだったんだけど」


 拙い話口調は、おそらくひとつずつ整理しながら話そうとしているからなのだろう。

 普段は何というか、適当な話し方なので、それだけ彼女にとって大切な話なのだとわかった。


「私の親は共働きだったから、よくアケミちゃんに遊んでもらってたんだ。あれだよ、幼馴染ってやつみたいな」


 どこか遠くを見つめるミズキは、そのころに想いを馳せている。

 今でも大切に抱き続けている思い出。ミズキの根幹。


「でも、何年か前にミズキちゃんが学園都市に就職するって聞いてさ。教師になるって……私そんなの全然聞いてなくて、随分駄々こねて困らせたっけ」


「ミズキちゃんにもそんな頃があったんですね」


「あるよー、ロリ時代だもん。……で、お別れの日にさ、私は言ったんだよね。いつかアケミちゃんのいる学校に入ってすごいキューズになるって」


「それが、約束……」


「指切りげんまんまでしたんだけどなあ……アケミちゃん、忘れちゃったのかなあ」


 もう三年以上前のことだ。

 三年という月日は、なにかを忘れるのに長くもないが、短くもない。

 

 サクラがキリエを見てキューズを志したように、ミズキがこの街に来た理由は先生との約束。

 その約束があったからこそ、あれだけ訓練に励んでいたのだろうか。


「もう一度話してみませんか? そうしたら思い出してくれるかも」 


「でも、もし思い出してくれなかったら? アケミちゃんにとっては、もしかしたら取るに足らない口約束だったのかもじゃん。怖いよ」


「それは……」


 何も言えなかった。

 サクラは二人のことをまだよく知らない。

 忘れてしまったと言われれば、そうかもしれないと思ってしまう。

 だが、それでも二人の間に何も無かったと思いたくはなかった。

 

「ミズキちゃん、あたしは」 


 サクラが口を開こうとしたその時。

 ミズキの姿が、虹色の陽炎のごとく揺らいだ。


「え?」


「アケミちゃんとの約束のためだけに都市(ここ)に来て、頑張ってたのに……そりゃ授業中寝たりとかしたけど」


 俯くミズキは気づかない。

 むしろ、その意識はどんどん内側へと潜っていくようだった。


「……これから私、何のために頑張ればいいんだろう。もう……わかんないよ……」


 その言葉が引き金になったのか。

 突如としてミズキの座る床に大きな穴が空いた。

 ミズキの姿がさらに揺らぐ。ぎゅるりと渦を巻き、穴へと吸い込まれていく。


「ミズキちゃん!」


 サクラは思わず手を伸ばす。

 しかし指一本触れることは無く、ミズキは穴の下へと姿を消した。

 呆然と大穴を見下ろす。ここは屋上だ、仮に穴が空いたとして、下は五階部分のはず。

 

 だが、そこから見えるのはどこか開けた空間を渦状に歪めたような景色しか映ってはいない。

 少なくとも五階の廊下ではなかった。


「これって前に見たことある……」


 似た現象をサクラは知っている。

 入学式の夜、ハルが錯羅回廊(さくらかいろう)へと迷い込んだときだ。

 どうしてこんな現象が起きたのかはわからない。頭をよぎるのは、会長の話だ。


 錯羅回廊。

 この学園都市に存在する異空間(ダンジョン)

 適性のある者しか入れず、その中には人間に殺意を向けるモンスターが生息している。

 今すぐ生徒会役員に連絡すべきかもしれない。彼女らは例外なく適性持ちだからだ。


 しかし。

 

「今行きますっ!」


 一も二も無い。

 考える前にサクラはその穴へと飛び込んでいた。

 モンスターの存在を考慮すると、引きずり込まれたミズキが危ない。いくら彼女が強くても、ハルのように気絶しているかもしれない。

 

 それに。

 ミズキが学園都市に来た理由を持つように、サクラもまた理由を持つ。

 人のため。誰かの救いになるためにこの力を使うと、あの時決めたのだ。


 穴を通る瞬間、一瞬だけ粘膜のようなぬるりとした不快感。

 直後にそれを抜けると、あたり一面に快晴の空が展開した。


「ちょちょちょちょ!!」


 落ちている。

 穴を抜けた先は空中だった。

 重力に従って自由落下――パニックになりそうな心を必死に抑えつけ、迫りくる地面に対してしっかりと両足を向けた直後、衝撃が襲う。


「いっっっったー……」


 着地成功。

 クオリアによる肉体強化が無ければ骨折だった。

 そこまでの高度でなかったのも幸運だったかもしれない。


 周囲の景色は何の変哲もない住宅街だ。

 少なくともハルと迷い込んだグロテスクな洋館とは一線を画している。

 だが、空中のあちこちから大量の水が滝のごとく流れ落ちているのが異様と言えば異様だ。

 足元の冷たさに目をやると、くるぶしほどの高さまで水が張っている。


 どこを見ても水、水、水。

 その光景に、サクラはミズキを想起せずにはいられなかった。

 水のクオリアの使い手である彼女を。


「う、サクラ……?」


「あれ、ミズキちゃん!? 無事みたいで良かっ……無事ですか?」


 ミズキはサクラのすぐそばに倒れていた。

 声に覇気がなく、どことなくぐったりしているように見える。


「うん、一応ね……。ていうかここどこ? 私が住んでたところにそっくりなんだけど」


「それってどういう……」


「……! サクラ危ない!」 


 初めて聞いたミズキの大声。

 しかしそれに反応する間もなく、突然の爆発にサクラたちは吹き飛ばされる。


「かはっ!?」


 あまりの衝撃に激突した塀が砕けた。

 サクラは瓦礫の上に横たわりながら、眩暈のする頭を起こす。


「なに、が、起こって」


「サクラ、あれなに……?」 

 

 同じく倒れたらしいミズキが空を指差す。

 その先には、謎の生物がゆっくりと飛行していた。


 それは空飛ぶシャチのように見えた。

 距離が離れていて正確なサイズはわからない。しかし間違いなく一般的な大きさではないだろう。

 しかし異様なのはその身体を構成するパーツだ。無数の人間の指が絡まり、折り重なるようにしてシャチの輪郭を形作っている。 


 そして身体のあちこちには砲門やミサイルなどが取り付けられている。さっきの爆発はあれによるものだろうか。

 その姿はまるで空飛ぶ戦艦のようでもあった。


「どうしようサクラ、クオリアが使えない」


 振り向くとミズキは手を広げてクオリアを使おうとしている。

 だが何も起こらない。水を自在に操る彼女の能力が、今は効果を失っているようだった。

 

 何故かはわからない。

 しかしあのモンスターやこの空間と無関係とは思えない。

 サクラはゆっくりと身を起こし、ミズキをかばうように立つ。


「……大丈夫! あたしに任せてください」


 空中のシャチがこちらを睨み付ける。

 その殺意に怯まず見据えながら、サクラは強く手を握りしめた。


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