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133.灼熱ハートビート


 氷像が砕け散り、その核となっていた心臓がはじけ飛ぶ。

 その中から飛び出したリッカを、カガリはふらつきながらも受けとめた。

 その儚いくらいの軽さに、ぐっと喉の奥が詰まる。


 同時に、牢獄全体が光を発し始め、あたりを取り囲む格子がはらはらと溶けるように消えていく。

 リッカの暗部から構成されたこの空間が消滅しようとしているのだ。

 眠る彼女は青白い睫毛を伏せて、静かな寝息を立てている。


「リッカ、リッカ……」


「んん……」


 身体を揺らして呼びかけると、むずがるように身じろぎをし、少しずつ瞼が開かれる。

 ぼんやりとした視線がだんだんと焦点を結び、自分を抱きかかえる気弱そうな少女の姿を捉えた。

 その瞳に驚きは無い。


「……あほ。人生ってなんやねん」


「だ、だってリッカ、私のこと遠ざけようとばかりするから……」


「そりゃそうやろ」


 大事やねんから。

 かすかな声で落とされたその声に、カガリは思わず目を見開く。


「どうでもええ相手ならほっとくわ。別にうちええ奴ちゃうもん。でも、カガリがうちばっかり気にして人生浪費すんのは嫌やった」


「……リッカのばか。何にもわかってない……っ!」


 ぼろぼろと涙がこぼれる。

 落ちたその雫が思いのほか温かくて、リッカは鼻の奥がつんと痛くなるのを感じた。


「リッカのことが大切だから、好きだから一緒に居るんだよ……! だからこんなところまで来たんだよ、どうせリッカは忘れてるだろうけど……私は小学校の時、リッカが声をかけてくれた時から痛っ」


 話の途中でデコピンを食らわされた。

 ひりひりする額を押さえていると、抱きかかえたリッカの白い頬に朱が差している。


「……覚えとるわ」


「え、な、なんて?」


 微かすぎる呟きに聞き返すと、リッカはたまらなくなったようにぷるぷる震えたかと思うと爆発した。


「覚えてるって言うたの! あのな、あん時はうちも友だちおらんかったからまあまあ緊張してたんや! 忘れるわけないやろあほ!」


「う、うう~っ……」


 空間が光に飲まれるようにして消えていく。

 流れた涙までもが消えていく床に飲まれる。

 倒れていたサクラも、そのまま消える。おそらく現実世界へと帰ったのだろう。

 もうすぐリッカとカガリも現実へと戻る。時間はあまり残されていない。


 だから、最後に。

 二人きりのうちに、言えることは言っておきたい。

 リッカは涙に濡れるカガリの頬に優しく手を添える。


「……泣くなや。だから嫌やってん」


「泣かせてよ。私はリッカに、泣かされたいんだよ」


「なーんやそれ。……っはは、へんたいやん」


 カガリはリッカのほっそりとした手を握る。

 冷たい指先だ。自分の手から体温が移るように、ぎゅっと力強く握りしめる。痛いくらいに。


「助けに来たよ。みんなでリッカを治すために」


「……治るんかな」


「し、信じて。私もまだよくわかってないけど……きっと大丈夫」


 そっか、とリッカは端的な呟きをこぼす。

 今までの人生まるごと付き合ってきた病魔だ。

 そう簡単に治ると言われても信じるのは難しいが――今までにないカガリの瞳を見つめていると、どうにかなるのかもしれないという気持ちが湧いてくる。


「お礼言わんとあかんな」


「うん、とくに天澄さんには」


「はは、あいつ身体張り過ぎやろ。びっくりするわ」


「私もびっくりした……」


 昨日今日出会ったばかりの他人のためにあそこまでするのか。

 夢の中とは言え大怪我を負っていたと思うのだが……。

 そうでなくても今日の分の訓練をふいにしている。


「もしさ。やっぱり治らんかったら……」


「わ、私も一緒にキューズ辞めるよ」


「思い切り良すぎやろ。……まあ、そうな」


 それが人生ってことかぁ。

 そう言ったリッカにカガリが頷くと――夢の牢獄が完全に光に包まれた。




 * * *




 がば、とベッドから起き上がる。

 サクラ、リッカ、カガリの三人同時に。


「…………」 


「…………」


「…………」


 三人はそれぞれ視線を躱すと、なにやら気まずそうに笑った。

 

「事後か」 


「ちちち違います!」 


 新子の気だるげな指摘に、カガリが慌てて否定する。

 サクラとリッカは、やはり微妙な笑みを浮かべるしかなかった。

 それぞれ自分の身体を確認すると、外傷は見られない。死なない限りは無傷で戻って来られる……ということだろうか。

 それはそれとして全身にかなりの疲労感があるのだが。


「はーーーーマジで死んだらどうしようかと思ったってぇ……」 


 特大のため息をついたのはネムだ。

 おそらくはさっきまでサクラとカガリをリッカの夢につなげてくれていたのだろう、ぐっと上げたアイマスクの下から現れた目元にはくっきりと深いクマが刻まれていた。


 そんな一同の疲れた様子を見回して、リッカは静かに俯く。


「や……なんかすみません。うちのためにいろいろ頑張ってもろたみたいで」


「ま、まだ終わりじゃ、ないよ」


「そうですよ、リッカちゃん。ですよね? 新子先生」


 そう言ったサクラに新子はゆっくりと頷き、錠剤が収められたプラスチック容器を差し出した。

 どこからどう見ても何の変哲もない薬。だがこれはサクラたちが夢へ潜る前に説明された、リッカの病気への特効薬だ。


「氷室リッカ。お前は、病気を治したいか。治すという意志があるか」


 今さらのような問いかけ。

 だがこの薬の効能にはリッカの精神状態が密接にかかわってくる。

 さっきまでの何もかも諦めてしまったリッカには、効き目がない代物だという。


 リッカはその言葉を受け、少しだけ考え込むと、口を開く。


「……正直言って、まだ治る気はあんまりしてません。生まれてからずっと付き合ってきたモンやし、”これ”が無い状態っていうのはちょっと想像しにくいです」


 でも、とリッカはそこで言葉を切り、カガリとサクラを見た。


「でもこいつらはうちのために本気で戦ってくれました。なら、もしかしたら大丈夫なのかもって――信じられるような気がするんです」


「わかった。ならこれを飲め。すぐに効果が表れるだろうが、この錠剤が無くなるまで残りは毎日夕食後に飲み続けろ」


 はい、とリッカは薬といつの間にか用意されていた水の入ったコップを受け取り、おそるおそる一錠飲み込んだ。

 ぱちぱち、と瞬きを繰り返すリッカに、


「ど、どう……?」 


「いやまだ飲んだばっかりやし……あれ……?」


 どくん、と心臓が大きく脈打つ。

 すると鼓動は今までよりも強くなり、全身に熱が伝播していくような感覚が広がる。

 

「うおっ、ちょ、早くない?」


「だ、大丈夫、リッカ!」 


「いや大丈夫っていうか……全体的に楽んなったっていうか」


「効果が出たみたいだな」 


 だるそうに、しかし満足げに頷く新子。

 サクラは、こんなにすぐ効果が表れるなんて、と驚愕していた。

 これが学園都市の医療技術なのだろうか。


「リッカ、良かった……!」


「あーもーまた泣く……心配かけて悪かったって……みんな、ほんまにありがとう」


 カガリはリッカに縋りつくようにして彼女の手を握りしめ、リッカは照れ臭そうに笑っている。

 これでとりあえず一件落着だろうか、と胸をなでおろしていると、新子から視線を感じた。

 顎で医務室の外を差される。おそらくいいところだから二人きりにしてやろうということか。


「それじゃああたしたちはちょっと用事があるので席を外しますね。とにかく良かったです、二人とも!」


「ああ……サクラもほんまありがとう。絶対またお礼するからな」


 縋りつくように泣きじゃくるカガリの代わりに手を振るリッカの姿を見届け、サクラたちは部屋を後にした。

 直後、ネムがふわあと大きなあくびをひとつ落とした。


「…………あー…………ごめん、私もう眠いわ。部屋に帰って寝る」


「あっ、ネムさん! ありがとうございました! いろいろと!」 


 おう、とぶっきらぼうに手を挙げて去っていくネム。

 夢と他人の意識を繋げるというのがどれほどのことなのかはわからないが、あの様子を見ると相当な労力を必要とするのだろう。

 見返りなんて望めないだろうに、本当にいい人なんだな……とサクラは内心で自分を棚上げにする。


 その背中を見送ると、新子は懐から電子たばこを取り出して咥える。

 気だるげな風貌と、なんだかマッチしているようなミスマッチのような、微妙な取り合わせだった。


「新子先生もありがとうございました。それにしてもあの薬すごいですね……あんなにすぐ治っちゃうなんて」


 新子は深く息を吸い込むと、長いため息をついた。

 そしてしばらくの沈黙の後、こう言った。


「あれはプラセボだ」


「…………へ?」


「つまり偽薬。あの錠剤に含まれてるのはただのブドウ糖だよ」


「え、でもでもあんなに効いてたじゃないですか! そんなのって……」


 プラセボ自体に症状を改善する効果は無い。

 『薬を飲んでいる』という行為によって精神に変化をもたらし、それが症状へ作用する……といったもの。

 だが、いくらなんでもそれだけでリッカの身体を深く蝕んでいた病魔が消し去れるとは思えない。

 しかし新子は一切動じることなく続ける。


「クオリアには肉体強化という効果がある。知ってるな?」


「は、はい。筋力とかが強化される、あれですよね」


 その肉体強化によってサクラたちは超人的な身体能力を獲得している。

 だが今回のことにどう関連しているのだろうか。


「肉体強化ってのは単純な身体能力に留まるものじゃない。肉体を理想的な状態へ持っていく効果もあるんだ。だから本来クオリアに覚醒すれば肉体強化の作用で身体の悪い部分は治る。だが氷室リッカの肉体強化は……」


「心臓だけに及んでなかった……?」


「そういうことだ。クオリアっていうのはイメージの力。あいつは健康な心臓というのをどうしてもイメージできなかった。だからクオリアに目覚めて以降も病魔に脅かされ続けていたんだ」


 そんなことが、あるのか。

 サクラは愕然とした。

 新子が薬について詳細に説明しなかった理由がわかった。

 こんな真実を知らされれば、堪えるなんてものじゃない。 


「つまるところ、そうだな……氷室リッカ(あいつ)のことを一番可哀想だと思っていたのはあいつ自身だったという話だ」


「その言い方は、ちょっと酷いと思います……」


「……ああ。だが、私は治ろうという意志を持つ者以外は治せない。そのことは、お前も肝に銘じておいてくれ」


 二人の間に沈黙が降りる。

 これでリッカは治った。肉体強化が働き、彼女の心臓は問題なく動き続けるはず。

 もう発作に悩まされることも無いだろう。


 なら、良かった。

 そのために戦ったのだから。


「天澄」


「なんですか?」


「よく戦ってくれた。お前たちがいなければ、あいつは治せなかったからな」


「……えへへ。助けられたなら良かったです」


「あの錠剤が偽薬である以上、氷室にとっての特効薬は天澄と火村だったということになる。氷室の病魔()を癒したのは、お前たちだ」


 本当に、よく戦ってくれた。

 新子はもう一度そう繰り返すと、それきり何も言わなかった。

 

「その言葉だけで命を張った甲斐がありました」


 サクラはそう言って、満足げに笑うのだった。


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