138.ただし距離はゼロとして計算するものとする
キューズの試合はアーマーが前提となる。
リミッターから生じ、全身に纏うアーマーによってダメージを大幅に緩和することで命が守られ、選手たちは心置きなく力を振るうことができるのだ。
これは競技……大衆娯楽としても重要な役割を果たしており、大きな負傷が起こらないことで観客は安心して楽しめるし、痛みで身体が動かないと言った試合の進行を妨げる要素も無くなるというメリットがある。
かといって痛みが無く安全なら攻撃を食らうことをいとわず戦えばいいのではないかというと、そうでもない。
アーマーは攻撃を受けると消耗する。ダメージを緩和しているというより、実質的には肩代わりしているようなものだ。
そしてアーマーが消耗しきって破壊されるとその試合には敗北してしまう。だからできるだけ攻撃を受けないように立ち回る必要がある――と、駆け引きを生むシステムでもあるのだ(多少のダメージは覚悟して突っ込むという選択肢もあるが)。
つまり超常の力が激しくぶつかり合う戦いにおいて、アーマーは無くてはならない存在である。
例えば、今のように――超高熱の炎に巻かれた時など。
「……っ、あ……!」
一瞬だけ焼け付くような痛みに襲われ、そのまま岩山から転落する。
落下の衝撃で空気を吐き出し、そのまま何度か咳き込んだ。
「アンジュ、ちゃん……」
「お互い無事……とは言えませんわね」
サクラもアンジュも体表にうっすらとヒビが浮かび上がっている。
ブレイクが近い。あの一撃で大きく削られてしまったのだ。
「まったく、引っ込み思案ぽいくせに酷い搦め手を使いますわ! まさか口で惑わしてくるなんて!」
「素直に聞いてる場合じゃありませんでしたね……」
おそらく向こうはそんなつもりは無かったんだろうけど、とサクラは口に出さずに推測しつつ先ほどの攻撃を思い返す。
驚異的な、文字通りの”火力”。こうしている間にも次の攻撃がやってくるかもしれない。
いったん逃げて仕切り直すか。それともすぐに反撃を始めるか。
二人の思考がその選択肢に飛んだあたりで、異変が訪れる。
「地面が……」
「凍ってます!」
武骨な荒れ地が、一瞬のうちにスケートリンクのごとく凍結している。
これは間違いなくリッカのクオリアによる現象だ。
ぞっと背筋に悪寒を感じて二人が反射的に飛び退ると、地面から鋭い氷柱が突き出した。
攻撃は止まらない。逃げる二人を追いかけるように、次々と氷柱が飛び出していく。
その鋭さや硬度、速度から鑑みるに、普通に食らえば串刺しになる。アーマーがある以上そのようなグロテスクな結末は訪れないが――人体を貫くほどのダメージを受ければアーマーはたやすく破られるだろう。
(……速い! このままじゃ追いつかれる……!)
その上、氷柱の追尾速度はどんどん増している。
今にも追いつかれそうだ。
サクラはアンジュとアイコンタクトを取り、雷によるフィジカル強化技――纏雷を発動する。
同時にアンジュも複数の岩塊――”衛星”を四肢に装着し、岩を自在に操る能力を併用することで機動力を大幅に上げる。
これなら逃げ切れる、そして攻撃を行っているであろうリッカを止めなければ――と踏み出そうとしたところで。
横殴りの衝撃を受け、サクラは岩壁に叩きつけられる。
「…………サク、ぐううっ!?」
驚愕に目を剥いたアンジュに炎の羽根が雨のように降り注ぎ、身体に装着された岩のアーマーごと焼く。
このステージは太い柱のような岩山がそこかしこに林立しており視界が悪い。リッカとカガリはその隙間を縫って接近し、攻撃したのだ。
「うちはあんたらみたいに高速移動の手段はそんなにないけど、氷の道作って滑ったらそこそこ速いんやで!」
リッカは空中に小型の氷柱を作り出すと、サクラに向かってマシンガンのように連射する。
サクラは雷の尾を引きながら駆け出し、何とか回避する――が、氷柱の掃射は途切れることなく追ってくる。
「どうにかしないと……!」
防戦一方。
纏雷の出力を上げて対抗するか。しかし、ちょっとやそっと速さを上げたところで戦況が変わるとは思えない。
磁力を使った空中を跳ねまわる立体機動ができれば敵の狙いを攪乱できるかもしれないが、まだそこまで精密なコントロールはできないし、そもそも失敗すれば派手に落下して膨大な隙を晒してしまう。
こうして駆け回る間にもリッカは狙いを補正し、同時に氷柱の数をどんどん増やしていくことでサクラを追い詰めつつある。
その表情には心から試合を楽しむ笑顔が浮かんでいて、そのことは嬉しく思うが今は喜んでいる場合でもない――――
「なあサクラ! うちな、めっちゃ楽しい! ずっと楽しいねん!」
「……! リッカちゃん……」
「身体のこと気にせんでええし、相手はめっちゃ強いし、カガリも一緒やし……こんなに幸せなん始めてや!」
激しい攻撃を続けながら、リッカが叫ぶのは歓喜だった。
長い間抑圧され続けてきた心が解放されたのは、彼女にとってそれだけ大きかった。
「なあ、サクラは違う? そりゃ目的のために戦うのもええと思うけど……競う以上勝ち負けで辛くなることもあると思うけど」
競技には勝敗が付きまとう。
負ければ悔しいし、勝ったとしてもやっかみをうけたり、後ろめたさに襲われることもあるだろう。
――――頑張ったって、それ以上努力されたら意味ないじゃんね。
それでもリッカは笑う。
今ここにこうしていられることが嬉しいのだと叫んでいる。
「うちはサクラにも楽しいって思ってほしい! だってこの試合みたいなシチュエーションそうそうないで? 勝ち負け気にせずライバルと全力でぶつかりあえる……こういう試合のために頑張って来たんやって思う!」
「ああ――――」
サクラは誰かを笑顔にするために戦ってきた。
改めて、試合はその手段だと考えていた。
だが。いま、この笑顔を見せられては。
「……あたしも、嬉しいですよ」
全力でぶつかることがこんなにも楽しくて。
そして、相手の幸せにもつながるのなら。
それ以上望むことなんてあるだろうか。
もはや視界を覆い尽くすほどに生成された氷柱の群れ。
その向こうにいるリッカと笑みをかわし、サクラは――がむしゃらに叫ぶ。
「アンジュちゃーーん!!」
張り上げた声が岩山を駆け抜ける。
どこへいるかもわからない相棒へ。
同時に氷柱が襲い掛かる。
だが、その直前。
目の前のカガリと、遠距離のリッカから同時攻撃を受け続けながらも驚異的な粘りで生き延びていたアンジュは、大声に怯んだカガリの隙をついて上空へと飛び立つ。
広がる青空、開ける視界。
すぐにサクラの姿を見つけた。
(どこにいたって見つけられる自信がありますもの)
わざわざ念じる必要も無い。
この岩山のフィールドはアンジュのテリトリーだ。
サクラの周囲に転がる無数の岩が浮かび上がったかと思うとその硬度を増し、氷柱の大群を的確に受け止める。
渾身の攻撃が防がれたリッカは驚愕に目を剥いた。
「な……っ、あの距離から自分が作ったわけでもない岩をここまで自在に動かすやなんて……!」
位置は把握した。
あとは見ずとも手を取るようにわかる。
氷と炎のうち氷から解放されたアンジュは四肢のアーマーの推進力を使い地上のカガリへ一気に加速する。
同時にサクラを守ったばかりの岩たちを浮遊させたまま、サクラとリッカの間に足場としてまばらに配置した。
これで磁力が無くとも空中を自在に動き回ることができる。
「ありがとうございます、アンジュちゃん!」
雷が飛び立つ。
岩を足場にして飛び移り、跳ねまわり、空間を最大限活用してリッカへと距離を詰めていく。
(速い……! まったく捉えられへん!)
目が追い付く速度を優に超えている。
しかしその口元には笑みが浮かんでいる。
「でもな、向かってくるのがわかってたらどうにかできる!」
リッカの手に氷の剣が出現する。
いくら複雑な軌道を通ろうと、目的地はひとつ。
ならばタイミングを合わせてカウンターを決めてやればいい――その洞察力は充分に備わっている。
(来る――――今!)
目の前にサクラがあらわれた瞬間。氷剣を横薙ぎに振るう。
タイミングは完璧。完全に捉えた、はずだった。
「なっ……!」
目の前でサクラが跳ねた。
足元には何もない。アンジュの配置した岩も。
確認したうえで振るった。
「磁力、ですよ!」
複雑な動きができないだけで全く使えないとは言っていない。
軽く上に飛ぶくらいのことならできる。
リッカなら絶対に完璧に迎撃してくると思った。だからこそ、この一瞬に意識を集中させていたのだ。
カウンターへのカウンター。
「マジかぁ……!」
楽しそうなリッカを見下ろし、サクラは五指の先から雷の矢を生み出して固定。
雷爪を振りかぶる。
そして、アンジュは。
地上で待ち構えるカガリが巨大な火球を作り出し、撃ち出して来たのを見据える。
「ど、どんな硬い岩でも全部焼きつくす……!」
「やれるものなら――やってみなさいな!」
アンジュの右腕が膨れ上がる。
否、アンジュの右腕に装着された岩の装甲が急激に膨張し、巨大な腕と化したのだ。
隕石のごとく落下する巨拳は火球と激突すると、わずかな拮抗の後に貫く。
表面だけが溶かされ、溶岩のように赤熱した拳が落ちてくるのをカガリは呆然と見つめていた。
回避は間に合わない。
振り下ろされた雷爪と岩拳が、真上からリッカとカガリに直撃した。