132.炎雷、冷鳴を越えて
『なーなー、なんで隅っこおるん?』
あの時、雪が話しかけてきたのかと思った。
それくらいにあの子は白くて綺麗だったから。
『友だちおらんねや。うちと一緒やな!』
なのにその笑顔はまるで太陽みたいで、まぶしくて。
差し伸べてくれた手を握れば、とても暖かかった。
『行こ! 混ぜてもらお!』
手を引くその背中を、私は見ていた。
この手を放したくないなと思い続けた。
ずっと。今も。
ねえリッカ。
きっと君は覚えていないと思う。
言ったって『そんなことくらいで』って笑うと思う。
私もそう思う。
だけどね。
あの時リッカがしてくれたことは、私にとって一生の宝物なんだ。
* * *
「カガリちゃん!!」
必死に立ち上がろうとするが、氷像の強靭な脚に強く打ちつけられた身体はまともに動いてくれない。
それよりも、視線の先――倒れたカガリが執拗に痛めつけられ、最後には凍結した氷槍のように姿を変えた脚で腹を貫かれてしまった。
「……………………ぁ、か…………」
『きえろ』
うめくカガリの腹からどくどくと血が溢れ出す。
槍の先端の細さが功を奏したのか、傷の大きさは思ったほどでもない。
だがそれでも身体に穴が開くというのはそれだけで致命傷になり得る。
(……だめだ)
このままでは、カガリは死ぬ。
夢の世界で死ねば、おそらく現実のカガリも二度と目覚めない。
サクラは右手首のミサンガを意識する。
これを千切れば二人とも現実世界へと強制的に戻ることができる。
その代わりリッカは二度と助けられなくなる。
(でも、このままじゃカガリちゃんが死んじゃう……! それだけは……)
死んだらすべて終わりだ。
サクラはそれを痛いほど知っている。
二人を天秤にかけるなんて、傲慢なことをしている。
それでも、サクラはカガリを死なせたくない。
リッカは――助けられなくなると言っても、”この方法では”というだけ。
もしかしたら他の方法が見つかるかもしれない。
ならやるべきことは決まった。
「カガリちゃん、ごめんなさ――――」
サクラが震える指を何とかミサンガにかけた、その時。
凄まじい熱風が牢獄の中に吹き荒れた。
「うぁっ!?」
『ぐ う 』
サクラは思わず動きを止め、氷像もたまらず飛び退った。
驚いて顔を上げる。その先で、カガリが立ち上がっていた。
「…………やめて、天澄さん…………!」
辺りの地面が焼けている。
じゅう、と音を立てて、カガリは腹の傷を焼いた。焼いて、塞いだ。
「カガリ、ちゃん」
その眼差しは鬼気迫るものだった。
もちろん激痛による部分はあるのだろうが、それよりも圧倒的に、何もかも燃やし尽くすような意志がそこには宿っていた。
身体の穴を焼いて塞ぐなんて、自分の身体を蔑ろにしがちなサクラでさえ恐れおののいてしまうような所業だ。
カガリはそれをためらいも無くやってのけた。
戦うつもりなのだ、あの氷像と――リッカの抱える暗部……悲しみの根源と。
「わ……私はリッカを助けたい。誰が何と言おうと、もし天澄さんが諦めたとしても! 絶対に助けたいんだ!」
「――――――――」
その血を吐くような叫びに……自分は何をしていたのだろう、と思う。
カガリの想いの強さは最初からわかっていた。
そこに一度は心を重ねたはずだ。
それをカガリのことを案じて夢の世界から出るなど――それが一番カガリの想いを損なう行為だった。
(カガリちゃんを失うのは怖いけど)
恐れてもいい。
それでも妥協だけはするな。
どちらかを選ぶのではなく、どちらも選ぶ道を行く。
カガリは生かす。リッカも救う。
そうでなければここに来た意味がない。キューズになった意味がない。
思い出せ。
みんなを笑顔にするという幼い夢を叶えるつもりなら。
どちらかを捨てるなど、あってはならないのだ。
「……そうですよね」
激しい稲光が弾ける。
サクラの全身に、眩い雷光が駆け巡る。
身体が動かない?
そんなこと、今はどうでもいい。
意志によって肉体を従わせる。
電流によって筋肉を駆動させるサクラの纏雷ならそれができる。
クオリアは意志の力。
意志によって世界を歪める――願望を実現させる力だ。
「天澄さん、それ……!」
カガリが驚愕に見開く目の先。
ゆっくりと立ち上がるサクラの全身から苛烈な紫電が溢れ出していた。
体内のみならず体外へと漏れ出すほどの出力。当然激痛が襲っているはず。
だが、サクラは口元に笑みを浮かべる。
「助けましょう。この世界なら、私たちなら、できます!」
以前ココが教えてくれた。
クオリアは信じることで強くなる。
ならばリッカを助けたい、助けられる、助ける――そう強く信じている今なら。
そしてこの夢の世界という物質世界の法則に囚われない世界なら。
これまでにない力が出せるはずだ。
「…………うん!」
激しい炎が空気を叩く。
カガリの背中から深紅の炎が噴き出すと、それは翼のような姿を取る。
それはまるでフェニックスのような様相で――死を否定する不死鳥そのものに見えた。
『うう あ』
煌炎と雷光が牢獄を照らし、氷像は苦しそうに呻く。
だが、目の前の異分子を排除せんと牢獄を埋め尽くさんばかりに無数の氷柱を生み出した。
サクラとカガリは視線を合わせ、飛び立つ。
磁力を活用し、跳ねまわるように動き回りながら両手の雷爪で氷柱を切り裂くサクラ。
炎翼を羽ばたかせ、その身から溢れ出す膨大な炎で氷柱を焼き尽くすカガリ。
二人を蝕む全身の痛みは増していく。
この夢の世界において、リミッターは機能していない。
正確に言えばサクラたちがリミッターがある、機能していると意識している間は機能するが、意志の力で失くすことができる。
だから今の二人は規格外の力を出すことができているのだ。
だが普段リミッターで制限されているほどの力を引き出せば、当然使用者には負担がかかる。
サクラもカガリもそのことは自覚していた。
この力を振るっていられる時間は、もうあまり残っていない。
だからすぐに終わらせる。
「先行します!」
磁力で空中を蹴ったサクラが氷像へと突撃する。
それを迎え撃つように身体を起こした氷像は、その八本の脚のうち四本を触手のごとく伸ばした。
だが今のサクラにそんな攻撃は通用しない。出力を限界以上に上げた雷爪で、凄まじく強靭な触手を断ち切り、さらに距離を詰めていく。
だが。
『ちかよるな』
氷像の眼前に突如として分厚い巨大な氷の盾が生み出される。
すぐに悟った。これを破るのは不可能だ。雷の矢をしこたま叩き込めば貫けるかもしれないが、そんなことをしている間に別の攻撃を食らってしまう。
それでもサクラは笑みを浮かべてみせる。
何故なら、ここにはもう一人。
「カガリちゃんっ!」
呼び声に応え、カガリが後ろから躍り出る。
炎翼の羽ばたきによって一気に加速すると、その手に携えた巨大な火球をぶつけた。
「う、う、うううううう!!」
『うちを みるな』
『きえてくれ たのむから』
透き通る氷の盾の向こうから声が聞こえた。
もはやそれは懇願だった。
『もう かかわ らんとい てくれ』
「関わるよっ!」
だがカガリは叫ぶ。
その想いに呼応して、出力を増した火球が盾を溶かしていく。
「いつまでも一緒に居るよ。そばにいさせてよ」
それだけは譲れない。
リッカの顔色を窺うのはもうやめた。
これが自分の生きる道なのだと、今は胸を張って言える。
「リッカの人生に……私も入れてよ!」
ついに氷の盾が砕ける。
同時に火球も力を失い消滅していく。
「リッカちゃん! あたしは、またリッカちゃんと戦いたいです!」
カガリと入れ替わる形で前に出たサクラの雷が輝きを増す。
虚空を蹴り、盾が無くなった空間を突き抜ける。
「だから、あたしたちに助けさせて――――」
その時、サクラの声が止まった。
再び生み出された無数の氷柱がサクラの背中に突き刺さっていた。
ごぼっ、と喉の奥から大量の血が溢れる。
同時にサクラの雷も消え、落下を始める――――
「あと、おねがい、します……」
消えそうな意識の中、身体の奥底から力を絞り出し、一度消えた雷がわずかに復活する。
仰向けに落ちていくサクラの手から凝縮された雷の塊がふわりと浮かび上がり、カガリのもとへと飛んでいく。
カガリはそれを包み持ち、瞑目すると、
「……ありがとう」
サクラの雷に自身の炎を合わせる。
二つの力は混ざり合い、渦を巻き、燐光を放つエネルギーの塊へと変化した。
遠のく視界の中。
サクラは見た。
カガリはその手に携えた炎雷を、氷像に正面からぶつける。
凄まじい光が爆発した。そして、何も見えなくなった。
それでも結末はわかっている。サクラは確信したのだ。
カガリの想いは、きっとリッカへ届いたのだと。