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142.ラスト・レポート


 最条学園に一般的な学校と同じような、いわゆる『夏休みの宿題』は無い。

 例えば大量の問題集だとか、読書感想文といったものは一切出されない。

 学園都市で頂点に君臨するキューズ養成校であり文武両道を重んじる最条学園にとって、学業は”できて当たり前”のものだからだ(筆記試験をスキップしたサクラには必要かもしれないが)。

 それはさておき夏休み明けに唯一提出しなければならないものはある。


「レポート……忘れてた……」 


 ローテーブルに置かれたまっさらなレポート用紙の束を前に、サクラはぐったりと突っ伏した。

 最条学園が生徒に課す唯一の夏季課題、それは夏休み中のキューズ活動についてのレポートだ。

 どんな訓練をしたか。どんな大会に出場し、どれだけの結果を残したか。クオリアはどういう風に、どれくらい成長したか。

 それ以外にもSNSでの活動など様々な内容を詳細に記載し、今後の展望などを書いて出さなければならないのがこの『夏休みレポート』である。

 必要とされる文量も多いので、できる限り普段から書き進めていくのが望ましいのだが……。


「いろいろあったもんなあ……」

 

 忙殺されたことである程度目を背けることはできたが、やはり夏休み開始直前の出来事がすべての発端だった。

 友人の空木エリを失い失意の底に沈んだサクラはそれからしばらくまともに動けなかったのだ。

 周囲の人、主に生徒会副会長の黄泉川ココのおかげで何とか立ち直ることはできたものの、今も思い返すだけで胸がずきずきと悲鳴を上げるくらいには引きずっている。


 それ以外には学園都市に広がる異空間――錯羅回廊での異変へ対処に当たったこともあったが、錯羅回廊に関することは秘匿事項とされているのでレポートには書けない。

 

「他に書けることは……ん~、いろいろあるけどどう書いたらいいかわかんないよー!」


 そもそもサクラは読書感想文より長い文章を書いたことが無い。

 それにしたって作中の文章を引用しまくることで字数を稼ぎ、ぎりぎり既定の原稿用紙二枚半に届かせたようなものばかり。

 今回のレポートに関してはそうもいかない。それなりの水準が求められるので、単純に内容だけでなく構成まで求められる。

 高校生にさせることではない、と生徒からは毎年不満が上がるのだが、これが最条学園の生徒に求められるレベルだというのが学園側の見解だ。


「あと三日……」  


 本日の日付は8月29日。

 始業式の日には発表もしなければならないので、提出できなければ晒し首である。

 その上二週間もの補習が課されるので普段の訓練も滞る上、九月に開催される学内戦への出場権まで剥奪されてしまう。

 

 なので、提出を諦めるという選択肢は存在しない。

 しかしどう取り掛かっていいのかもわからない。

 こうしている間にも秒針は止まってくれないのだ。


「よし、誰かに頼ろう」

 

 背に腹は代えられない。

 スマホを取り出しSIGNを開く。次に問題になるのは誰に助けてもらうかだが――一番の友人である柚見坂ハルの名前をタップしようとしたところで指が止まる。


「…………」


 じーわじーわじーわじーわ、と蝉の鳴く声。

 ぽたりと頬を伝った汗がテーブルに落ちて雫の半球を作り出した。


 サクラはハルのことが好きだ。

 そのことを自覚したのはつい最近である。

 合宿の前にも偶然鉢合わせたところ、どう顔を合わせて良いのかわからず逃げ出してしまったくらいには、ハルとの接し方に困っている。


 夏の暑さだけでは無い熱がサクラの頬を赤く染めていく。

 ありていに言ってしまえば、顔を合わせるのが恥ずかしいのだ。好きゆえに避けてしまうのだ。

 

「い、いやそんなこと言ってる場合じゃ……でもでも……」


 レポートを済ませなければならないという気持ちと、ハルに会うのが恥ずかしいという気持ちがサクラの心を左右から揺さぶってくる。

 そんなふうにゆらゆら揺れていると、脳裏に悪魔のささやきがこだまする。


『呼んじゃいなよ! レポートも進むだろうし、ワンチャンあの子とも距離が近づくかもしれないでしょ?』


 一理ある。あるが、それだけでは決めかねる。

 往生際悪くうんうん唸っていると、今度は反対側から天使の囁きが聞こえてきた。


『そうですよ、ずっと避けてるわけにもいかないしレポートのこと抜きにしたって二学期が始まったらどうせ毎日顔を合わせるんですから!』 


 悪魔と天使の意見が一致していた。

 最初からサクラの頭の中には呼ばないという選択肢は無かったらしい。

 ぷるぷると震える指でハルとのチャット画面を開く。

 

「ふぬぬぬぬぬ……!」


 もはや勢いでお誘いの連絡をすると、ほどなくして既読がつき――――



 * * *



「おはよ~。あっついねえ」


「ん゛ッッ」


 自宅のドアを開いて好きな人が現れた時の感動といったらない。

 久しぶりのハルの柔らかな笑顔は劇毒のようだった。

 

「ど、どうしたの? 体調悪い?」


「い、いえいえ問題ないです。げんきげんき」


「なら良かった。ふわー、クーラー効いてる~」


 今日のハルは膝丈ワンピースにヒールサンダルといった涼しげで可愛らしい印象の装いだ。

 普段学校でばかり会うので私服はかなりレア。これだけで呼んだ甲斐があったと感涙しそうになる。

 

「どうしたの?」


 リビングに足を踏み入れようとしたハルがこちらを振り返る。

 何か言わねば、と混乱する頭を置き去りにして口が開く。


「はっ、ハルちゃんかわいいですにぇ!」


 噛んだ。

 耳まで血が回ってのぼせそうになるほど恥ずかしい。


「ふふっ、どうしたの~? 嬉しいけど」


 ハルは照れるわけでもなくクスクスと笑いながら、コンビニのものらしき袋を持ちあげる。

 

「暑かったし、とりあえずアイスでも食べよっか。レポートはそれから」


 一気に現実に戻される。

 そうだ、友達にどぎまぎしている場合ではない。

 ハルから手渡されたソーダ味の棒アイスを取り出し、半ばやけくそ気味にかじった。



 * * *


 

「とりあえず書ける内容のリスト化だね。それから構成を考えて、書き方は先輩たちのレポートが学園のサイトで公開されてるからそれを参考にしよう」

 

 ……という感じのハルの教えに従って書き始めたのが二時間前。

 進捗はというと、驚くほどに進んでいた。


「頭から湯気が出そうです……!」


「うん、湯気は出てないけど髪はぱちぱちしてるね」


 おっと、と漏れ出ていたらしいクオリアを引っ込める。

 知恵熱が出そうだ。長いレポートを書き進めるのはいつも使わない筋肉を酷使しているのに似た感覚がある。

 手汗にまみれたシャープペンシルを置いて、ふーっと息をついた。

 

「そろそろ休憩にしよっか。サクラちゃんは休んでて。わたしは書いたぶんのレポートをチェックしておくから」


「あ、ありがとうございます……」


 遠慮する元気も無かった。

 ひんやりとしたフローリングの床にべったりと横たわり、頭を使って火照った身体を冷やす。

 閉め切った静かな部屋に、 クーラーの駆動音が響いている。


「こうして見ると、サクラちゃんはすごく頑張ってるよね」


 ぽつりと落とされたその呟きに、サクラは思わず床へと視線を向ける。

 つるつると光沢を放つフローリングには複雑そうに眉を下げる自分の顔がうっすらと写っていた。


「いえ……訓練もあまりできませんでしたし、大会に至っては全く……」


「そうかな。頑張ってるように見えるけどなあ」 


「…………」


 色々言いたいことはある。

 だが、それは全て言い訳だ。

 客観的に見れば、仕方なかったと言える事情はある。

 しかしサクラとしては、やはりもっと有意義に時間を使いたかったと思ってしまうのだ。


 不甲斐なさにぎゅっと唇を引き結んでいると、髪を撫でる感触があった。

 ハルがサクラの髪を優しく梳いていた。 


「は、わわ……っ」


「頑張ってない人はね、そんなに悔しそうな顔しないよ」


「ハルちゃん……」


 どくどくと、痛いほどの鼓動。

 昔ネットで見たダウジングのことを思いだした。

 宝物を見つけると振動で知らせてくれる道具――今の心臓はそれだ。

 この鼓動が宝物のありかを教えてくれている。

 きゅう、と甘く疼く胸を抑えると、なぜだか涙が滲みそうになった。

 

 ハルは学園内で人気の生徒だ。

 おっとりとした性格に、親しみの持てるかわいらしさ。

 そして極めて優秀な治癒のクオリアの使い手でもあり、最条学園の生徒で彼女にお世話になったことの無い者を見つける方が難しいだろう。

 そういうことも合わさり、柚見坂ハルは多くの生徒から密かな人気を集めている。


 そんな少女と一番の友達であるサクラとしては誇らしいやら不安やらで複雑だった。

 今日のことも含めてお世話になりっぱなし、心配をかけっぱなし。

 もう少し誇れるような自分になりたいと思うばかりだ。

 ハルが通り魔に襲われた時の無力感はもう二度と味わいたくない。

  

「ハルちゃん」


「なあに?」


「九月の学内戦、がんばります。それでまた昇格試験にも合格したいです」


 二学期に入れば同ランクの生徒内で試合を繰り返し昇格試験の参加資格を争う学内戦が始まる。

 サクラの所属するDランクは魔境と呼ばれている。ここで停滞する生徒が多く、上から下まで実力の幅が他とは段違いに広いからだ。

 逆に言えばDを抜けることさえできればそれ以降は楽になる――とされている。


 ここが正念場だ。

 合同合宿で培った力と想いをぶつけるしかない。


「うん、応援してるよ。困ったことがあればまた協力するからね」


「ハルちゃん……!」


「その前にレポート終わらせないと学内戦どころじゃないけどね。ほらここ誤字」


「ハルちゃあん……」


 意外と容赦がない。

 サクラは重い身体を無理やり起こし、半ばやけくそ気味に取り掛かるのだった。


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